紀ノ國屋の黒ごま白ごま玄米、ベリナイスなお味。
たのしみにしていた会の連絡をすっぽかされ、準備や時間やきもちなどがおじゃんになる。すぐにかつての同様の思いでもよみがえってくる。負の二乗。時間が解決を促し、熟成を促進させる。
祖母の葬式。顔と名前が一致しないが、見慣れた顔の親戚たちがそれぞれ相応に齢をかさねたすがたで集まっている。わたしの変貌ぶりに異なるひととのあいだでなんどか花を咲かせつつ、かつて最年少だったわたしたちがいまだに最年少の位置を占めていたり、幼少期と比べて式典が縮小化されていたりすることに、疑いようのない「家」の没落(?)を感じる(わたしが生まれるよりもずっと前は、いわゆる「豪商」だった)。妹やいとこらと並んで受付に突っ立っていたが、自分のぼんくらさと女性陣のキビキビしたたたずまいの落差に身を恥じるばかりだった。火葬場では母が咽び泣いていた。わたしは泣くには距離が遠くなりすぎていた。
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ロングライド。事前のルート検索によれば、総走行距離は120km強の見込み。100km超を走るのは人生初だ。前々から水没林を見てみたいと思っていたのだが、チャリを走らせれば行けない距離ではないぞということに気づき、シーズン終了間際にすべりこみをねらった、というわけである。これまで往路は登坂/復路は下坂のコース、あるいは行きと帰りが異なる道となるルートばかり走ってきており、はじめて帰りも同じ道かつ往路に複数ダウンヒルがある道のりを走ったのだが、坂の斜度や距離がさほどでなくとも、たのしさの裏側に「帰りにここ登るのかよ、、」という精神的恐怖が張りついており、坂をくだるたびに肝が冷えていくのが感じられた。そうしてアップダウンをくりかえしているうちに肉体よりも先に心が折れ、当初の目的地まであと峠がふたつのところで退却。水没林はまた来年、となった。じっさいの総走行距離は104-5kmぐらい。ふだん運動しないにんげんにとっての限界が見えた。それにしても、なぜひとは「もうむりしぬたすけて」となるのがわかっているのに峠を登るのか……。

圧倒的山、途中獣臭がすごい区間があったが、あれは熊の痕跡ですか?

これは途中で見かけた川、川で遊びたすぎる、沢登りしてみたすぎる、サイクルウェアを着るようになればそのままダイブしても問題なさそうに思える、トライアスロンみたいに
町田のタワレコが閉店するの報。大学時代によく通った店舗のひとつなのでかなしい。
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すこし前に笛を買った。ティンホイッスル。ポイントが切れるというので使い切るために。同じく、印刷所のポイントも切れますよと言われていて、ステッカーでもつくろかなと思っていたが、パワーがでず、消滅してしまった。
笛、たまに取りだしてピロピロする。同封されたペライチの説明書に記載されていたメリーさんの羊が吹けるようになる。ある日、ベッドに寝転んでいると近所からも笛を練習する音がきこえてき、たのしい気分になる。近所にもハーメルンの笛吹き男/女になろうとしているにんげんがいる。
おまえの音もきこえているぞ、という威嚇として吹かれているのかも、と日をいくらか跨いで思った。二、三度吹いて、いまはもう箱にしまったままだ。
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祖母の足の指と爪のあいだに詰まっていた黒い塊が、爪といっしょに剥がれているのを発見する。
中東情勢の影響(こんな田舎にもしっかりと戦争の影響はでる!)でカスがふたたび失職するという。単身赴任という選択肢が急浮上し、精神衛生の急激な回復が期待されたが、雲行きはあまり芳しくないようだ。とにかくすばやくつぎの職に就いてほしい。わたしの心身がずたぼろになる前に。
ポケモンチャンピオンズMA-2、最終4000位台を記録する。最終レートは2013ほど。SVでは万年5桁だったのでうれしい。つぎのルールであるMBではわたしの大好きなシビルドンやペンドラー、ズルズキンなどが解禁されるということでモチベーションがさらにすごいことになるが、目前のワークの〆切的に1シーズン目はあまりプレイできなさそう。
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いそがしくなってくる。そのうち、なんのアイデアも浮かばないワークが、まいにちいちひらめきすることで着実に前進しており、そこまで導き、発見する手はすごいと思う(発見するのは目か?)。手のうごかしはじめにはなにもないのに、いつの間にかなにかをつかんでいて、なにかしらをちゃんとひらめくのだからすごい。もうなんども言っているが、わたしはほんとうに手で思考している。そのことに自分でびっくりする。
