わたしの横でねむるあなたの歌が、隣のキッチンから聴こえはじめる(下)

(前)

 旅に読書はつきものだ、と書き出しておきながらかばんのなかに文庫本をしのばせるのを忘れ、後悔しながら地下鉄にゆられている。いつもは清澄白河駅から歩いて向かうところを、木場駅から初夏の陽射し降り注ぐ木場公園のなかを通り過ぎつつ、都現美へと赴いた。途中、沿道に設置されたベンチでコンビニで買ったサンドイッチを齧り、すこし離れたところに咲く紅色の花と、さらに遠方で光を反射するビルのガラスを日陰のなかでながめた。ビル街にぽっかり空いたグリーンオアシス・日比谷公園の光景をあたまに思い浮かべつつ、いい感じだ、と思ってスマホを横にかまえた。展示の写真をのぞいては、これが東京滞在中に撮った唯一の写真だ。データ化されない思い出がこのようにして言葉にされ、あるいは言葉にされずに心中の奥深くへと染みこんでいく。


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 観にきたのはオランダ出身の彫刻家マーク・マンダースの展示。金沢でやっていたボレマンスとの二人展にこそ行きたかったのだが、計画をふくらませるにしたがってぶくぶく泡立ちはじめたコロナにまつわるもろもろがめんどうくさくなって、けっきょく行きそびれてしまったのだった。いつだかのコレクション展で作品は目にしているし、小柳なんかでも小品を観ているが、やっぱりマンダースの彫刻はしびれる、と《マインド・スタディ》を見つめながら身震いしていた。このようにしてオーガズムを感じることのできる美術作品に対峙できると、とてもうれしいきもちになるし、審美の審級は性/生につよくむすびついているんだということがよくわかる。DIC川村記念美術館マーク・ロスコの部屋なんかはそのことをつよくしらしめてくれる。ほか、わたしがつよく関心をもったのは細長い廊下の壁に何十枚も配されたドローイングの展示方法だった。木製のおおきな洗濯バサミによって挟まれた薄紙が、壁に張られた紐からずらずらとぶら下がっている。この「張っている」という状態。彼の彫刻作品に見られる「緊張」の質感を、そのまま展示方法に転化したすぐれたしごとだと思った。ドローイング自体もイメージをこうした場所でふくらませているのだという作品の背面をみるおもむきがあり、とてもたのしみがいのある一角だった。背面といえば、床に敷かれたキャンバスに隠れて見えないオブジェクトを踏む作品があり、それも印象的な鑑賞体験だった。キャプションを見るまえに踏み、その文を読んでさいど踏みにもどった。つぎに予定がつかえていたので、風間サチコと下道基行のふたり展とコレクション展はピャッと流し見し、ショップを冷やかしたあとは都美へと足をのばす。ステートメントなどのテキスト編集の手伝いをおこなった展示がやっているのだ。

 縁とはふしぎなもので、わたしが東京を去る前にさいごに観た展示もこの都美セレクション展だった。さらにこの線をたどってゆけば、藝大はGAのしごとにもつなげることができるのだが、それはここでは措いておこう。ABCとあるギャラリをそれぞれまわり、比較的年のちかいひとらの作品をたっぷりと観、そのうちひとつに出品されていた、かつてどうぶつえんで共演した硬軟さん(本展では千葉大二郎名義)の《Mirror Banner》の狂ったユーモアに胸を射止められた。両面から見ることのできるスクリーンに、5年の歳月をかけて街で撮影・収集した「風でめくれて文字が反対になった幟」の写真を、いちまいいちまいフォトショップで反転させて投影するスライドショーの作品。展示コンセプトにつながる正逆反転のルックもさることながら、撮影された写真は総計2000枚ちかくあるらしく、その物量と熱量にわらってしまう。ちょうど受付に在籍しており、軽くあいさつもできたのもうれしいできごとだった。

 そのあいさつの現場にいたのがEさんで、彼女はわたしと今回の展示を引き合わせた人物でもある。会場ではZOOM上で顔を合わせていた作家陣の何人かとも直接対面することができ、ぶじに開催できてほんとうによかったですねと言葉を交わした。いっときは国/都からの自粛要請によって、美術館の開館自体が危ぶまれていたのだった。そうした時勢を背景にした展示空間からは、「触れたい」というつよい願望が発光しているように感じられ、映写機から放たれる光が網膜にまでとどく距離と、そこに含まれてある感情のことを思わずにはいられなかった。何周か展示を観てまわったのち、台湾料理屋で近況を尋ねあい、新宿駅で別れた。わたしにはごはんを待っている友たちがいるのだ! 西へ! 西へ! 中央線に乗ってわたしは西方を目指し、とうとう西の友の名をもつ西友にたどりつく。挽肉や長ネギ、舞茸などを買い物カゴにほおりこみ、セルフレジにとまどいながら会計を済ませて家路を急いでいると道端で「SAY! YOU!」と声をかけられ、「何を」と答えると「声! 優!」と応じるので「****(あなたの好きな任意の声優の名前を入れる)」と返事をして玄関のドアをひらいた。Qさんが炊飯のじゅんびをしてくれていたので、焼きうどんにしようと思っていた計画はうっちゃって、ねぎねぎ挽肉のカレー粉炒めをつくる。Hさんの帰りを待ちながら、人生の話をする。

