嫌い嫌い嫌い(花曇りハンマー!)

また今日も、うまくうごくことができないまま時間が経っていく。周囲との回路を断つことによって、せいいっぱい、自分を保とうとする。精神がよわっているときには、かんたんに瓦解してしまいそうになる。

富野由悠季機動戦士ガンダム』と『マジンガーZ』(監督がいない?)の第1話を観た。テンポのよさよ。とくに後者の食い気味の台詞のかけあいはわらってしまう。全90話ほどあるようで、完走はおそらくしないだろうが……。半分女性・半分男性で声すらもつかいわけるあしゅら男爵のキャラ造形は神がかっているなとあらためて思った。1stは10代以来に観たが、作画が思ったよりも気合が入っていた。劇画タッチ。一夜明け、福田己津央機動戦士ガンダムSEED』の1話も観る。気づかずに観ていたがHDリマスター版。毀誉褒貶のはげしい作品という印象だが、ここちのよいさまざまな勢力や要素の入りみだれ感とガンダム搭乗までがギュッと詰まったいい導入なのでは。どちらかといえば続編であるSEED DESTINYのほうが評判わるいのだろうか? 1stへの目配せもあるように感じた。


f:id:seimeikatsudou:20210507203514p:plain
369


しごとのまえじゅんびとしての動画も3本観る。おもしろい。こうやって興味関心が育ってきてからの「大学」ってたのしいだろうなと思う。10代のおわりから20代のはじめにかけてのあの時期だけに得られたものももちろんあるのだろうけれど、いま学生になったとすれば、そのときとは異なるかがやきが目に映るだろう。ただ、そんなのんきな妄想よりも、背にのしかかる「奨学金」のげんじつが、学びのじっさいをわたしにたたきつけ、憂鬱な気分にさせる。延納期間の限界があと数年でやってくるが、現状のままいくと「おわる」ことになる。

夜更け、地震がある。地震に対する恐怖は年々増している。ここ2-30年のあいだに東京を直下型地震が襲うという予測がある。そんな環境にわざわざすすんで身を置こうとするのは、気が違っている行為のようにも思える。

深夜4時、階下からモンハンをやりながら通話する父の声が聴こえ、こうして50代の兄弟が和気あいあいとゲームに興じることのできることの「よさ」を考えようとするが、あたまを埋めるのは「わるさ」ばかりで、自身の「家族」に対する旧式の「信仰」にぶち当たることになる。「誰が何やったっていい」という、わたしが重きを置きたいはずの寛容な個の尊重関係に、容赦無く亀裂が入る。

さびしい道を走ってはゆけない

富野由悠季機動戦士Zガンダム』29-34話。ジェリドのもう1人の主人公っぷりがあらためていいなと思った。ダンバインでいうバーン・バニングスであり、エルガイムでいうギャブレット・ギャブレー。なんども主人公の前に立ちはだかっては、その度に撃退される。その過程で成長していくすがたは、もはや主人公の様相である。話は横道に逸れるが、ジェリドの顔を見ていると小学校時代の友人のことを思いだす。1年年上の男で、もう15年くらい会っていない。

ほか、サラのカミーユに対する「アイスクリーム、おいしかったね」のふくざつな甘酸っぱさに痺れたり(31話「ハーフムーン・ラブ」)、ジオンのパイロットスーツを着て戦うというシチュエーションも燃えたりする(32話「謎のモビルスーツ」)。戦闘からレコアが帰還しなかったことの責任をカミーユに問われ、殴り飛ばされたクワトロがレコアの遺したサボテンを見てつぶやく「サボテンが花をつけている……」(33話「アクシズからの使者」)。凄まじい台詞である。自らの咲く場所を見つけたレコアの運命が、彼女が去って空になった部屋の、彼女が世話をしていたサボテンの開花によって、彼女が想いを寄せていた人間によって知覚される。ネット上ではネタ台詞と化しているが、めちゃくちゃにキレたシーン以外の何物でもない。

