文殊的にクロール(ねはんねはん)

けっきょくそんなもんなんだよなあというあきらめへの対処法について。突破感をしばらく獲得していない気がする。そんなことをぶつくさいいながらも、やっていくためにはやっていかないといけない。不条理なトートロジーだ。SNSの「いいね」に質はやどらない。評価の数量化への抵抗、つまりは言語化ということだ。言語の価値を共有する関係性をつくるために。

めざめて即オンラインミーティング。テクノロジーによる精神と身体の動員を思う。複数名の話をまとめていくのはたいへんだろうなと会話をききながらたにんごとのように考えていた。おわったあとはチャルメラに大根の皮と卵とぎょにそを入れて食べる。たのんだ本がとどいていた。たかだかインスタント麺ひと袋で腹が重く、しばらく横になる。なんどかトイレに足を運び、なんどめかの横たわりの最中に本のおまけの「せなかスター、死後のコレオ」からめくりはじめる。日記だ!とうれしくなる。日記はサイコーである。富士日記もいま手のとどく距離に置いてある。誤字への恐怖。

突然ですが占ってもいいですかという番組の選曲がよいなと親が流しているのを耳だけでみていて思う。そもそもテーマ曲が相対性理論だ。高木正勝平賀さち枝やリーガルリリーが流れていた。会ったことはないがゼミの後輩なんだよな。いま思うと、わたしの入っていた3つのゼミそれぞれにミュージシャンがいた。SSW、ラッパー、ロックバンド。しかもどれもそれなりに名前が売れているのがすごい。おれも売れよう。わたしも売れよう。けっして売れることが目的ではないが、、


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めかじきのバターソテー。にんじんキャベツのタマリンドかつぶしマヨネーズ和え。わたしは濃い味サラダで生きていくね。生トマト食いてーー。食事の支度をしているあいだに親が観はじめていたジョー・ケリー×ケン・ニイムラ『I KILL GIANTS』の映画版である、アンダース・ソルター『バーバラと心の巨人』の後半部だけを観る。原作の記憶がちょっと曖昧かつ、映画をぜんぶを観ていないのでなんともいえないのだが、いい具合に映像化されていたんじゃなかろうか。困難に想像力で立ち向かう構図がわたしは好きなのだ。

『きっと、いい日が待っている』、北欧/施設ものという点で『孤島の王』と比較してしまうのだが、深刻さが向こうに比べ弱いためにせっかくのていねいな演出の積み重ねがあっても作品のパワーとして負けてしまっている。だが、文学的想像力が困難における救済となる尊さをおれはぜったいてきに支持する

このついを思いだした。

だが、「心の巨人」なんて堂々といってしまう邦題はいかがなものかと、公開当時も思ったことをあらためて思った。原題がそんな感じというのもあるが、「きっと、いい日が待っている」も想像力を限定してしまうもったいないタイトルではないか?

ホッチリ、ホッチリ、ぽっちりな

ブルダックポックンミョンで鍛えたおれの胃と舌のまえでは!と軽々しく辛ラーメンに手をだしたがちゃんと辛い。鼻水をだらだら垂らしながら食べる。春菊、鶏肉、卵、チーズを入れた。

ディアオ・イーナン『薄氷の殺人』を観た。

薄氷の殺人、鵞鳥湖の夜でもそうだったがグイ・ルンメイのキレたヴィジュアルが冴え渡っている。殺人や逃走の場面で、緊迫感をつくらずにとぼけているのもよい。雪に埋まったコカ・コーラ、ネオンによって色づく顔面、そしてスーパーロマンチックなラストシーン。ドラマは捨てて、画で突き抜けてくれ!

とにかくグイ・ルンメイの存在感よ。最新作である『鵞鳥湖の夜』に比べてまだドラマに囚われている感があり、すすむ方向はただしいのではと思った。バランスなど気にせずにもっともっと画に重心を置いて、深みへとたどりついてほしい。とはいえ、こっちのほうがよい作品だと思った。鵞鳥湖にはない要素として「まぬけさ」があり、主人公が氷の上で滑って転んだり、弛緩した時間のなかの銃撃戦だったり、そのようなおどけの手つきを好ましく思ったのだった。そうしたムードが鵞鳥湖にあればなどとはまったく思わないし、傘のシーンはじめカッコいい場面も無数に、ほんとうに無数にあるのだが、鵞鳥湖のほうはどうも突き抜けが足りないように思った。これはピエール・ユイグの《The Host and the Cloud》がドラマに足をとられていると感じたときの感慨にちかい。画で語ることのむつかしさ? そういう話ではないだろう。わたしがおもしろいと思ったのは、作品の志向として鵞鳥湖のほうに○をつけるタイプなのに、よかったのは薄氷のほうだったということです。

