すべての熱が冷めたあとに会う

アイドルズ来日の報を見る。2025年1月。勇んでチケット取るか取るまいか。

本、続々と届く。鈴木了二『建築映画 マテリアル・サスペンス』、いわまむかし『二万キロ遠くのひとの相づちを聞く』、いがらしみきお『IMONを創る』をパラパラする。おれはふとどきものなので前付や後付から読む。マテリアルサスペンスの造本、よすぎだろ、と本体に折りたたまれてかけられたカバーを外したりひらいたりしながらためつすがめつする。

夜、切り干し大根とあぶらげと納豆のミルク煮、豚茄子玉ねぎのハリッサ味噌炒め。うまい。

ヴァンパイア・ウィークエンドの新譜を聴く。やっぱりめちゃくちゃいいのではないか??? ラストに配されたhope、あまりによすぎる。スピーカーで鳴らしたい。

ポケモンやる。序盤とはいえ1500位台にまで駆け上がる。前シーズンまで瞬間1万位台でよろこんでいたわたしにとって、信じがたい数字である、、3桁目指してよかですか??

通販、注文した商品のうちのひとつが入荷できなかったとキャンセルされたのに伴って誕生月クーポンの利用もキャンセルされているのに気づく。大した額が値引きされていたわけではないが、事前説明なく勝手な処理をされるのは嫌である。同じようなタイミングでおぼえのないカード利用通知があったが、再計算して決済されたのだろうか? ちゃんとしてくれ、A(Amazonではない)!

夜、豆腐とねぎの味噌汁、にんにくねぎ油のチキンソテー。うまい。



ろくろお『平日奇譚』『夜更けのナッツハウス』『ヴァイオレット・ローズガーデン』読む。よい、、と奥歯で噛みしめるよさがある。これまで二次創作に興味をもてず、コミケ(けっきょくいちども足をはこんだことがない)よりも断然コミティア派の人生を送っていたのだが、たしかデパプリが放映されていた頃についったでろくろおさんの漫画が流れてきてはじめて「!」となり、ずっと購入の機会を伺っていたのだった(BOOTHで絵も売っていたので、好きなキャラ/シチュエーションの絵が販売されるのを待っていたのである)。とにもかくにもキャラクターへのまなざしがするどく、じっさいにアニメ本編で描かれていたとしても「そう」であると感じられる言動をそれぞれの人物たちがおこなっているのがすごいのだ。上北ふたごの漫画を読んだときにも似たようなことを思った記憶があるが、あれは公式といって差し支えないものなので、二次創作のたのしみってこういうことなんだ!とようやくじっかんできた気がする。オリジナルである『平日〜』も含め、キャラたちの表情がすばらしいのも見どころ。


プリキュアコレクション、ひろプリのも買いました
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わんぷり10話。まゆユキ馴れ初め回。ユキもこむぎ同様拾われっ子であることが明かされる。こむぎが泥まみれになり、それを見たまゆがユキとの出会い(ユキもさいしょは汚れていて、洗うことで雪色の猫であることがわかった)を思いだす、という流れが組まれているのだが、ここで用いられる「洗う」というアクションを連接項にガルガルをアライグマにするという作劇がサイコーである。まゆユキの回想はかなりしっとりとしたストーリーで描かれ、もちろんわたしもそのなみだの出会いに落涙していたわけであるが、直後にデザインのアイデアが浮んだ!と家に向かって駆けだすまゆに対して、こむぎの「かけっこかな?」のとぼけた台詞をインサートするリズム感もすばらしい。悟くんが「アライグマは手先が器用なんだ!」と戦闘時にアドバイスするシーンの直後にまゆがプリティホリックの新アイテムをデザイン中のまゆのシーンを入れるカットワークも光っていた(まゆとの連なり、新アイテムはユキがモチーフである、こういう要素同士のかさなりがわんぷりの特筆すべき点であるように思う)。脚本は香村純子。クレジットを見てうれしい悲鳴を上げた。また来てくれ!

通販、のちのちしらべたらキャンセルでクーポンも解除されるのは仕様らしい。なんちゅう方式なんだ、、

ということはおぼえのないカード利用通知は不正利用……? 明細がでるまでは待機するが、不安である。

位置原光Z『青春リビドー山』読む。おもしろい。エロでギャグをやるの、おもしろいな、、となる。近親相姦だのNTRだの完全にエロの領域をネタにしているのだが、そのエロさがわらいのダシになっているのがいい。シチュエーションの淫靡さと、そのなかでおこなわれるずれたかけあいのギャップ。ティアに足繁く通っていた頃に合同誌などで見かけており、おそらく蔵書のなかにもあるはずだが、商業単行本を買うのははじめて。主にOのすすめがきっかけである。

夜、牛丼。具は椎茸新玉牛肉。うまい。

熊の爪を切った男(死後硬直)