実家暮らしがいよいよつらくなってきた。ひとがいるわずらわしさよりも、ひとのいないわびしさのほうが、いまのわたしには心地よく感じられる。存在の息苦しさばかりが胸を押しつぶし、出口のなさに暗澹たる気分に陥る。また、いっしょに暮らすようになった祖母のことを思うと、わたしはさびしいきもちになる。わたしはおばあちゃん子だから、自身のからだの思い通りにいかなさだったり、とつぜん娘夫婦の家に住環境が移動したりといった彼女の境遇に、きりきりと胃が痛んでしまう。やさしいこころばかりがそのそばにあるわけではなく、わたしだって、ささくれだつ気配に身を任せてしまうことくらいある。しょうもない火種がパッと花を咲かせる。それはだれにとっても、かなしいことだ。


f:id:seimeikatsudou:20210507203426p:plain
368


テレビを切り、野菜をシンクの上にあつめ、ひき肉のカレーをつくる。玉ねぎ、新玉ねぎ、にんじん、ほうれん草、ひよこ豆、トマト缶。にんにく、生姜、ターメリッククローブナツメグコリアンダー、カルダモン、カイエンペパー、ブラックペパー、塩、醤油、はちみつ。インデラカレーのカレー缶。胃に熱がこもる味。妹がひき肉のカレーが食べたいといっていたのだった。まだ味が決まっていないのだけれど、とわたしは告げたが、おいしい、と米やパンは添えずにカレーだけで食べて、彼女は雨のなかを出勤していった。わたしはその瞬間、シャワーを浴びていた。玉ねぎを炒め、にんにくの皮を剝いている頃合に父が釣りから帰宅し、着替えるなりテレビをつけてモンハンをやっていた。その光景だけで、わたしの精神がだめになってしまう。めんどうなこころだ。

めんどうごとに脚を突っこみあえるひと

グラフィックをつくっていた。すでに制作済みの作品を素材にしたカットアップ。テキストとヴィジュアルの両方を切り刻み、ペタペタと配列しなおす。この手法たのしいかも! リサイクル&リコンストラクション。ほか、デザインのこまごまとした部分の修正とテキストの執筆もおこなう。

気づけば365日まいにちブログを更新していた。いちばんはじめの緊急事態宣言がでる頃に頻繁な更新がはじまって、しばらくは2-3日にいちどのペース、それからしばらくして日々あっぷされるようになり、1年間、休みなく書いた。よくもまあつづいたなと、これまでの人生を三日坊主で通ってきたわたしは思う。

湯船から上がって居間にゆくと、ゲーム実況動画の収録でもしているのかよというくらいうるさい叔父の声(高校時代にゲーセンでガンダムvs.シリーズをプレイしながら絶叫していた友人たちのことを思いだす)が父のスマホから聴こえてきて、いろんなきもちが死んでゆくのがわかり、自室に籠もってガールインレッドの新譜やキューンレコード(いまはキューンミュージックか)企画のアジカンにフィーチャーしたプレイリストをかけながら、この文を書いている。音楽の系譜を感じることができて幸福な気分になる。


f:id:seimeikatsudou:20210505025912p:plain
367


それにしても緊急地震速報怖すぎね。ひさびさに鳴り、心臓がキュッとなって、がたがたゆれるダンボールの山を横目に、ふたたび寝たのが今朝の思いで。

トロプリ10話。ローラはなんてかわいいんだろうね、、高飛車で、わがままで、おまぬけで、とは以前述べたことだが、今回は彼女の情のあつさにスポットが当たって、やる気を失ったまなつのためにヘドロで濁った水路にもぐってまでアクアポッドを探しにゆくすがただったり、自らの力でプリキュアに再変身するまなつの勇姿を見て目に涙をためていたりする描写に感動してしまいました。

いわゆるゴールデンウィークとやらに突入し、両親が休みになっているのだが、そのことがわたしにおおきなストレスを与えている。かつて実家に暮らしていたときには感じていないこと、つまりはわたしもそれなりにひとに気をつかえるようになったことのあらわれであるが、その影響を最小限に抑えるために、自室にひきこもり、何もできないままいちにちがおわる。いろんなものが不憫だと思う。東京の賃貸を調べたり、日雇いバイトの情報を見たりするが、そんな逃避のしかたでは何も解決しない。