 Hさんも帰ってきて、食事を済ませたあとは、Qさんがレコーディングしたヴォイス・アクティング(声優!)を真っ暗闇のなかで聴く。それから、これは音楽だね、なんてみんなで感想をしゃべりあって、さっきQさんとふたりで話していた話が、Hさんの身体を通して再演されるのを目の当たりにする。わたしはいまここで起きていることが奇跡だと思ったし、必然であるとも思った。ひとつのたしかな歴史がここには流れている。わたしたちは紛れもなくわたしたちであるとつよく確信して、わたしはしずかに眠りについた。布団の上にぶったおれているわたしの隣では、Qさんがまぶたを閉じて横になっていて、Hさんはべつの部屋でひとり、台本執筆の作業をしている。しばらくするとキーボードのタイプ音とともにギターを爪弾く音がちいさく聴こえだし、やがて聴きなじんだ歌声もひびいてくる。隣室に灯った橙の光が、ドアにかけられた暖簾の隙間を縫って寝室にこぼれ落ち、わたしの横でねむるあなたの歌が、隣のキッチンから聴こえはじめる。

     *

 今日も今日とてフライパンを3人で囲み、ひき肉とチーズのおばけ(命名:Qさん)をそれぞれの胃のなかへとかっこんでいちにちをはじめていく。おおきな予定は何ひとつ入れていないオフの日で、親から買ってきてほしいと言われていたソフビを探しに渋谷に行くついでに、青山ブックセンターやらタワーレコードやらを冷やかしに行く。雨が降りそうで降らない、あるいは降る、フルスイングで降るような陰気のなか、ゴミゴミした街をフラフラし、ABCのBGMはいつもセンスがいいなと感動したり、こどもの城の前に新しいオブジェができてるな、タピオカ屋が豆腐屋になっているなとおどろいたりする。ABCの入っている建物はわたしが表参道・渋谷近辺をうろうろする際によく利用するトイレスポットのひとつで、全人生におけるトイレ利用ランキングをつけるとなれば上位入選はまちがいなしの場所なのだが、そんな番付をつくって何になるのか、そんな思考をして何になるのか、無意味を有意味に、有意味を無意味にする営みを延々とつづけてやってきたのがおれ、このおれであるなどとぶつくさいいながら井の頭線にゆられHQハウスへの道のりを新たに開拓する。今日はQさんが腕を振るったQさんめしが食べれるということで、帰路を歩きながらすでに胃がピョンピョコとはずみまわっている。口の端から胃やら腸やらをこぼれさせながら帰宅し、コックの格好をしたQさんが台所で大活躍するさまをながめる。そうこうしているとHさんもしごとをおえて帰ってきて、朝と同じく3人で食卓を囲む。卵入り具沢山味噌汁と、からしの効いた餃子釜飯。うまい、うますぎる!とバクバク食べているとYもやってきて、大食漢が4人になる。鍋も釜も空っぽになる頃、今日の個人的な目玉イベントであるラジオの放映時間になって、わたしは三本脚の義足を借りてインスタグラムを起動する。すでにわたしはこの回でしばらく放送を休止することを決めていて、さいご(ではないが)ににぎやかにパーティをやっておわり(ではないが)たいと思っていたのだった。ホームビデオに映るかつての自分をぶんなぐりたいと「おばあちゃんのおもいで」(てんとう虫コミックスドラえもん』4巻収録)を地でゆく体験を語りつつ、好き勝手にサブカルとバブカルの話をして、エンド(ではないが)マークを打った。ジャンプがサブカルでたまるか!

 夜が深まったころ、Mさんがやってきて、またひと盛りあがりする。疲れたのか、わたしは早くに寝ついてしまった。

    *

 めざめ、みなで寿司でも食べに行こうという話になるが、家に帰ったあとの〆切を心配するわたしはひとり断って家の前で手を振りあって別れ、にぎやかな旅程は幕を閉じる。キャリーをひきひき、ひとり新宿へ向かって、伊勢丹で土産を買い、その裏手あたりのラーメン屋でラーメンを啜る(ハズレ)。初日に再訪を誓った紀伊国屋にも寄るが、わずかな時間しかのこっておらず、冷やかし程度にちら見するだけで何も買わずに駅にひきかえすことになる。つぎに来るときは池袋のジュンク堂もあわせて、心ゆくまで本の山のはざまに滞在したい。行きはバスだったが、帰りは新幹線。スカスカの車内に腰を落ち着け、岸田将幸『風の領分』を読む。行を読みすすめるごとに、群から孤に、こころがもどっていく。詩を読むと同時に、この滞在をもとにした1篇の詩を書きはじめる。自宅の最寄駅に到着し、数人の乗客とともにホームを歩いていくと、駅舎の前に立つ警官に取調べを受ける。「男性の方にお聞きしています。昨日、駅のトイレをつかいませんでしたか」「つかっていません」マスク越しにみじかい言葉を交わし、わたしは日暮れの家路につく。

(完)