わんぷり8話。まゆ転入回。メインの視聴者層の4月の不安(入学・転校etc.)と同期するアバンがまずいい。窓から見える空模様の暗さがまたよく、これがラストではよく晴れた夕日になっているという着地のさせ方もサイコーである。これまでの感想でも触れているが、本作ではコミカルな演出にかなりちからが割かれていて、こむぎもいっしょに家をでようとする登校シーンのスローモーションや、駄々こね飛びはねこむぎと、それと連動するいろはの目線など、いちいちおもしろく描写されている。また、わらいだけではなく、転入挨拶前のまゆのつま先での感情表現や、友達の多いいろはと自身を比較するシーンといった繊細な心情をあらわす場面も◎である。担任が乗馬部顧問であるという点をひっぱっての馬ガルガルという流れもぐっど。

絵コンテは高橋裕哉。はじめて見る名前で、劇場版の助監督などを務めていたそうであるが、本編参加はどうやら今回が初? ディティールへの意識が感じられ、かなりよかった気がする。演出はヴェテランの岩井隆央。脚本は千葉美鈴。こちらもはじめて見る名前。プリキュアへの参加自体もおそらく初?

メタリックルージュ10-11話。10話、せっかくのうえのきみこ回なのに所々作画があやしくてざんねん。ルジュからナオミに対する「最高の他人」という形容がいい。11話、人形劇によってバックグラウンド(?)を開示する演出スタイルはウテナを思いだした。こんな薄いメモしか取っていないが、ちゃんとたのしんで観ている。

夜、そば。つゆは春菊・筍・豚肉を具にめんつゆ・白だし・生姜などを適当に混ぜて。うまい。

ギャラが複数入り、懐に余裕ができたのでほしかった本をぽちぽち買う。

わんぷり9話。こむぎ登校回。犬のまま制服を着るこむぎのかわいさ。とにかくこむぎといろはのかけあいがたのしい。それを為す表情のよさもまたいい。前話ではまゆと視聴者をかさねあわせていたが、今話においてはこむぎとかさねる感があり、「学校ってとってもワンダフル!」と下校時に快哉を叫ぶ彼女に対するまわりのやさしさが、はじめての学校(あるいはクラス)の不安を解消する要素にもなるのではと思った(いろはが学校は遊ぶところじゃなくて勉強するところなんだから、と説教を垂れるのもいい)。Aパートにおいてこむぎはゴールキーパーとしての才能を発揮して活躍するが、Bパートにおいてはそれがバトルへ応用されるのもよかった。

朝、昨日のつゆに卵を入れてうどん。うまい。


▼チラシデザインをやっています、4.20-26、下高井戸シネマにて、ぜひおいでください! 5-7月に京都・大阪にも巡回します○


草枕閉店の報。ショック! コロナの後遺症で店主の嗅覚がもどらないためという経緯もショックである。せんじつの滞在中に足をはこべばよかった。

予算確保のために見積りをださせておいて、次回もよろしくお願いします云々と言いつつも以後シカトの上でじっさいにはべつのひとにしごとを依頼するムーブってマジなんなんだ。ぺろぺろ。なめられが加速している! ふつうに連絡してくれりゃいいじゃないか、、マジでこんなんばかりだよ。

あとまわしにしつづけていた雑務をフィニッシュさせる。

WEB版ポパイに掲載されている廣瀬純の映画ラジオ、自己紹介回聴く。音楽の話に差し掛かった際の「(ベースやドラムの)ドゥンドゥンが嫌」という話、ウケる。この極端さがおもろいんだよな。

夜、キーマカレー。玉ねぎ、じゃがいも、茄子。トマト缶、ヨーグルト、クミン、ターメリックコリアンダーナツメグクローブフェンネル、シナモン、ブラックペパー、カイエンペパー、ハバネロペパー、にんにく、生姜、塩。うまい。都内でのカレー屋めぐりを受けてのチョイスである。

ジョン・バース死去の報。『旅路の果て』が印象に残っていて、というかそれ以外読んだことがないのでほかの作品が読みたいが、中古のドデカ単行本しか流通していないので手がのびにくい。白水社さん、uブックスにどうですか。ほか、各社文庫でいかがですか。死をきっかけに手に入りやすくなるなんて皮肉な話ではあるけれども、手に入らないままよりは断然いいので、そうなってほしい。


▼旅路の果てはブログでも感想を書いている
seimeikatsudou.hatenablog.com


ラジオ。開始時間がずれたのもあって語りもどこかずれていた気がする。井之頭五郎が「ものを食べるときは救われていなけりゃダメなんだ」云々と『孤独のグルメ』のなかで言っていたが、ラジオもそうで、放送環境が諸事情でみだれていたのがかなりしゃべりに影響していた。安全・安心な状態でなければパフォーマンスは発揮できない。

夜、豆腐とねぎと豚の和風スープ、唐揚げとねぎのヨーグルト炒め、チーズ白だしオムレツ。うまい。

ポケモン、序盤とはいえ、はじめて瞬間4桁に突入する。うれしい。新たに入れたシャンデラがいい味をだしてくれている。伝説環境に突入する前に、4桁フィニッシュを達成したい。