観おえたあたりで妹の恋人が家にやってきて、ヒップホップ談義をする。E.S.V.やらMoment JoonやらkamuiやらTENG GANG STARRやらを紹介した。恋人の兄とリビングでふたりきりだなんて心中おだやかでないだろうなと心配する。途中、地震があり、ふたりでゆれる。しばらくして妹がシャワーからもどり、でかけていくのを見送る。


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重戦機エルガイム』30-32話。ひきつづきおもしろい。ネイが死にそう。ギワザもあっさり死にそう。こうやって予想するたのしみ、みたいなことをずいぶん忘れていたような気がする。どんなときも欠くことなく画面と物語に彩りを与えていたおふざけ的ユーモアが、ここにきてだんだんと鳴りを潜めつつある。その一翼を担っていたアムがその状況を自らの台詞で明らかにする一場面もあった。ひとつの作品内におけるテイストの変化はダイナミズムがあってたのしい。

夜は鶏肉のあまりをごま油と醤油で和えたのと、昨日のかれいの甘酢あんを白米で。

ピッチフォークフェスの模様を観る。ぜんぜんしらなかったが、リコ・ナスティやカップケーキなどフィメールラッパーたちがカッコいい。V.S.O.P.対談のずーかまさん回を観る。ずーかまさんのボイスパワー。ALTSLUMのあたらしい鼎談を読む。詩人が登場する場面の「(笑)」について考える。寝る。

夢魔ムウマカントリーマアムマルクス

悪夢を見た。中身は忘れたが、悪夢を見たという感慨だけがわたしの身体にのこっている。

布団でうだうだしながらHAPAXにあっぷされた谷川雁論を読み、思想をうねうねさせる願望の胎動を感じた。両極性について触れている箇所、「あいだ」の話をしていると思った。このブログでもそれに関連してなんどか「宙吊り」が云々書いている。いまではもう手に入りづらくなっている『谷川雁セレクション』を模索舎で買ったとき、店主と話していたレジ前にいた高校生の活動家(?)がわたしの購入した書籍について話しかけるでもなくひとりごちたとき、何か反応すればよかったなあと後悔の念がある。そうしたささいなきっかけをひろおうとするしぐさが、あたらしいむすび目をつくるのだ。

夕食はカレイの唐揚げの甘酢餡かけ。アジかなんかの南蛮漬けを食べたいなと思いながらつくった。餡はにんじんと長ネギと生姜に、酒みりん黒酢醤油で。わたしは骨をあまり気にせず料理してしまうが、親は気になるタイプのようで、不満げな様子だった。


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深夜にかけては執筆と制作と素材あつめ。小説のリハビリテーション。おもんねえなあといらいらしながら書く。リクエストタイプのグラフィックはとりあえず案ができる。たのしいなあとうきうきしながらつくる。いちにち寝かせて様子を見る。インデザのファイルを作成してから2時間半でいったん手離れ、と時間を記録しておく。ものによるのだからこんな時間の目安に頼るなと思うが、のちのちのふりかえりのために書いておく。

山田裕城×白土晴一『OBSOLETE』を観はじめる。原案と脚本は虚淵玄虚淵作品はなにげにはじめて観る。パイセンである。1話を観た時点では、ニッチでフェティッシュなミリタリものという感じ。高橋良輔監修ということもあって、ガサラキみも感じる。

ゴブリン、ポストゴブリン、プレゴブリン

音楽におけるゴブリンといえばサスペリアサウンドトラックも担当したイタリアのプログレバンドですが、本稿で紹介するPREGOBLIN(プレゴブリン)は、2016年に結成されたサウスロンドン出身のツインボーカルロック・デュオです。Fat White Family(ファット・ホワイト・ファミリー)の前身バンドのひとつであるThe Saudis(ザ・サウジズ)の元バンドメンバーであるAlex Sebley(アレックス・セブリー)と、Gorillazゴリラズ)、Fat White Family、Dinosaur Pile-Up(ダイナソー・パイルアップ)のメンバーなどとコラボレーションし、近年はJazmin Bean(ジャズミン・ビーン)のプロデュースも手がけているJessica Winter(ジェシカ・ウィンター)のふたりが紡ぐ、シアトリカルで、「ちょっとクサいビッグサウンド(the slightly hammy big sound)」は、ジェシカの家の庭にあるちいさな納屋を拠点に生みだされ、DIYスピリッツをそのうちにこもらせています。

 

 