デカいラブを足の裏に貼りつけてそのまま200年経ったよ

祖母が明るい時間にでかけ、ひさしぶりにひとりの時間ができる。心を落ち着けながら、生姜ごはんを炊き、豚肉を酒醤油コチュジャンでもんだやつに片栗粉をまぶして、しめじとねぎとあわせて炒める。みりん、酢、塩で味の調整。

食べながら、富野由悠季機動戦士Zガンダム』25-29話。ぐっと身を寄せてきたファに対して「いきなりアップになるな!」と叫ぶカミーユのおもしろさ(25話「コロニーの落ちる日」)。モビルスーツパイロットとして、ディスプレイ中心の視覚生活をしているがゆえにでてくる言葉で、作中リアリティはこうした場所に宿る。ふたりのいがみあいを「レクリエーション」と呼んでほほえましく見つめるまわりのクルーたちもいい。

ヤザンに手袋で頬をパチンと叩かれたときの、やわらかいもちのようにのびちぢみするジェリドの顔がめちゃくちゃおもしろい(27話「シャアの帰還」)。アニメの演出ってこうじゃなくっちゃね!という気分になる。この回は全体的に作画が遊び気味だった気がする。

発色のよいキミドリの開襟シャツをタックインし、これまたあざやかなブルーの薄手のコートを羽織って腕をまくり、膝丈ブラックスカートをあわせるレコアさんのおしゃれさも見逃せない(28話「ジュピトリス潜入」)。この回ではレコアを擁護するためにファが彼女の「女」を強調するが、それがシロッコに惹かれる理由にもなっているのが皮肉であり、よくできている。レコアさんはZのなかでもトップクラスに好きなキャラクターだ。


f:id:seimeikatsudou:20210501235016p:plain
366

今年も中止になってしまった荒吐を支えるためにブラフマンのトシロウの呼びかけによって開催された「Think of Michinoku」の配信をながめる。わたしが東京に行っているあいだに両親はロックフェスにハマり、アラバキにもよく足を運んでいて、居間に降りると、テレビ画面をロックバンドが占有していたのだった。ラインナップやトークの様子を受け、ホモソーシャルだなあという感想がまずでてきた。そもそもバンドってそんなもんか? フェスってそんなもんか? そんなことないよな? そんなことのない世のなかがいいよな? そんなことを考えると同時に、ライヴを見ながら画面にあらわれるミュージシャンの容姿を云々している両親のすがたにかなしいきもちになる。おわりだよこの空間。そんなにんげんが「差別や中傷はいけない」というMCに感動していたりするのだから救いようがない(これは推測です)。自身のうちにある加害の精神を把持しないかぎり、わたしたちは差別や中傷の発露をとどめることはできない。

昨夜寝ぼけながらも足の裏に爪で傷をつけてしまった予感があって、じっさいに確認してみると、皮がめくれて皮膚がえぐれている。自分の足の爪で簡単に自分の足を傷つけてしまうなんて、人体の欠陥じゃないか!(そうだろうか?)

(予約投稿の日付をまちがえていたので日を跨いでから投稿しました)

mushroommustbemammoth

若い女性である、というだけで賃貸の管理会社になめられているひとのブログを読み、妹の職場にやってくる配送業の男が、対応相手の性別によって態度を180度変える話を思いだした。主に自らの育児について書いているべつのひとは、男児を育てる際の「男の子だからやんちゃなぐらいがいい」みたいな育てかたが生む弊害について触れていて、つながっている、とも思った。性役割の再生産・強化は、けっきょくのところ性差別を生む土壌になるのである。だから、みのりん先輩が「最近は女優男優分けずに俳優と言ったりするけど」と唐突に発することの意義はおおきい。プリキュアの話だ。

応募してみようかなと思うことのできるデザインのコンペがふたつ見つかる。コンテストのかたちをとって、パッケージデザイナー兼宣伝マン(自作が採用されれば「クリエイター」はそれをSNSで喧伝するだろう)として体よく動員されているだけ、みたいな感想を抱かないでもないのだが、こうやって地道に認知度を高めていかないとどうしようもないのも事実であって、やり場のないいらだちがふつふつとふくらむ。