いちどもふりかえることのない思いでにすがって生きているひとの背中

パルコをうろつき、ポケセンで誕生月を祝われたり(ブーケをもっていたら店員が声をかけてくれてポケモンに祝ってもらえますよ!と教えてもらったのに声をかけてもらえなかった、かなしいね)、TWO FACEを試着したりしたのち、シネクイントホワイトでヨルゴス・ランティモス『哀れなるものたち』。おもしろかった。マイベストランティモスである『籠の中の乙女』のような趣もありつつも、それがかなりエンタメしていて、観る前に心配していた長さはまったく感じなかった。ベラのファッションがファティマみがあって、行きそびれてしまった永野護展成分をここで代替摂取した感じがあった。ここで試みられているフェミニズム的なストーリーラインについて観おえたあとに何か考えていた記憶があるが、これを書いているいまはもう薄れてしまったので感想はおわり。封切りからかなり時間が経っているはずだが、満席だった。

リズム&ブックスなどをチラ見しつつ、下北沢に移動してK先生とカレー。向かう駅のホームでばったり遭遇し、わらった。KALPASI。バチバチに美味だった。少々並んだが、十二分にその価値がある味。とりわけポークビンダルーが圧倒的うまだった。つぎ来るときはジェラートも食べたい。いっしょにやっていたワークのおもしろ裏話なんかをしつつ、喫茶店に移動し、さいきん観た展示だったり映画の話などカルチャートークで盛り上がる。いつもごちそうになってばかりだったのでお茶代ぐらいはとかえすことができる。

帰ると、A、Nちゃん、Kさん、Hさん、Qさんが飲んでいたので混ざる。Kさんとは前回の公演の打ち上げ時にハグをしたそうであるが、まったくおぼえておらず、その喪失した記憶を挽回するかのようにロボットの話で盛り上がる。ザンボットやトップをねらえ!の話がひととできるのがうれしい! 途中、公演後のスペースとインスタライブも挟みつつ、遅くまで飲酒する。「だれかのつくっためしがうまいのと同様に、だれかのかける名曲もいい」とたしかQさんが言っていて、いいこと言うなあと耳を傾けていた。

Hさんとリベンジ寿司。藤沢の寿司もおいしかったが、銚子丸の寿司もうまいのである。内装が変わっており、親しかった(?)おじちゃん店員がいないのが気になった。

渋谷に移動し、シネクイントで三宅唱『夜明けのすべて』。よかった。年間ベスト級。卓球をするシーンの時点でボロボロ泣いていた。ああ、この映画は主人公たちを囲む登場人物のそれぞれにバックグラウンドがある、ということをしっかり描くんだ、と感動していた。だれかを失ったかなしみを何年も抱えているひとたちが、笑顔でピンポン球を打ちあっている風景の尊さ。そこで打ち返されているのはボールだけではない。心の通いがアクションとして描かれているのだ。なんてすばらしいんだとなみだが止まらなかった。

山添くんがチャリで街を走っていくシーン(藤沢さん宅からの帰り道だったかな?)。カメラが寄りになり、映画(-ドラマ)のリズムとしてもこのあと何かかなしい出来事が起きるのではないか?と思ってしまう時間があったのだが、それが起きない。わたしの心配をよそに、公園を大きくぐるーっとまわって自転車はかろやかに走っていく。この一連のシーンもかなり印象として残っている。劇的な何かがそこで描かれているのではないのに、そこで何かが乗り越えられた、と感じる。巧みな撮影・編集・構成だと唸った。映画ってほんとうにすばらしいな!というよろこびがあった。



何年ぶりかわからぬほどひさしぶりにmoscotへ。いろんなフレームを試しつつレンズ交換をする。視力のおわりは前々から感じていたので、目が見える!と感動する。

ル・シネマにて望月智充海がきこえる』。かなりの大入り。上映前にざわめきがある客層で、それだけでたのしい気分になる。むかしゆーちゅーぶに上がっていたMADを観て以来気になっていた作品で、スチルにも惹かれるものがあり、もしやマイベストジブリを塗り替えるのではとかなり期待していたのだが、そんなことはなかった。ささくれ立っているヒロイン、はマジでいいのだが、その牙がいとも簡単に抜けてしまうのに対してなんでだよ!となってしまった。おれには海がきこえなかった(サイドバイサイドの男ふたり、海をながめるシーンはサイコーである)。フレーム内フレームをつかった演出も「思いで」感がマシマシでひじょうによかった。


▼MAD、再アップしているひとがいた、めちゃくちゃいいよな、、
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新宿に移動し、えっちゃんラーメン。にて中華そばを啜ったとあとは十月へ。店主のKさんと談笑しつつ、ビールと焼酎を飲む。前々から話にきいていたMさんが途中やってき、ようやく初対面できる。ちょうどMさんが企画したという展示の話をしていたところだったので、めぐりあわせというのはつよいなと思う。話しているといろいろと共通点(?)のようなものが見つかり、たのしい時間を過ごす。閉店まで残り、Kさんといつものバーへ。マスターはわたしの好みをおぼえていてくれ、弱めのやつを、というオーダーでたいそうおいしいハーブ系のカクテルをつくってくれた。うれしい。

