つかまり勃ちの子供たち

後ろの予定までにはまだ余裕があったので、併設された谷内六郎館にも寄っていく。かつての自分であればスルスルっと展示室を通過してしまうタイプの作家であったのだが、わたしもこういう絵に感動する年齢になったのだなと、以下のような絵をながめながら思った。


▼タイトルがまた泣かせるんだ


また、展示室内の窓に半透明のブラインド(?)がかかっていて、その風景がよかったのでカメラをまわした。かつてそういう意識をもって生きていた時期があり、むかしのスマホにはそうした映像素材がいつか映画になることを夢見ながらねむっている。


▼こんな感じ


ギャラリーショップではヤンキーの集団がおり、美術館という場所とのアンマッチ感に感動したりしつつ、帰路へ。バス停でまたも潮風たっぷりの嵐に襲撃を受けながら、きゃあきゃあ声を上げるジブリ展帰りのガールズたちとともにバスを待つ。のちにバスが満席になるほどの客が機能していない屋根をはみだして集まっており、「あ、(バスが)きた」「うっそーん」という少女たちの戯れも、こんなあばれ雨のなかでは悶着の発火点になりそうで、耳にしながら内心ドキドキしていた。

藤沢に移動し、駅前の喫茶店でAと会合。ピザを食みつつ瓶ビールで乾杯する。さいきんはAIに凝っているというA。わたしはほとんど触れずにここまできているので、へえへえなるほどとたのしく話を聞く。ビットコインでもなんでもそうだが、新しいものにビャっと飛びつけるフットワークがものをいうのだろう。わたしの足はきわめて鈍足である。のち、前回も足をはこんだいろは丸へ。カキフライや筍の天ぷら、鰤刺しなどをつまみにまたもビールをやる。カキフライが3個で一皿だったので、「これ4個にできますか?」と店員に訊ねたら「できますよ!」とのことだったのでそうオーダーすると、ずいぶん時間が経った頃にべつの店員がやってきて「カキフライは(4皿ではなく)個数が4つってことですか? それはできないんですよ」と断りに来るシーンがあった。もちろん4皿も食べられないので、4個にいちばんちかい1皿で再オーダーしてすぐにでてきたが、おそらく無駄になってしまっただろう3皿に想いを馳せた。


▼前回藤沢来訪記
seimeikatsudou.hatenablog.com


食後はまたコージーコーヒーコネクションにてチャイ。今回は店内で。うまい。なぜかプリキュアを店長にプッシュする時間があり、退店時には観てください!と言って店をでた。

帰ればY、Yさん、Nちゃん、Sさん、Qさんが酒盛りをしているので混ざる。ここでもプリキュアの話をしたおぼえがある。Yさんは関西から上京してきたばかりで、QさんやNちゃんの京都コネクションの間接的なつながりが明らかになって盛り上がったりしていた。グリーンがいちばん好きなミュージシャンだというYさんのまっすぐさがまぶしかった。



Hさんのベッドで深いねむりに落ちているとHさんが帰ってき、いっしょにお昼を食べに行く。道中、次回公演や次々回(あるいはその先?)公演のアイデアを聞き、おもしろい!となる。恒例の銚子丸に足をはこぶも開店前で、踵をかえしてバーミヤンへ。バーミヤンに立ち寄るのはいつだかのコミティアの帰り以来か? というか、人生においてそのタイミングでしかバーミヤンに寄ったことがない気がする。それほどまでに馴染みのないファミレスである。台湾フェアをやっていたので牛肉麺。まずい、、ショックである。Hさんはライス付きで坦々麺をもりもり食べていたが、食べすぎた、、と残していた。

渋谷へ移動し、ユーロスペースにて清原惟『すべての夜を思いだす』。ラジオでもいろいろ話したのでそこで話していないことを書く。終盤、知珠が徒労の末に公園のベンチにたどりつき、夏とその友人が花火をしているのをながめている一見美しいシーン(ハッピーバースデイ・トゥ・ユー!)がある。夏の立場に立ってみれば、ひとりでダンスの練習中に遠くで自分の真似をしていたにんげんが、同じ日の夜にふたたび自分を見つめているのはかなり怖いのではと思った。その二重性がおもしろかった。同じ行為・現象・言葉も、角度を変えて見つめてみればあらたなかがやきを放ちだす。そういう可能性が随所にあらわれている映画だと思った。かなり暗い感じに幕切れてしまったという印象を受けて劇場をあとにしたのだが、そんなことはないのかもしれない。これはいんすたでも少し触れたことだが、中盤のESVがかかるダンスシーンがほんとうにすばらしかった。呼応しあうにんげん、共振するにんげんというありかた(?)はわたしのなかでかなりおおきな場を占めているモチーフで、それは岸田将幸中尾太一といったゼロ年代詩人たちの影響のもとにそうなったのだが、それがふたつの集団のおどりという映画の内側と、AokidさんとESVというわたし自身のよくしったひとらがここで〈共演〉しているという映画の外側のふたつで起こっており、つまりは倍速コードの破壊衝動でわたしはノックアウトされたのだった(いや、倍速でも破壊衝動でもないのだけれども、、その語が降ってきたのだった、二重の共振性……

リトグラフで刷り、一部一部手製本したというパンフも別丁の判型ちがいの紙が組み込まれていたり、舞台となった多摩ニュータウンのマップの付録がついていたりと、つくりも含めてたいへんよかった。ほんとうは本作の公開をきっかけにRさんがつくったZINEもほしかったのだが、受付では販売していないということで買いそびれてしまった。