Kさんに誘われ、Tくん、Sさんも交え4人で飲み会。地方に住んでいると尖ったにんげんというのは次第に引力によってひきあい/ひかれあうもので、こうやって一堂に会することになるわけである。カルチャー(主に映画)の話ができる場があるうれしさ。Kさんは店をやっているので必然的に「街」を主軸にした話題がでるのだが、ひきこもりに取って街とは心的な距離が遠いもので、なかなか身に迫ったこととして考えることができなかった。いや、街がもっと「よい場所」(って具体的に何?)になってくれたらそりゃうれしいのだけれども。以前も書いた気がするが、わたしというソフトウェアを展開する場があればよいのだが、、実家では住みびらきのハードルが高すぎる
二軒目には以前Hから教えられ、ずっと行ってみたかった油そば(が名物の居酒)屋にも足をはこぶことができ、ハピハピ。カウンターにはグッピーの水槽が鎮座しており、ちょうどその真ん前に陣取ったわたしは、魚たちの泳ぐさまを見つめながら瓶ビールで油をまとった中太麺を胃を流しこんだ。麺の上に乗ったみじんぎりの長ねぎがやけに辛く、食後しばらく胃を痛めた。
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夕飯の支度をしている際、イカの目玉を潰して体液をとびちらせてしまい、飛沫をまともに顔面に受けてさいあくの気分になる。イカ、もうさばきたくない。
ごはんと言えば、さいきんクッパにハマっている。前日のスープの残りにコチュジャン・豆板醤・ラー油といった何かしらの辛味を足しつつ、卵を加え、ごはんにあわせる。今日の昼は、豚の茹で汁に、コチュジャン+大葉、そせじと卵を加えたもの。うまい。
祖母の四十九日。未就学児か、一年生か、今回はわれわれが最年少ではなくて幼い少年のすがたもあり、ああ、これが親戚のおじさんのきもちかと目尻を細めた。墓石の下のスペース(いわゆるカロート)に向かって穴を掘ってある状態の墓をはじめて見、感銘を受ける。「墓掘り人夫」という存在もフィクション外において、はじめて接した気がする。人生まだまだはじめてのことが多いのだなと希望のようなものを幻視する。
さいきんよくあることなのだが、デザインワークにおわりが見え、あと数手で完成という段に至った際に「誰にも何にも伝わらない」という無力感が全身からしみだしてくる。いったん公開さえしてしまえばその負の感情も薄れていくのだが、この谷を越えるのが精神的に苦痛である。
カスの無職期間がはじまる。心身のストレスがマッハになるが、おわりがすでに見えている、かつ想定していたよりも短い期間でおわるようなのでそこだけが救い。〆切ラッシュと被っているのがつらい。ずっと外出していてほしい。
たんプリサントラ、「逃走と追跡のイリュージョン」のジャジィなピアノ、ホーンの裏手でくりひろげられる、リズム隊のかけあいがサイコー、テレビ放映だと低音がほとんど聴こえてこないので、こうやって曲単体で聴くことで魅力を再発見できる
youtu.be
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今年はツール・ド・フランスを追うことに決める。と言っても、Jsportsの無料配信分と、ハイライトを見るくらいの熱量ではあるが(日本も地上波で流してくれたらいいのに!)。相変わらずポガチャルがつよすぎる。ヴィンゲゴーにがんばってほしい。
ギガファイル便のドメインが云々みたいな話をきっかけに、ついった上でframe.ioというサービスをしり、Adobeユーザーなら100gbまで自由にデータを共有できるというのでさっそくつかってみる。その名の通り映像プロジェクトをメインに据えたプラットフォームのようだが、編集・デザイン業でもぜんぜんつかえそう。ありがとう、ついーとしていたひと。
Aさんがやっているラジオ(?)にゲストとしてAさんの父親がでていて、それを聴く。いまの30代半ばぐらいの世代は、オーバーグラウンド/アンダーグラウンド、あるいはメジャー/マイナー、メインカルチャー/サブカルチャー的な世界観をもっていた最後の世代だ、という話、ひじょうにおもしろかった。サブスクリプションサービスの繁栄によってその垣根は崩壊し、現代の若者にとってはすべてがフラットになっている。その平坦な風景のなかに、二項対立的な勾配を見いだすこの視力は、老いているがゆえの老眼的産物であり、眼球の裏には時代錯誤の烙印をおされているのかもしれない。