家に帰ると、Y、Nちゃん、Oくん、Sさん、Hさん、Qさんがすでにしあがっており、主にHさんのおふざけを聞きながら夜が更けていった。

起床し、Hさんとリビングでダラダラしていると、すでに出勤していたかと思われたQさんがのっそりと起き上がってくるではないか! うれしいサプライズによろこびつつ、3人でカレーを食べに行く。荻窪はすぱいす。うまし。みんな大盛りで頼んだのだが、想像以上の盛りで、なかなかたいへんだった。食べている最中、牛すじカレーはあまり相性よくないかも!と思ったので、次回はべつのメニューを頼もうと思った。脂身がきついからだになってきている。

改札前まで送ってもらい、新宿で土産などを買い帰路へ。ポモロジーの焼き菓子、おいしいよね!

つかまり勃ちの子供たち

後ろの予定までにはまだ余裕があったので、併設された谷内六郎館にも寄っていく。かつての自分であればスルスルっと展示室を通過してしまうタイプの作家であったのだが、わたしもこういう絵に感動する年齢になったのだなと、以下のような絵をながめながら思った。


▼タイトルがまた泣かせるんだ


また、展示室内の窓に半透明のブラインド(?)がかかっていて、その風景がよかったのでカメラをまわした。かつてそういう意識をもって生きていた時期があり、むかしのスマホにはそうした映像素材がいつか映画になることを夢見ながらねむっている。


▼こんな感じ


ギャラリーショップではヤンキーの集団がおり、美術館という場所とのアンマッチ感に感動したりしつつ、帰路へ。バス停でまたも潮風たっぷりの嵐に襲撃を受けながら、きゃあきゃあ声を上げるジブリ展帰りのガールズたちとともにバスを待つ。のちにバスが満席になるほどの客が機能していない屋根をはみだして集まっており、「あ、(バスが)きた」「うっそーん」という少女たちの戯れも、こんなあばれ雨のなかでは悶着の発火点になりそうで、耳にしながら内心ドキドキしていた。

藤沢に移動し、駅前の喫茶店でAと会合。ピザを食みつつ瓶ビールで乾杯する。さいきんはAIに凝っているというA。わたしはほとんど触れずにここまできているので、へえへえなるほどとたのしく話を聞く。ビットコインでもなんでもそうだが、新しいものにビャっと飛びつけるフットワークがものをいうのだろう。わたしの足はきわめて鈍足である。のち、前回も足をはこんだいろは丸へ。カキフライや筍の天ぷら、鰤刺しなどをつまみにまたもビールをやる。カキフライが3個で一皿だったので、「これ4個にできますか?」と店員に訊ねたら「できますよ!」とのことだったのでそうオーダーすると、ずいぶん時間が経った頃にべつの店員がやってきて「カキフライは(4皿ではなく)個数が4つってことですか? それはできないんですよ」と断りに来るシーンがあった。もちろん4皿も食べられないので、4個にいちばんちかい1皿で再オーダーしてすぐにでてきたが、おそらく無駄になってしまっただろう3皿に想いを馳せた。


▼前回藤沢来訪記
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食後はまたコージーコーヒーコネクションにてチャイ。今回は店内で。うまい。なぜかプリキュアを店長にプッシュする時間があり、退店時には観てください!と言って店をでた。

帰ればY、Yさん、Nちゃん、Sさん、Qさんが酒盛りをしているので混ざる。ここでもプリキュアの話をしたおぼえがある。Yさんは関西から上京してきたばかりで、QさんやNちゃんの京都コネクションの間接的なつながりが明らかになって盛り上がったりしていた。グリーンがいちばん好きなミュージシャンだというYさんのまっすぐさがまぶしかった。



Hさんのベッドで深いねむりに落ちているとHさんが帰ってき、いっしょにお昼を食べに行く。道中、次回公演や次々回(あるいはその先?)公演のアイデアを聞き、おもしろい!となる。恒例の銚子丸に足をはこぶも開店前で、踵をかえしてバーミヤンへ。バーミヤンに立ち寄るのはいつだかのコミティアの帰り以来か? というか、人生においてそのタイミングでしかバーミヤンに寄ったことがない気がする。それほどまでに馴染みのないファミレスである。台湾フェアをやっていたので牛肉麺。まずい、、ショックである。Hさんはライス付きで坦々麺をもりもり食べていたが、食べすぎた、、と残していた。

