2016-01-01から1年間の記事一覧

試す石を探しにゆくひとといる

年末感というものがあるとして、いまそれにつつまれてきている。三連休である。鼻血がでるレベル。生きててよかった。今日はパーティへいった。家でやる前にお呼ばれをした。しらない家でみしったひとたちとテーブルや絨毯を囲んだりし、辛い骨付き肉やバタ…

うつぶせの樹の倒立するまで

うちにはIKEAで買ったビリーが3台ある。ビリーとは本棚のことだ。でかくて重くてやすいやつなのだが、先週末はそこに漫画をぼんぼん詰めこむ作業をした。まったく入りきらず、漫画に熱をあげていた大学時代=青春のほとばしりを感じて「すごいなあ」と感動して…

騒々しいバスドラ、バスドラバスドラバスドラ!

音楽から朝がはじまっていく。生活がある。タークのフライパンをさいきん買った。とにかく肉がうまい。つぎはバーミキュラの鍋を買おうと思っている。ボーナスが満額でるらしい。ロードバイクとレコードプレイヤーを買う。ロードはラレーのCRF。クロモリ。今…

(通りすぎる宿命としての)折れる名前の反発

ヨアキム・トリアーの『母の残像』を観た。彼が立つ場所は文学である。文学からの沸騰/要請がカメラを回し、演出をかける。ここで名指す文学とは詩でもある。言葉に頼りすぎてどうしようもなくなってしまう映画がよくあるが、彼はその悪弊に陥らずに「映画的…

燃えている、次の根を刈ろうとして

冬が好きなのは雪が降るからであり、生まれた月があるからであり、東北育ちだからである。初雪が降ってわくわくがとびはねた。しごとがおわるのは日をまたぐころで、駅までの十数分を外套を羽織らずに歩くことがまいにちのひそかなたのしみになっている。デ…

複製暴力の憑依

のりりんを最後まで読んだ。駆け足な気がしたけれどきれいなおわりかただった。ロード力がたかまる。鬼頭莫宏すきなんだよ。漫画買いまくるようになった頃に『ぼくらの』を集めていたものだから思い入れがある。いま新連載やってるんだろう。読みたいよな。…

ファット、アーマード、ファット

文章を書きたいのだが、まいにち仕事だけでおわるのでとっかかりがない。いや、書きかけの詩や小説や批評はあるのだ、あるのだがそこまで脳が動作しない。そんなこといってるからいつまでたってもかたちにできない。打破のためには自分に時間を与える余裕が…

武装、スクリーン/ブソウ、

練習。 何の練習? 時間の配分、岡山芸術交流へいきたい。今年はかっちょいいコートを買いてえな。これだ! ってものはまだ見つかっていない。ねむい。荷ほどきをしたい。いまのしごとがおわったら、休みをもらって台湾にでもいこう。ああおれは願望でみたさ…

光らない街の舳先で

肉体が浪費され、感情が屈折するにしたがっておれの身体は音楽と食物と言葉を求める。爆音と、暴食と濫読である。濫読も一発変換できないクソIMEよ死ね。まいにち深夜に帰宅するから音楽が鳴らせない、帰り道、道路工事の爆音と、路上ミュージシャンのぬるい…

アジアの唇(ひとつの移転)

ふた月連続で詩を投稿し損ねている。〆切日間際がクソいそがしいのが主な理由だが、それにしたってどん詰まりの気配を感じざるをえない。小説を書くぞとか意気込んでもいたのだが、そちらもすすんでいない。リソースはすべて仕事に割いている。いまの仕事は…

事後的な了解を共通の敷布団として

何かに対峙したときのわからなさが、のちのちにすんなりと理解できる。この積み重ねが成長ということで、ぼくの敬愛する廣瀬純が「毎日毎日すこしずつ賢くなってってるんですよ」(http://radiumcity2015.tumblr.com/post/124215846260/%E5%BB%A3%E7%80%AC%E7%…

あわだつ脳の飛行形態(分有からの離脱)

隣に座った男の所作がいちいち雑であるということだけでおれの殺意はふくれあがっていく、おそらく知的障害者、そんなレッテルに左右されるな、怒りの理由付けをまちがえるな、電車を乗り換える際にその姿を見つめたがおそらく健常者、そんなレッテルに左右…

整頓されないものだけがコミュニケートできる

引越しのじゅんびをしている。ものを捨てられないにんげんなのでとてもたいへんだ。積み本をぱらぱらめくっているといつのまにか深夜になっており、小腹がすくので笹かまなどを食べている。この積み本というのはほんとうにやっかいで、どの塔(積み重なった…

百日単位のフェアトレード

『オーバー・フェンス』を観た。山下敦弘の作品は『マイ・バック・ページ』ぶり(音がちいさすぎて何いってるかわからんまま観ていたので内容はぜんぜんおぼえていない、もやのかかったようなオフィスの空気感だけをおぼえている)? 90~00年代邦画的湿度感…

目の前の前から前側に背ける

3連休が壊滅したのだが、ふしぎとストレスがない(疲労はある)。しごとの内容におれは左右されている。自身に責任を置くことができ、これからにつながる予感があるワーク。どこを走っているのかわからないまま走らされる苦痛がない。考えかたが日々ぶつかり…