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どこか気怠げでフォーキーなムードをただよわせる今回の試訳曲「Gangsters」では、経済格差がひろがるばかりの現代に生きるわたしたちを「ギャングスター」になぞらえて、クソのような家賃とローンに押しつぶされながらも、生きていくためにおたがい奪いあっていかざるを得ない悲哀がアイロニカルに描かれています。今回は先に試訳を掲載してみましょう。ヘンテコなところや間違っている部分はどんどん指摘してください。

 

PREGOBLIN  - Gangsters

 

You like money

きみはお金が好きだね

But you don’t have money

でも一文無しだ

Gangsters have money

ギャングスターたちはお金を持ってる

Gangsters love them

ギャングスターはそんな貧乏人たちを愛している

 

You like your flat

きみはきみの安アパートが好きだね

But you can’t pay rent on that

でも家賃が払えない

When payday loans and Wonga

消費者金融の法外ローン

What’s wrong with ya

いったいどうしたのさ

 

Orange juice and white bread

オレンジジュースと食パンを

You’re not listening to a word I said

きみはわたしのいってることを聞いていないね

Strung out and underfed

疲れ果てて栄養失調

You’ve got a bad case of being dead

もう死んでるみたいだ

 

Oh, gangsters

Love them

Don’t you?

おお、ギャングスタ

貧しいやつらを愛するギャングスタ

そうだろう?

 

Oh, gangsters

Baby

おお、ギャングスタ

ねえ

 

Oh, gangsters

Love them

Don’t you?

おお、ギャングスタ

死にかけの貧乏人たちを愛するギャングスタ

そうでしょう?

 

Oh, gangsters

Yeah

おお、ギャングスタ

イエー

 

You save your whole damn life

When you could just rob somebody

きみのくそったれな人生は

他人から奪うことができたときに守られる

 

You and your buddy

Somebody love them

きみも、きみの友達も

ほかの誰かもそうすることに精をだしてる

 

You save your whole damn life

When you could just rob somebody

きみのしょっぱい人生は

他人から奪うことができたときに救済される

 

You and your buddy

Somebody love them

きみも、きみの友達も

ほかの誰かもそうやって生きのびてる

 

かなしい歌ですね。おれたちみんな、ビンボーギャングスター。押しあい圧しあい、どっこい生きてる。途中にでてくる「Wonga」というのは消費者金融のことで、海外にはpayday loanというアコムレベル100みたいなのがあって、これもその仲間のようです。わたしも奨学金の返済がつらくてつらくてしかたがありません。

 

 

 

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楽曲を裏切るようなアートワークのかわいさも、作品にあつみを与えています

 

ジェシカとセブリーのふたりは、ともにポーツマスのヘイリング島にて生まれ育ち、地元のライヴハウスで10代を過ごしていましたが、そこですれちがうことはなく、邂逅を果たすのは数年後のロンドンにおいてでした。はじめてのライヴのために名づけられたPREGOBLINというバンド名は、鎮痛剤のPregabalin(プレガバリン)から取られています。もともとはMichael Gambon Addict(マイケル・ガンボン・アディクト)という名前で活動していたようで、こうしたネーミングセンスにも、楽曲にあるようなひねりのきいた意識がはたらいているのがうかがえます(マイケル・ガンボンは『アズカバンの囚人』以降のハリー・ポッターシリーズでダンブルドア役を務めている俳優です。アディクトは中毒の意)。

 

彼らは「パーティで人々を踊らせること」を曲づくりの中心に据えています。フロアで聴きたい音楽はポップで踊れる曲だと、ジェシカは「The Quietus」誌のインタビューで語っていました。そんな彼らが、「HATE ZINE」という社会正義を掲げるラディカルかつインディペンデントなZINEのリリースパーティで演奏をしている模様がYouTubeに上がっていますので、今回はそれを観ながらお別れです。

 

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冒頭はメンバーであるJessica Winterのソロで、15:36あたりからPREGOBLINのパフォーマンスがはじまります。サムネイルにもなっている、演者も観客も入り混じってステージ上で踊りまくる18:58-がハイライトです

いままででいちばんの火鉢

昨日眠る前、INA『つつがない生活』をトーチで読んでいた。とにかく絵がいい。それはどのカットをコマにするかという選択の連続の反映でもある。

がばと起き、めしを食らいつつ、ひさびさにエルガイム。23-29話まで。22話がすばらしいという話を無化報でもしたが、26話あたりまでずっと高水準の話がつづいていた。クロソ将軍、ミヤマ・アスフィー、チェック、エルガイムmk2と各話に濃厚な背景をもった新キャラ・新兵器が登場し、ドラマをうねらせていた。その後もレッシィvs.ギャブレーの一騎打ちなど、見どころのあるエピソードがつづき、なおかつオープニングも「エルガイム -TIME for L.GAIM-」から「風のノー・リプライ」に変わり、いよいよ後半戦という感じがしてきた(どちらの曲も筒美京平作曲だとはじめてしった)。ダンバインでいう「浮上」あたりの盛り上がりだ。富野がストーリーボードを描いている回もあった。マークツー登場回である。