渋谷へ移動し、ユーロスペースにて清原惟『すべての夜を思いだす』。ラジオでもいろいろ話したのでそこで話していないことを書く。終盤、知珠が徒労の末に公園のベンチにたどりつき、夏とその友人が花火をしているのをながめている一見美しいシーン(ハッピーバースデイ・トゥ・ユー!)がある。夏の立場に立ってみれば、ひとりでダンスの練習中に遠くで自分の真似をしていたにんげんが、同じ日の夜にふたたび自分を見つめているのはかなり怖いのではと思った。その二重性がおもしろかった。同じ行為・現象・言葉も、角度を変えて見つめてみればあらたなかがやきを放ちだす。そういう可能性が随所にあらわれている映画だと思った。かなり暗い感じに幕切れてしまったという印象を受けて劇場をあとにしたのだが、そんなことはないのかもしれない。これはいんすたでも少し触れたことだが、中盤のESVがかかるダンスシーンがほんとうにすばらしかった。呼応しあうにんげん、共振するにんげんというありかた(?)はわたしのなかでかなりおおきな場を占めているモチーフで、それは岸田将幸中尾太一といったゼロ年代詩人たちの影響のもとにそうなったのだが、それがふたつの集団のおどりという映画の内側と、AokidさんとESVというわたし自身のよくしったひとらがここで〈共演〉しているという映画の外側のふたつで起こっており、つまりは倍速コードの破壊衝動でわたしはノックアウトされたのだった(いや、倍速でも破壊衝動でもないのだけれども、、その語が降ってきたのだった、二重の共振性……

リトグラフで刷り、一部一部手製本したというパンフも別丁の判型ちがいの紙が組み込まれていたり、舞台となった多摩ニュータウンのマップの付録がついていたりと、つくりも含めてたいへんよかった。ほんとうは本作の公開をきっかけにRさんがつくったZINEもほしかったのだが、受付では販売していないということで買いそびれてしまった。

乱交する街

劇場でははるばる遠方からやってきたBちゃん夫妻やTさんなどに挨拶をしつつ、雨脚がつよまるなかを小走りにIくんとサイゼリヤへ。IくんがKとやっているラジオの話や、さいきん触れているというAIの話などを聞きながら、今日は二次会ないしな、とデカンタのワインをガブし、すっかり酔っ払う。が、前回これで記憶を失っているので、ちゃんとセーブする。Iくんは今度小説を書いて即売会に参加するようで、その報告をうれしく思った。文芸サークルの友人たちのうち、いまだにものをつくりつづけているひとらはもうほんとうに少数で、だからこそ、こうやってまだ「やっている」ひとがいることがかなりはげましになる。解散し、あとは帰るだけのタイミングで撤収作業をおえたHさんから連絡があり、劇場に閉じこめられたりしながら合流し、おつかれさまでしたと挨拶をする。のち、移動したりなんだりしつつ、解散する。

永野護展に行く予定だったのだが、会期は昨日までだったということで、長らく行きたかった東映アニメーションミュージアムへ。コロナ真っ盛りの時期にその存在をしり、当時は予約が必要だったためになかなか足をはこべなかったのだが、いつの間にかその措置は解除されていたのでようやく。東映アニメーションの1階に常設されてあるので、ここでプリキュアがつくられているのか、、の感動がまずあった。プリキュアコーナーでは昨日放映があったばかりの最新話のスチルが展示されており、そのスピード感におどろいたりもした。目玉である全プリキュアのボードの前で写真も撮り、これまたプリキュアファンにとっての聖地のひとつであるT・ジョイSEIBU大泉をチラ見したり、その階下のゲーセンでUFOキャッチャーに硬貨を吸いこまれたりしながらバスに乗って吉祥寺へ。

一日と百年をまわり、ポール・ヴィリリオとステファン・エセルの本を買う。のんき、というお店にも行ってみたかったのだが閉まっていて入れなかった。時間に余裕があればバサラブックスにも立ち寄りたかったが後ろに予定があったので素通りし、またバスに乗って的ラジオの収録へ。キッチンに立ち、春菊と卵と何か(椎茸だっけ?)の炒め物をつくって同人のみんなと食べもした。Oは生姜ごはんを炊いてくれた。広いキッチンで料理できるのはうれしい。複数名でのラジオは不慣れだが、まあなんとかなったのではないか。公開はおそらく5月? おたのしみに。ラジオのほか、ハラスメントをめぐるもろもろの話題にもなり、知見を深めた。SNSの時代における「後処理」ってマジでむつかしすぎないか?

HQハウスにもどるとTとMさんがおり、乾杯する。Tはわたしより年齢が上だが学年はいっしょであり、HさんQさんは年齢は同じであるが学年は上、4人のなかではTが最年長という構図で、わたしは学年基準で敬語が発生するタイプのにんげんなので、Tをどついたりしているわたしのすがたが新鮮だとHさんQさんがわらっているのがおもしろかった。さいきんのおもろ漫画をすすめたりすすめられたりしつつ、たのしく夜を過ごした。TとMさんというなかなかない組み合わせなのも新鮮でよかった。

銃弾で撃たれ、歯がぽろぽろ抜けていく夢を見た。

寝坊。まあいいかの気分でHさんとインドカレー。お気に入りのニットの袖をサラダにかかっているオレンジ色のソースで汚し、テンションだだ下がり(食器洗剤をつかったりなんだりしたらちゃんと落ちた、ピース)。ドデカナンがでてくるカレー屋はかなりひさびさな気がする。マトンとダル。うまい。サーブされた時点ではナンおかわりしたるぜ!のきもちだったが、半分くらい食べたあたりでむりだぜ!になっていた。デカすぎる。