午後に寝床から這いだし、冷や飯にスープをかけて朝ごはん。食べながら、ひき肉とレッドキドニー、ほうれん草を塩胡椒とナツメグ、醤油などで炒め煮して夕飯のおかずとする。しめじとおかかの炊き込みごはんもじゅんびしておく。親が休みの日はどうもリズムが狂ってしまうので、自室に篭り、上野千鶴子『家父長制と資本制』を手にとるがいつの間にかねむってしまう。


f:id:seimeikatsudou:20210430185257p:plain
365


2-3時間ねむって食事を摂り、コンペ用のグラフィックの制作。おおきい判型の感覚がつかめていないので苦戦する。天地を90度傾け、横長のディスプレイに最大のサイズで表示させて、なんども首をぐいとひねってブツを確認する。こうして実寸でA3サイズをたしかめることができると、27インチマック買ってよかったねえというきもちが湧き上がる。ヴィヴィッドカラーの新しい24インチのもかわいいよね。薄いし。明日の、というよりも日付かわって今日の〆切に向けて調整作業をつづけていると、Hさんから電話がかかってき、元気がでる。もしかしたら彼らのびっくりハウスに遊びにゆくかもしれない6月の東京、いったいどんな状況だろうか?

ミューと音を立てて彼女は息絶えました/漏水

マイケル・ムーアボウリング・フォー・コロンバイン』(2002)。「なぜアメリカは銃による殺人が世界一多いのか?」を、コロンバイン高校銃乱射事件を端緒に、じっさいに銃撃を受けた被害者や、全米ライフル協会会長、銃弾を売るスーパーマーケットなど、国境を越えながら多くの人物に材を取って調査したドキュメンタリー。先の問いに対して、同じく銃社会でありながら圧倒的に殺人数が少ないカナダと比較して、視聴者に恐怖を詰めこまないマスメディアの姿勢のちがいを本作は提示するが、そんな「答え」にふんふんと納得することだけがこの映画のたのしみかたではないだろう。

たとえば、前半にアメリカの中流一般家庭の紹介が為されるシーン。鉄格子にナイフを差し入れて、これじゃ刃が通らないねなどとお茶目にいう監督(本作ではムーア自身が「主役」になって画面を闊歩する)が、「槍なら?」と案内をする男(不動産屋?)に尋ねると、答えを待たずにカットは切断される。あるいは、地下の分厚いドアを指してこいつは頑丈で壊れないと自慢する男に対して、「斧なら?」と尋ねた際に、「斧ね」とその語を受け止めた段階で、シーンは遷移する。重要なのは「答え」ではなく、そこに至るまでの「過程」だということがよくあらわされているユーモラスな編集である。とんちこそが、ここではスポットライトを浴びている。

逆に闇の集まるポイントとして、マリリン・マンソンと黒人男性がこの映画には配されている。殺人犯がマリリン・マンソンを聴いていたから、テレビに映る凶悪犯はいつだって黒人男性だから、わるいのはこいつだ!と決めつけるコメンテーター、あるいは、大衆。諸悪を特定のカルチャーや属性をスケープゴートにして「安心」を得ようとする態度のクソさが、嫌というほどに身にしみる。ひととひとをつなぎうる「信頼」はそんな場所では生まれることはないだろうし、急ごしらえの「安心」でつくられた欺瞞だらけの「平和」など糞食らえである。

専制国家を倒すのが国民の役目だ、と語る銃規制反対派の話はまあそうだよねと思ってしまうし、コロンバイン高校のプレートに書かれた「Home of the Rebels」(反逆者の故郷)というスローガンにはかわいたわらいをこぼさずにはいられないだろう。死体や殺人シーンも躊躇なく画面に登場するが、ポピュラーソングとともに流れるそれらは、観る者に「恐怖」を呼び起こすことを目的にしているわけではない。銃所持に賛成するにしても、反対するにしても、全米ライフル協会会長が述べるような「暴力の歴史」の内実を、わたしたちはしる必要があるのだから。

夜、チャーシュー、キャベツ、玉ねぎのトマトガーリックスープ。チャーシューの用途はスープが最強かもしれない。これまで百杯は食べてきたであろうラーメンでそのことをしっていたはずなのに、いまさら気づく。