夕飯は大根とわかめの味噌汁と、野菜炒め。おからパウダーを入れて食感を変化させ、味をからませる。煮物や白和えも再登場する。食後はのこっていたラ・フランスと柿。食いしんぼう万歳。親のすねかじり万歳。いや、後者はほどほどにしておきたいが。

今日もQさんから電話がある。画面越しに東京の空を見る。シャッターにしゃがみこんでいるひとがいる。主婦がお別れの挨拶を交わしている。天井の監視カメラと目が合う。こうして画面を隔てるだけで、目に飛びこんでくるものが変化する。


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こういう3種盛りとか5種盛りとかわくわくしますよね


言葉を考える時間のゆたかさ。考えて生まれるのではない。考えるのは生まれてからである。あらわれたものを目にしてはじめて、ひとは考えるのである。思考に先立つ言葉の到来。では、それはどこからやってくるのか。これまでに経験した時間の地層からすがたをあらわすのである。時間の経過によって摩耗する才能を補完できるのは、経験によってのみである。稀代のひきこもりヘンリー・ダーガーのように生きられないわたしたちは、その先鋭を形成する研磨を自己の内部ではなく外部にもとめなければならない。その数がつくるするどさが、自己においても他者においても食いこむ深度をおおきくし、その数がつくるあつみが、深い根を張るためのゆたかな土台になるのだ。

注ぎ口の採取法

ウェビナーに参加した。web+seminarの造語で、つまりはオンラインセミナーだ。昨日のラジオ終了後にリスナーであり友人のYさんから教えてもらったもの。こちらの音声や画面が共有されていないか不安になる、心落ち着かない体験だった。「ウェビナー」という見慣れない名前だけれども、いってみればこれってニコ生とか、YouTubeライブとか、インスタライブとか、ツイキャスとかと似たようなもんだよなと思った。夕飯の支度をしながらの鑑賞だったのであまり集中して見ることができなかったのだが、たとえば「価値」を置く場所/見いだせる場所をクライアントと共有できるか、とか、「文字」というメディアのもつ装飾性と情報性という二重の重力の話など、本題とはちょっとずれた部分をおもしろくきいていた。前者はしごとを依頼されたときの話で、後者は映画の美術スタッフとしてプロジェクトに参加していた際の話。カリグラフィについての発表であった。

夕飯は、鮭のねぎチーズホイル焼きと、春菊の白和え。春菊はマイラブ野菜のトップ10に入ってくる。ほか、トマト、茄子、あとなんだろう、わらび? しいたけ? 夜にzoomミーティングがあったのでひとりちゃちゃっと食事を済ませ、開始時間に備える。ラジオの効果もあってか、画面を通してのコミュニケーションに慣れが生まれてきて、まあまあ落ち着いて?話せたのではないか。それでも、あそこはああいえばよかったなとか、これも話しておけばよかったなとか、そういう反省がでてくる。そんなのはいつものことである。

深夜にかけては雑務をもろもろ片づける。こっちに来てからてきとーなtodoをスマホのメモ帳に書いて生活をしていて、ここ数日めちゃくちゃたまっていたのだが、ずいぶんとすっきりした。ようやっと明日からエルガイムを再開できそう? 11月中におしりまで到達したいなあとぼんやり思っている。インスタで募集した新しいグラフィックシリーズのためのワードに対して、無反応を覚悟していたのだが意外と反応があって、うれしいきもちになる。少なくとも年内はもちそう。


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そんなことをしていると、Qさんから電話がかかってきて、ビデオ通話がはじまる。いっしょに住むHさんも交えて、3人で2時間半ほどおたがいの創作物や、制作法、無職サイコー話(彼らも無職時代の経験がある)、好きな歌詞、当事者性などについてたっぷりと話す。ラジオはべつにして、こういう話を熱量をもってだれかとする機会はこっちにきてからはほぼないので、ひじょうにアツいきもちになる。もう10年の仲であるが、いま明かされる秘話みたいなものもあり、ねむたい眼(だってもう4時とかだ)を突かれる場面もあった。途中、もう6年も前に書いたわたしの詩について、ものすごい熱量での語りがはじまる時間があり、思わずわらってしまった。これは、ほんとの、ほんとうに、うれしいことである。