横須賀へ。遠すぎる。横殴りの風雨にぶちのめされながら、ジブリ展に行くであろうきゃあきゃあ声を上げるガールズたちとともに海辺の道を美術館に向かって行進する。せっかくの海辺だし、あたりを散歩したいと思っていたのだが、それどころではない大時化である。

わたしのお目当てはジブリ展ではなく、「日本の巨大ロボット群像展」。鉄人28号を起点に、マジンガーZゲッターロボガンダムガオガイガーなど、日本の巨大ロボットの歴史をたどりつつ、そのリアリティを解剖していく展示構成。原寸大のガンダムが平面状態で床や壁に設置してあるインスタレーション(?)と、アニメのひとコマをレイヤーごとに分解して展示するスタイルの展示物がおもしろかった。


▼こんな感じ


展示としては富野展の方がおもしろかったな、という印象なのだが、展示室をめぐっていると、あらためて自分はロボットが好きなんだなというじっかんが湧いてくる時間があった。スタジオぬえ宮武一貴によるコンバトラーVマジンガーZライディーンが立ち並ぶ巨大絵画は、もはやわれわれにとっての宗教画ともいえるような風格を帯びていた。

展示を観おえたあとは建築をながめつつ、図書室へ。美術館に併設してある図書室は、だいたいどこも空いていていいんだ。「荒野のグラフィズム」展のカタログをめくっていると、谷川俊太郎の寄稿文のなかで「理想の朝」を問われた際に「(そもそも)朝は嫌いだ」と答えた粟津潔が描写されており、おもしろかった。ねむい、寝ていたい、というような文言もあり、わたしも睡眠派のにんげんなので、そんなところまで信頼できる!とうれしいきもちになった。

不釣り合いな形容詞を並べ立てた部屋

ずいぶんと前に先月入る、と聞かされていた入金が今月もおわろうとしているのに未だなく、大丈夫か?(おれの人生が)となっている。来月の引き落としまで入金がなかったら死である。クレカがなかったらすでに死んでいた。来ない入金を当てに買い物をしている。人生綱渡。

ワークワーク。いまうごいているもの次第で東京滞在の日程のはじまりが決まり、そろそろうごきだすであろうもの次第で東京滞在の日程のおわりが決まる。こういうバカみたいなスケジューリングはやめよう。未来のわたしへの忠告。

夜、豆腐の味噌汁、菊芋と新たまと豚炒め。うまい。

小泉義之が言及しているのを見て聴いたリルアッシュ懺悔、いい。モーメントジュンの「ラッパーって奴らは今日も言うことないから歌詞に入れたbitch」があたまによぎりはするが、確かな「リアル」があるように感じる。

ワークワーク。抱えていたもろもろがぶじフィニッシュ。ぱちぱち。これで事前に想定していたスケジュールで東京滞在ができそう。はやめに寝室に退散する。

圧倒的寝坊。はやめに寝室に退散しようが、ついついゆーちゅーぶを観る日頃の習性と、アラームをひとつだけにした慢心がこういう事態を引き起こすのである。めちゃくちゃ急いで準備すれば予定の電車に間に合う時間ではあったが、そういう生き方はやめようということでのんびりリスケを開始する。「のんびり行こうよ、人生は。」とのび太も言っていた。にどねさんどねも済ませ、ダッシュで駅まで向かっていると、親から「なんで鍵を持っていくんだ」との連絡があり(家に通ってくれているヘルパーさんの都合上、鍵が必要なのである)、さいあくだ……と思いながら道の途中で引き返す。帰ってみると、妹の鍵があるのでべつに戻る必要がなかったことが判明し、ひと悶着。つぎの電車までの2時間が吹き飛び、リスケした予定は壊滅する。さいあくの幕開けだ。

昼、れんこんとしいたけと豚肉のすっぱ炒め。うまい。飯を食う時間ができたと思えばまあ、、



ということで遅い電車に乗って東京へ。紀伊國屋を冷やかしつつ、HQハウスヘ。ぐうたら通話をしたのちに映画を完成させたばかりのSさんも駆けつけてくれ、Qさん、Sさんと3人でひと缶のチューハイをわかちあったのち(びんぼったれでいいなあ……とQさんがわらいながら独りごちていた、まったくその通りだ!)、駅まで向かう道中にあるずっと気になっていた焼き鳥屋へ。お店に着くとすぐにOくんもやってきて、ガチャンと乾杯する。いい店である。お手洗いに至るまでの謎スペースにはイースタンユースブルーハーツの8inchが飾ってあった。いい店である。ドデカ唐揚げと鶏のなめろうなどに舌鼓を打ち、ビールをガブする。次回は鳥刺を食うぞ!の念を胸に抱え、コンビニで酒を買いこみ、家へ戻る。夜中までアジカンの話をし、就寝する。

