ガン見ガン聴ガン触ガン嗅

映画を観おえたあとはそのまま同館にあるジュンク堂へ。棚をつまみに話をくりひろげながら、ヒープリのオフィシャルコンプリートブックを入手する。のち、パルコまで移動し、映画の感想を話しながら天ぷらを食す。揚げたての品々が一個一個時間差でやってくるスタイル。うまい! パルコで食事を摂るときは田中そば店ばかり利用していたが、お隣の天ぷらたかおもめちゃめちゃアリだなと思った。食後はそのまま階を下り、ニンテンドーショップ、ニチアサガールズショップ、カードキャプターさくらカフェの物販コーナー、ポケモンセンターを周遊する。ニチアサガールズショップでは明日のナージャのグッズがあれば買おうと思っていたのだが、あいにく品切れだった。代わりにトリトドンとフワライドのぬいぐるみ(ポケモンフィット)を買ってしまう。会計を担当した店員さんが、ポケモンをじっさいの生き物として扱う姿勢を見せていて感動した。レジに並んでいる際、わたしのうしろにいたおっさんが離れて並ぶように指示する床に引かれたラインを無視して立っており、不快感をおぼえた。この不快はコロナどうこうに由来しているわけではなく、おっさん特有の「身体性のなさ/雑さ」に端を発しているのだと思った。子供のプレゼントを買おうとべつのポケモンセンターにいる母親と電話していることも、言行が乖離しているようで嫌な気分になった。

パルコをでてからはディスクユニオンやゲーセンをチラ見したのち、人間関係で茶。「本物のオタク」についての話がおもしろかった。そんなにんげんにはいまだかつて会ったことがないというOのきびしさ。乗代のいう「本物の読書家」にも通ずる作品への、人生への向きあいかた。はたしてわたしはそのようなにんげんになれるだろうか? 「プリキュアのオタク」になれるだろうか? そもそもオタクとはなりたいと思ってなれるものだろうか? オタクとは「生き方の問題」ではなかったか?

Aさんも引き連れ、HQハウスで今回の演劇について語りつめる。親しい友人のなかでさえポリコレによる線引きが異なるのだから、いまの世のなかで作品をだすことのきびしさを思うに憂鬱な気分になる。だが、その「きびしさ」はこれまで顧みられることが少なかったマイノリティが受けてきたきびしさであるのだから、わたしがいま書いたことは傲慢以外のなにものでもない。むりやりAさんを連れてきたというのに、わたしは一足先にねむってしまう。

Hさんとふたりで銚子丸に行き、寿司を食らう。もりもり食らう。目の前で刃を入れられたまぐろの、捌きたてのかまとろを食べ、くちのなかでとろけるあぶら!といたく感動する。ひさびさに食べ物でこころをうごかされた気がする。これまで銚子丸で食べたネタのなかでいちばん美味だった。

店をでてわかれたのち、クリスチャン・マークレー展@東京都現代美術館を観る。テキスト、オブジェクト、映像、音といったさまざまな素材を、「編集」の手つきによって作品化する作家で、編集ラブなわたしにはもちろんラブリーな展示として映った。とくに4面スクリーンでさまざまな映画の「演奏」をつぎはぎして構成した《ビデオ・カルテット》(2002)と、これまたさまざまな映画をつぎはぎし、線と点のアニメーションをその上にかさねた映像作品《スクリーン・プレイ》(2005)。前者が音楽的な編集が為されているのに対し、後者は意味的・造形的・イメージ的な編集がほどこされていて、そのちがいもたのしかった。ほか、展示のラストに置かれた「手話による無音の演奏映像」《ミクスト・レビューズ(ジャパニーズ)》(2021)の裏手で、その楽曲のスコアの書かれた最初の展示室に鳴りひびくファクトリーサウンドがわたしの立つ「ここ」までもれでてきており、心をゆさぶられた。配布テキストには「元の(レビューが描写しようとした)音楽と、これらの無音の身振りの間には失われたものが多くある。にもかかわらず、それが音楽であるという感覚を得ることができる」とマークレーの言葉が引かれていて、それはそれで情動を引き起こす構造だと思うのだが、作家のこの目論見を遮るような「ノイズ」の存在は、またべつの回路をひらいていた。

美術館をあとにし、プリキュア本と舞城本を探しにブックオフめぐり。錦糸町秋葉原に行き、それぞれの街のブックオフ、後者のラジオ会館アニメイトゲーマーズをまわった。ブックオフでは探していたうちのひとつ舞城王太郎煙か土か食い物』と、プリキュア小説としての言及を見かけた柚木麻子『終点のあの子』を入手し、あみあみではトロプリのキラキラカードグミを発見したので箱買いする。地元では売っているところを見たことがない。メイトとゲマズははじめて立ち入ったが、わたしは顧客の範疇からはずれている感じがした。秋葉原を発ったあと、足を運ばなかったまんだらけと、ラジオ会館にあったハビコロ玩具というところにプリキュアグッズの取扱いがあることをしり、時すでに遅しとなる。ラジオ会館、途中で引きかえさずにぜんぶめぐってみればよかった。さいごの目的地シブツタではお目当てのスタプリのオフィシャルコンプリートブックをゲトり、ちょう満足する。

いったんHQハウスに荷物を置きにもどり、さいど駅までむかってHさんと飲む。家のなかではまだしも、ふたりで外で飲むのはいつぶりか? ひょっとするとはじめてか? もう10年来のつきあいだが、新鮮なきもちで日本酒や焼き鳥をたしなむ。隣のテーブルを囲んでいたサラリーマンたちが自慰についての話をしていて、「おまえは何で抜くの」と上司に問われた部下が「僕は漫画で抜きます」といっていたのが印象的だった。こんなどうでもいいディティールばかりが記憶にのこってしまう。こうして書いておかなければそんな出来事も記憶の底に沈む。

帰宅後、Hさんとツイキャス&スペース。Sさんもやってきて、主にデザイナの立場から今回のフライヤーについて話す。何を話したのかはおぼえていない。Sさんとは濱口竜介の話なんかもするつもりだったが、またはやくにねむってしまう。


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去る日。2日連続の寿司! HさんQさんと。昨日は調子づいてそれなりの枚数を食べた気がするが、今日はたったの4枚で満腹になる。こちらが平常である。わたしのあたまのなかには寿司を食べずに帰路についた記憶ばかりがこびりついているが、それは前々回であり、前回も寿司を食べて家路についていた

家の前でわかれ、中野ブロードウェイへ。キャリーをもってまわるにはたいへんな建物である。東京にいた頃にはタコシェぐらいしか行く店がなかったのであまりゆかりのない場所だったのだが、プリキュアという目的をもつと俄然魅力が増すスポットだった。まんだらけプリキュア本、プリキュアグッズ、ザンボット本を落手する。2日目に入手しそびれたラメールのキーホルダーは見つからず。現行シリーズの人気はすごい。ニュウマンで土産を買い、帰宅。道中、ザンボット本の人間爆弾の記述に鑑賞した際の感動をよみがえらせ、涙ぐんだりする。天気予報から察するに、こっちにもどるころには積雪しているだろうと踏んでいたのだが、わたしをでむかえたのはむきだしのアスファルトであり、寒波がやってくるのは今週末だという。湯を浴び、よくねむる。