流れ落ちるキンタマのようだね

旅にでると詩が書きたくなる。だから、ここ何年かは東京に向かうバスのなかで詩行を書くことが多い。天気がわるかった。ターミナルまでは父が送ってくれた。バスの到着を待つあいだに立ち読みをした書店では、安倍の顔がでかでかと印刷された『hanada』の最新号が堆く積み上げられていた。それらのことは詩のなかに書かれない。だから、この場に書かれる。前回なんの酒を手土産に持っていったかしら?と銘柄を思いだせないままに、送迎の車内で父の口から聞いたもう死んでしまった親戚の実家がつくっている酒と、わたしの住む町の名が記された酒を買ってキャリーに詰めこみ、わたしはさほど長くない、しかし短くもない旅路につく。高速道路に入ると雨は止み、カーテンの隙間から吹いてくる風が心地よかった。

出発からしばらくすると、何席か前に座るにんげんがラップトップにちからづよく文字を打ちこみはじめ、わたしの両耳は打鍵音によって苛まれた。前の席に座る缶チューハイを飲むおじさんがイヤホンを耳に詰めこんだのを見て、わたしも同じ動作をする。slagsmalsklubben、ひさびさに聴くがだいぶたのしい。エレクトロ系のライヴに行って踊り狂いたい。shoos off、my disco、okay kayaと聴いているうちに東京に到着する。雨宮まみ『女子をこじらせて』も乗車中に読みおえる。ここに書かれているほどにアクティブ=行動的ではないにせよ、わたしもまちがいなくこじらせているタイプのにんげんなので、そのアクションに至るメンタリティにいたく共振した。たとえばパリコレの世界に対する以下のような言及。

学校でやっていたらイタイ女扱いされたり、イロモノ扱いされたりするとんでもない服装や髪型やメイクが「美しいもの」「素晴らしいもの」として認められていた。私がそこに希望を見たのは当然であり、必然でした。今いるこの世界ではぶさいくでイタイ女扱いの私でも、どこか別の世界では、オシャレだとかかわいいとか言われるのかもしれない。

わたしが服に興味をもちはじめたきっかけは忘れてしまったけれども、「いまここ」から飛び立つための方途である(そんなことは引用文には書かれていないが)という意識はわかる、と思った。ニチアサのキャラクターたちはなぜ揃いも揃って「変身」するのかという問いは、この問題ともつよくむすびつけることができるだろう。「(あらゆる)ファッションはモテのため」と言い切る言説をこれまで多く見てきたが、ものごとを単純化するなボケが!とおれは声を荒げる。おれはおれのために服を選び、服を着る。

ある時、海外のグラフィティアーティストが来日して、グラフィティを観客の前で描く、というイベントがありました。私はそれをすごく観たかった。でも会社を抜けられませんでした。ものすごく忙しいとか、自分の仕事で手が離せないのなら仕方ないと思えたかもしれません。でもそうではなく、単に上司二人が会社にいて、用事を言いつけられるので残っていなくてはならなかった。/それは部下として当たり前のことです。そのために雇われてるんですから。でも私はそういうふうに思えず、「こんなに観たいものも観れなくて、私はなんのために生きてるんだ。こんな人生意味あんのか。このまま一生、やりたいこともできず、楽しいこともできず、ずーっとやっていくのか。仕事をするって、こういうことなのか?」と泣きたい気持ちになりました。

ここも死ぬほどわかる!となった箇所。こんな出来事の積みかさねで彼女は会社を辞めてフリーになり、わたしも会社を辞めてフリーになった。「仕事をするって、こういうことなのか?」に「否!」の言をきょうれつに叩きつけるのが生きていくってことだろう!と書き写していてあらためて思った。あのとき自身を曲げなかったからこそ、今日もこうして遠出をすることができている。

またパーキングエリアでの休憩時に気がついたのだが、ゴスロリの女のひとがちょうどおなじバスに乗っているのもよかった。それぞれのにんげんが、自身の好きな格好のできる世界。内容とはまったく関係ないが、読書をしている最中マスクの紐のぶんだけ浮く羽目になったつるの所為で眼鏡がずり落ちてくるのが不快だった。

新宿に到着し、滞在の世話になるHさんQさんのいる劇場へ。その道のりで観劇後と思われるひとらが作品について話すのを断片的に耳にし、なんとなくうれしいきもちになる。わたしが観るのは明日なので、耳を傾けることはしないが、耳に入ってくるものを遮ることもしない。役者陣に軽くあいさつし、撤収作業を待って3人で帰路につく。中華屋にも立ち寄り、それぞれ味の濃いスープ、腐った炒飯、味の薄い酢豚で食事を済ませる。家ではすこしだけ乾杯し、Qさんのライヴ音源を聴いて就寝。歓迎のファンファーレはQさんのギター&ボイスだと相場が決まっている。

「やばい寝坊した」の声で起床。寝坊したのはわたしではない。しかしこの時間に寝ているのはひさしぶりである。なぜならいまはニチアサの時間であるから。シャワーを浴びた順に劇場に駆けだしていくふたりを見送ったのち、びくともしない風呂場のドアノブと悪戦苦闘してからわたしも外にでかける。胃を満たそうと駅までで、春木屋は雨だというのに長蛇の列だったので近場の丸福の短い列に並ぶ。つよい醤油の味。まずいとは思わないがあまり好きではなかった。もう何年も食べていないが、上に乗っているモヤシは渋谷の喜楽をどことなく思いだした。ワンタンはおいしかった。



丸福のワンタン麺、ビジュがいい!


胃を満たしたのち、駅ビルに入ってキャンドゥと無印良品を巡回する。日焼け止めと化粧水を手に入れるのもこの旅のミッションのひとつだ。前者はいいのが見当たらなかったので、後者を無印で購入して駅に向かう。目指すは笹塚。次は吉祥寺、というアナウンスで電車をまちがえたことに気づく。次いで、階段を逆走してきた女に傘を叩きつけられ、服がビチャビチャになる。

笹塚に移動し、ブルーラグ。雰囲気が合わなくてすぐでる。ブックオフ。何も買わず。ファックオフ。のち、すこしばかり歩いて最愛なるセレクトショップへ。来訪は2年ぶりとか? お店のKさんとお喋りしつつ、カットソーを買う。ここに服を買いに行くたびに足をはこんでいたちかくの古書店にも寄る。ひと通り見て何も買わず。駅の書店で『まじめな会社員』最終巻をぶじ手に入れる。荻窪に移動し、都内時代に愛した古書店のひとつ・ささま書店跡地は古書ワルツで稲川方人『反感装置』、FOR BEGINNERSシリーズの『天皇制』(文・菅孝行)を買って荻窪小劇場へ向かう。