早起きして町田版画美術館に行く予定は二度寝によってついえつつ、粟津潔邸へ。ジョナス・メカス「われわれは理想主義者でなければならない」展。屋上から家に入るつくりのおもしろ建築にまず衝撃を受ける。家の前でどこから入るんだ?と迷っていたわたしに「あそこから入るんですよ」と教えてくれた親切なお客さんのあとをついて受付を済ませたのち、1階までぶち抜きの階段を降りながら左・右・後に設けられた各部屋(=展示室)を迷路のようにめぐっていく。床が改装中であったり、まだ寝室に布団が敷いてあったりと、無菌室的なホワイトキューブとは異なる場の雑然たるムードがおもしろく、メカスのフローズンフィルムフレームスや詩篇とともに、床近くに設置された窓から見える中庭などをたのしんだ。タイトルにつけられている「われわれ」。この意識をそれぞれがもつことに希望や可能性を見いだす、いやマジでそうなんだよなと自分がワンウォールにでたときのステートメントのことを思いだした。


▼これです

https://www.tumblr.com/seimeikatsudou/180052331213/1wall18
seimeikatsudou.tumblr.com


会場には次回展示の下見に作家の方が来ており、その方とともに、コラボレーターである誰でも知っているスーパーミュージシャンのCを家主に紹介される一幕もあった。ワンテンポ遅れて「え、あの**?!」となって咄嗟に反応できなかったのだが、後になればなるほどふしぎな出来事だったなと味がでてくるのだった。めちゃくちゃおしゃれであった。

王子に移動し、劇場の入り口で不審者とまちがわれながらブート版フライヤーをHさんに託したあとはお札と切手の博物館にて開場まで暇つぶし。受付しようとしていると後ろから声をかける者があり、ふりかえるとIくんが立っているではないか。同じ回を観るために早入りしていたということで、いっしょに世界各国の紙幣や切手をながめ、インフレ国家の桁のでかさにわらったり、エングレーヴィングの技術に関心したりする。

排気口『光だと気づいた順に触れる指たち』@王子小劇場。代弁の構造、というのをおもしろく思った。舞台上にはあらわれないお爺ちゃん(この台詞の上でのみ登場する存在は近年の排気口に頻出するキャラクターな気がする、ゴドーはドラマをつくるということだ)の言動、レミコの秘められたきもち、亡き息子についてのお父さんの懐旧、ほかにもいろいろあった気がするが、それらが別の人物によって語られるというフレームを印象的に思った。その骨格があるからこそ、本人の言葉がでてくるシーン——たとえば、くらげやおかかが告白する「はじめて」のよろこびが際立ってくる。

ピノがパニックになって鼻くそを食べるふざけがめちゃくちゃおもしろかった。鼻くそとは身体と世界の境界に生まれるその混淆物であり、人体の防衛反応の証でもある。世界と切り離されたホスピスという舞台、あるいはピノが詐欺師かつ泥棒のクソヤローである点を踏まえてこのコミカルな芝居を見つめなおしてみれば……と書きすすめていこうと思ったが、とにかくおもしろかったことに尽きるのでやめる。

レミコとタカシによるラストシーンは『午睡荘園』3場のサイドバイサイドの構図(こちらもかたわれはレミコである)を思いだした。しかし、格段に本作の方がいい!と思った。観ていて、空気がぎゅっと詰まる感じがあった。舞台上と客席に、ムードがしっかりと根を張っている感覚があった(悲哀にもおどけにもあきらめにも傾かないレミコのぜつみょうな表情がかなり効いていたように思う)。暗転を挟んで、そこにはだれもいなくなっている、という幕切れもすばらしい。みんな星になってしまった。そのさびしさを抱えて、わたしたちは帰路につく。星を呼ぶのではなく、星になること。そしてそれをながめる/ながめようとすること。


▼『午睡荘園』について触れている記事、好きな作品というじっかんがあったので、この記事を書くにあたって読みかえして「なんか文句ばっかり言ってる!」とおどろいた
seimeikatsudou.hatenablog.com


観ている最中はあまり気にしていなかったのだが、観劇後しばらく経ってからあきら氏が少年役であったことの新鮮さが浮き上がってきて、まっすぐさが身体から発されているようなまぶしさがあったなと思いかえした。これまで比較的クールな役割のキャラクターを演じることが多かったように思うが、意外とハマり役なのかもしれない。

観おえた2日後、フライヤーをながめながら藤沢の喫茶店でAくんと話していた折、「役者の名前に、みんな木とか川とかあるね」と言われておもしろかった。自然ゆたかな客演チーム(劇中にあらわれるふたつのチーム……読み解きがいがあるのでは、だれか書いてください、ほかにも何か書こうと思っていたことがあったのに何も思いだせない、おれはもう記憶力がカスになってしまった……)。

飴を舐めるように過去を抱いて

ワークのすすみよく、〆切地獄も完全に脱した感があり、家族が皆旅行なりなんなりにでかけ、数日間のびのびできそうなのでめずらしくビールを開ける。うまい。

朝、チーズカツ丼。カツはできあい。うまい。

いい天気。いんすたで見かけたイベントに行こうかなと思っていたが、なんだかんだワークに手をつけてしまい、そしてポケモンもいい具合に勝てる波がきていたのでひきこもることにする。12敗ぐらい負け越していたのが、勝ち負け半々になる。この調子でいけば今期は4桁フィニッシュが目指せるかもしれない。キラフロルちゃんのうごかしかたがわかってきた気がする。