いま健康になって海辺に打ち捨てられる

搾取と経験のバランスが社会人として生きるうえでの指標だろうか。社会人というよりも組織人としてかな。ヤフーニュースの労働関係(に限らずだけれど)のコメント欄みてるとかなしくなってくる。みんなどれだけ奴隷根性なんだ。いま乗ってるこのシーソーの…

書き留められた悪意の所在について

わからないことが多い。わかるひとたちはたいへんだと思う。わからないわたしに対峙する点において。納得できるところに着地するためにわたしは言葉を費やすが、埃のかぶった時間の層をうらがえすのにもたいへんな労力がいる。とはいえ、わからないままにし…

自分を確かに通りすぎたきもちを覚えていない

勝手にあなたのためを思われる。あなたのためを思って、は欺瞞である。自分がいちばん自分のことを思っている。でも、あなたのためを思うのは勝手である。わたしはわたしのことを思っている。自分に自分を背負わせる。わたしはわたしを思いながら、あなたは…

ゲームしない、ゲインする

『カルカソンヌの一夜』を読んだ。哲学者シモーヌ・ヴェイユと、詩人ジョー・ブスケが邂逅した夜のこと、それからその後に交わされた5通の書簡についての考察。ブスケの唯一の邦訳書『傷と出来事』は一昨年に読んでおおきな感銘を受けた本なので本作も読んだ…

しおれた蛇たちの囲む若い半島で

ホステスクラブオールナイターにいった。人生初のサマソニだ。これがうわさの都市型フェスってやつか! ダイナソーを途中で抜けてのぞきにいったジョン・グラントがとにかくアメイジングだった。Tシャツ買いそびれてかなしい。CDはきょう買った。いま聴いて…

そこにふくまれない氷を置いておく

だいぶ鬱ぎみな気がする。気落ちがはげしい。きょう(8/5)は『シリア・モナムール』を観た。いまのシリアを撮った作品だ。重たい。とても重たい。映画を撮る。映画をつくる。映画を撮ろう。それが希望になる。ものをつくる。はげます。はげまされる。父の言…

ピークアウト幻想時代

真夏です。ポケモンgoをしています。わりとたのしい。であるくことがふえる。次のサンムーン買いたくなる。首ながナッシーはやばいと思った。先週末の日曜日には、はじめて二子玉川に降り立った。トーキョーアートフローというイベントにゆくためだ。第0回っ…

たたかいタクティクス

胃がいたい。おれは胃が弱い。ストレスは胃にでる。大学受験に失敗したとき、胃潰瘍になってタール便(くろいうんこである。血がでてからしばらく時間が経っている=出血場所が尻穴からとおい証拠で、真っ赤な血便の場合は肛門のちかくで出血していることを意…

フック、ブロ! ブロ!

ブログを書くぞと思うときはだいたい身体や精神に負荷がかかっているときが多い。かといって書かない日がつづいていたさいきんが、晴々としていたのかと問われればそれはちがうのであった。でもこないだひとりで神奈川近代文学館へいって、中華街でカレーを…

何かを抱きしめる姿勢

とくに何かあるわけではない。いや、そんなことはなくて書きたいこともたくさんあるのだが、時間を置きたいと思ってしまう。距離を取りたいと思ってしまう。満員電車で抱きあうカップルがちかくに二組もいて、そのうちひとりのおんなの爪がおれに刺さって、…

遠さをかみしめるためのビニールのてかり

けっこう前に思ったことを書き残しておく。それを見返して「即」のすぴーどで走り書いておく。帰りの電車を降りるまでがわたしのタイムリミットである。地震がおこった。震度7。熊本。その遠さがやばいしまずいと思った。東京という感じ(東京に転嫁するな自分…

永い空気を吸う態度で

演劇の話をしようと思う、とかいうから更新しなくなるんだよという自分と、そうやって言葉にしていかないと何もやらないだろという自分が殴りあっている。なのであいだをとって演劇の話をせず更新する。自分のために書くこと。その場その場で書いていかない…

俺のいらだちは草臥れている

前日のつづき。青柳いづみが好きだという話。でも『夜三部作』にはでていなかったという話。そもそもちゃんとタイトル書けよという話。『夜、さよなら』、『夜が明けないまま、朝』、『Kと真夜中のほとりで』の3本だての話。で、この3本をつらぬいているのが…

すべての電車がぶっ壊れたらこんな思いをするひとはいなくなる

電車に乗っているとほんとうに殺伐としてくる。疑問符ばかり浮かぶ。テロを起こしたくなる。ひじょうにポリティカルな問題だよこれは。自分がテロリストになってしまうかもしれないという考えがきみの頭には浮かぶかい。もしわずかにでもふくらんでいるので…

あまりのつらさにふらりと入った駅ビルで親しみ深そうなサボテンを衝動買いしてしまいそうになる

アピチャッポンの『世紀の光』観た。特集ぜんぶ観ようと思っていたのにこれしか観れなかった。ひとやものにフォーカスを当てるんじゃなくて、現象そのものをうつしとることで「見ること」の緊張感をあぶりだす感じがよかった。何年かまえに演劇作家のむらこそ…