インタビュー立ち会いにそなえてzoomの機能チェック。Eさんに手伝ってもらう。オンラインでのインタビューははじめてのことなので、予行しておかねばと思ったのだった。スマホから、PCから、ソフトも変えていろんな方法を試した結果、ズームの機能でレコーディングするのがいちばんよさそうだ。本番もぶじに済みますように。


f:id:seimeikatsudou:20210501024906p:plain
364


ラジオ、リスナーがいることのモチベーション維持力はすごい。今日はおたよりまであって、それが石炭となってさいごまで走りきることができた。話題のつなぎがその場で生まれる瞬間がたのしい。しばらくいそがしくなりそうなので、ラジオも次週次次週あたりはふんいきが変わるかもしれない。取り上げる作品について、ブログで書いてから話すか、書くまえに話すか、どっちがいいのかいまだにわからない。

でんぐりアソシエーション

クリスティアン・ペッツォルト『あの日のように抱きしめて』(2014)。原題はPhoenix。なんど死んでもよみがえる不死鳥である。作中にあらわれる酒場の店名にも紐づけられている。物語としては、第二次世界大戦期のドイツ降伏直後のベルリンで、命からがら収容所から生還した女が、顔面の再建手術を受けながらも、離れ離れになってしまった夫を探し求めるが、なんとか辿りつくことのできた彼は女を妻として認識せず、それどころか遺産相続のために「妻のフリをしてくれ」と提案してきて……というような話。彼のすがたをみとめ、妻として認識されなかったことに対して思わずその場を走り去ってしまうシーンのつぎの場面で、鏡で自身の姿を見ているカット(しかもカメラはそのすがたを横からおさめ、鏡に映る顔を観客には見せない)をつなげたり、整形手術をおえて瓦礫の山と化した自宅跡に向かった際に、その場に残されていた真っ二つになった鏡に「私」の顔を「ふたつ」映したりと、とにかく演出が冴えていて、「退屈そうな映画」ではあるのだが、観ていて退屈しなかった。途中、ひとつなぎのシーンが分割されて配置されているのだが、顔と格好を闇に紛れさせることで、その時系列をうまく操作しているのもよくできていた。真相に迫る際に、同一のフレームに夫妻の顔を収めないのもすばらしい。希望をこめた妻の語りに反して、すでにそこには乗り越えることのできない断絶線が走っているのである。

暗に仄めかされたまま幕を閉じてしまうレズビアン的関係性も泣ける。何かの映画を思いだしたのだが、何の映画だろう。ペッツォルトの映画はアンスティチュフランセだかアテネフランセだかで何度もチェックしていたものの、けっきょくスケジュールが合わなくて、というのがつづいて、『未来を乗り換えた男』*1しか観ていないのだが、何かと気になる作家で、いまやっている『水を抱く女』も観たいのだよな、ざんねんながら周囲に映画館がないので観ることは叶わないのだけれども。


f:id:seimeikatsudou:20210429171849p:plain
363


夜、ピーマンの肉詰め。いつもはまぜものを入れずに肉肉しいものをつくるが、今日はみじん切りにした玉ねぎと卵を入れてみる。水気がでるので当然ながらジューシーな味わい。好評だった。自身としては、どうだろうか。

食後は些事を片づけ、台割をつくり、先方に投げる。徐々にかたちが見えはじめてきた。3桁級のページもののデザインのしごとなのだが、はじめてやるのでとてもたのしみ。中身もカルチャー系なので、ぞんぶんにうごかせるだろう。

*1:当時の感想つい:未来を乗り換えた男、奇妙! "現代"欧州を舞台にした恐怖政治からの逃亡劇。小説原作かつ怒涛のナレーションにもかかわらず言葉がやかましくないことにまず舌を巻く。カットの切り口の特異な均衡と、遷移していく物語の行方にサスペンスしながら多幸感にみちたトーキングヘッズで煙に巻かれる感じが◎/飽くまで「煙に巻かれる感じ」なのでちゃんと着地はしているんだけれど笑 主演のフランツ・ロゴフスキ(ハッピーエンド!)が顔、語り口、たたずまいの三拍子そろってすんばらしいのと、ヒロイン役のパウラ・ベーアが22歳とは思えない貫禄をふりまいていて驚嘆。建築家の突出しない異質感もスゴかった