夜、鮭とえのきとチーズのクリームスパゲティ。うまい。

食べつつ、ようやくプリキュアオールスターズFを観る。劇場で観た以来だが、やっぱりスーパー大傑作である。序盤の涙ぐみ、みたいなものは劇場とちがってそのじっかんは薄いのだけれども、中盤以降はやはり涙ぽろぽろ、演出があまりにすごすぎてわらいさえでてき、さらにまた涙ぽろぽろ。ありがとう&あいしてるな1本だ。


▼劇場で観たときの感想
seimeikatsudou.hatenablog.com


昼、チーズハンバーグ&餃子丼with味噌マヨきゅうり(餃子は冷凍)。うまい。

夜、チゲ餃子うどん。うまい。

朝、チーズカレーうどん。うまい。

夜、ひき肉玉ねぎ茄子人参のかつおだし炒め、キムチ、インスタントの卵スープ。うまい。

わんぷり7話。和解回。土田豊演出回でもある。前回の予告で披露されていたようなアホ顔こむぎ(メエメエの想像内というのがまたウケる、あるキャラがべつのキャラにどのように思われているかの形象……)のようなギャグ描写がピカイチなのは当然のこととして、家出してしまったこむぎを探すいろはのカットのなかでそのさびしさを画で伝えるためにドッグランを巨大化させたり、悟くんがこむぎにいろはとの和解の道を指し示すシーンで閉じたブラインドが風を受けてひらりめくれあがるカットをインサートしたりと、感情を増幅させる演出にグッとくる。大福が「〜だぜ」語尾を用いるハードボイルドキャラであるのが明かされる話を彼の担当回にする組み合わせもサイコーである(だいぶ演出サイドによるふくらませも入っているのではないか?)。デパプリのカトキ回であった弾幕演出が、ここね→まゆとオドオドキャラにおいて反復されるのもよかった。先にキャラの想像(妄想)を絵にすることによって、キャラ同士の関係性を示す演出に触れたが、まゆが愛猫であるユキを想像する際のその「数」によって愛のおおきさがわかるのもおもしろい。

こむぎといろはを新たにつなぐ洋服ハーネスがまゆからのプレゼントであるというのもすばらしい作劇。ていねいな関係性の構築。ありがとう成田良美、、と毎週のように思っている。ガルガル出現後、いろはのもとに向かうよりもガルガルへの対処を優先するいろはと、ブーン状態で遊ぶようにガルガルのもとへ向かうこむぎの対比もおもしろかった。そんな「プリキュアとしての自覚」が足りないとされるこむぎが、誰にでも手を差し伸べるいろは同様に「いろはを助けたい!」というきもちを胸中に起こし、それがフレンドリータクトのちからも呼び起こす流れもいい。戦闘後の「私、こむぎと、ワンダフルといっしょにいるときがサイコーにワンダフルだよ!」、おれもワンダフルだよ!と落涙。

ED後にはまさかの映画告知。まだ3月なのに! ナレーションにはひろプリとまほプリの参加匂わせもあり、テンション爆上げの朝になった。



いまさらながら、デイリーでないのにデイリーでいいのかというセルフ疑念がある


もりもりポケモンをやる。ラブポケの1匹であるシビルドンを泣く泣くアウトし、代わりにダイパ時代に旅パの相棒であったエンペルトを迎え入れる。いい感じに活躍してくれ、4桁が目前となるも、そこからが勝ちきれない。ノーウェポンサケブシッポがやってくれそうな気がしているのだが、プレイングに慣れが必要でむつかしい。ひとつ技を入れた方が安定するだろうか?

同人誌まわりのもろもろをすすめる。

今日は山形からTがやってき、Kも合わせて3人で飲む日。先にTと合流し、買い出しと鍋の準備を済ませ、Gへ。ようやくランビックを飲むことができる。酸っぱい! 夏によさそうである。そのあとに飲んだ瓶のやつ(名前を忘れた)は後味がかなりパンみがあり、たのしかった。クラフトビール、ラブ! のち、仕事帰りのKと待ち合わせし、酒を買い込んでT宅にて鍋を囲む。Tもわたしもペルノが好きなので、水割りをガブガブやる。深夜まで酒をやりつつそれぞれの人生の歩みがたしかめられ、それは語られる言葉だけではなく、所作にもあらわれるのだ、とTの細やかな心配りを見て思った。だれかとともに暮らすことの身体性、みたいなことを考えた。

早朝、別れ、Kに酒屋を経由して家まで送ってもらう。こうやってひとのやさしさに生かされている。

ワークワーク。スケジュールが切羽詰まってきたが、どうか。ぶじ切り抜けられますように。

夜、チャーシュー卵の和風だしスープ、チャーシューもやしのオイスターソース炒め。うまい。