いざねむらん、とスマホに充電器をさしこんだりしていると、わたしの親指のつけねをそれなりのおおきさの虫が這っており、いったいどこから、とたちあがり、トイレットペーパーにくるんでバイバイした。

遅足のチャレンジ

起き、パンを食べ、プリキュアラソンをスタートさせる。まずは第一作、第二作。志水淳児『映画 ふたりはプリキュア Max Heart』『映画 ふたりはプリキュア Max Heart2 雪空のともだち』。後者をとくにおもしろく観た。前者がもとのアニメ版の拡大発展系におさまっていたとするならば、本作はその標題にある「ふたりは」に象徴され、「ともだち」という語によっても強調される「バディ」という主題がより強力に押しだされており、ほのか(キュアホワイト)となぎさ(キュアブラック)の対立や、双子的なボスキャラの存在、「本物の友達」と「偽物の友達」といったキーワードなど、そのテーマにまつわる要素が周到に配置され、「ふたり」という関係性をつなぐ友情や葛藤、いがみあいがていねいに描写されていた。

最大の見どころはなんといってもキュアブラックキュアホワイトのバトルシーンだ。まずは敵に洗脳されたキュアホワイトが無抵抗のブラックに襲いかかり、やがてブラックも洗脳されてバチボコに殴りあう展開になるのだが、その関節技までをもキメる容赦のないアクションと、ふたりの足もとだけを映して殴打音をそこにかさねるというまるでミヒャエル・ハネケ的な直接は映さない暴力描写にすさまじく興奮した。操られたホワイトのまなざしも怒りをあらわした戯画的な表情というよりは、狂気の色が浮かぶ生々しいおそろしさをたたえており、巷で「トラウマ映画」と評されている理由がよくわかる出来になっていた。

ほか、なぎさと喧嘩をしたほのかがおばあちゃんと電話をするシーンで、「何かあったのかい」というようなことを電話口で問いかけられた際のほのかの目の泳ぎ用と、黒電話のケーブルを指先でグネグネとこねくりまわしているカットがひじょうによかった。言葉ではなく画で語るのは映画の基本である。

両作の共通点としてはこれまた見どころのひとつである応援シーンと、子供が真似したくなるような「呪文」(かえるピョコピョコ三ピョコピョコ、あわせてピョコピョコ六ピョコピョコ)の存在があって、それがフックのひとつになっているのだろうなと思った。また、芸能人とのコラボレーションもおこわれていて、一作目では工藤静香が女王役の声を担当するとともにエンディングテーマも歌っており、二作目では矢口真里清水佐紀がスキー客として出演するほか、Berryz工房がエンディング曲を歌っていた。

上記に書いたものはだいたいラジオで話したことだが、話していなかったことをひとつつけくわえておくと、必殺技を放つ場面で、プリキュアシャイニールミナス(無印には登場せず、Max Heartにおいて初登場したキャラクターであるが、いまさらながら「プリキュア」でないことにおどろいたわたしがいた)が上を向いて口だけになるカットのカッコよさを挙げたい。面積のちいさくなった顔いっぱいひろがった口のまんまるが表情を隠し、攻撃のダイナミックさを演出する見事な「タメ」として機能していた。


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のち、皿を洗い、シャワーを浴び、服をクリーニングにだしにゆき、ついで買いだしもし、夕ご飯をこしらえる。今日は鶏ごぼう+にんじん、たけのこの筑前煮的なものと、メヒカリの唐揚げ。メヒカリは低温で揚げてしまってちょっとべちゃってしまったが、ちょううまである。煮物もよく味がしみた。○。

食後はゴイティソーロの『サラエヴォ・ノート』をおしりまで読みきってラジオに突入。たのしく疲労する。しょぼい運動以外にふだん疲労することがほぼないので、こうやって週1ペースでつかれることが自分の身をととのえている(ほんとうか?)。ユーゴスラヴィア紛争のこととかもっと下調べしてのぞみたかったが間に合わなかったなというような反省はあるが、話がたびたび逸脱してとっちらかっていく感じがよいかたちをつくるのではと思った。あまり枠をつくらないこと。

ラジオ後はぼんやりネットを徘徊。朝までゆーちゅーぶを観てしまう。フォールガイズやポケモンバトル。ポケモンがほしくなる。家にはスイッチがあるのでソフトだけ購入すればプレイはできるのだが、、手をだしたら一気に時間が吸われてしまうなあと躊躇。育成や厳選が楽になったときくとポケモンバトルがやりたくなるのよな、わたしは努力値とか個体値とかあんまりがんばっていなかったタイプのトレーナーなので、、