meiteisatsujin

Vtuberの動画を見る習慣もVtuberに対する興味関心もわたしにはないが、人狼系ゲームのプレイヤーはたいていVの皮を被っており、人狼やりたい欲の高まりを動画を観ることで晴らしているさいきんは必然的に3Dモデルがまばたきしたり口をパクパクさせたりするさまを見る羽目になっている。そこで思ったのは「変(特異)な声」に対するわたしのフェティッシュのことで、それはたとえば『カスミン』のカスミン水橋かおり)とか、『ハートキャッチプリキュア!』の来海えりか(水沢史絵)とかに端を発しているのかもしれない。群雄割拠のVtuber界隈において、キャラ付けのために過剰に「造形」された声が、ふざけてんのか?の念を呼び起こしつつも、どこかわたしの心の襞にひっかかるのである(いっときわたしの端末で頻繁に流れていたイリアムとかいう配信アプリの広告で、「イリアムをダウンロードしてたのしもう」という「カワボ」が再生されていたのだが、どう贔屓目に聴いても「ガイジ」[この語以外で表現したかったが代替するような言葉が思いつかなかった、差別性がむきだしの、固有の概念として記号化されたインターネット・ミームの有用性……]の声にしか聴こえず、ほんとうにこの人選でいいのか??と首を傾げつづけていたことを思いだす)。

パンストのサントラの話をちょっと前に書いたがその「NEW PROJECT」が7月に発表されるそうでテンションがアガった(シーズン2だったらとてもうれしい)。すばるの表紙に足立陽の名前が印字してあるのにも。デビュー作である「島と人類」を大学図書館で読んだ思いでがあり、「ア・オ・イ・ソ・ラ!」の掛け声によって尖閣諸島をめぐっての対立が融和していく(そんな展開だったか?という不確かさもある)、みたいな展開がふざけていておもしろかった記憶がある。



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母が旅行に行くあいだ、祖母は老人ホームのような場所に宿泊することになるので、職員とケアマネージャによるその説明および契約がリビングでおこなわれていた。だから、わたしと猫たちはわたしの部屋に幽閉され、荷詰めをしたり本を読んだりしていた。川名潤による『出版とデザインの27時』。昨日とどいたのだった。26時のほうは昨晩のうちに読んでしまった。詩を語る言説、革命を語る言説とならんで、デザインを語る言説はわたしのなかでもとりわけ好きな言葉のかたまりである。

打合せはまだつづいていたがいよいよじゅんびせねば電車に乗り遅れる羽目になりそうだったので着替えを小脇にはさんで階下に降り、歯を磨いてシャワーを浴びる。上がる頃には話しあいはおわっており、駅まで車で送っていってくれるというので言葉に甘え、昨日のあまりでのんびり昼食を摂る。妹も祖母も起きていた。卵かけごはんにたらこなめたけをのせて食べていた妹は「血の味がする」とぼやいていた。

酒屋で酒を買い、本屋で雑誌を立ち読みする定番のルーチンをこなしたあとは待合室で読書。井戸川射子『ここはとても速い川』。鼻毛を切りすぎて鼻水が止まらない。バスの前の席にはあわただしいおばさんとそれに文句をいう夫が座っており、やめてというきもちになる。同じ言葉をずっとくりかえす妻。窓から見えたものに対する感想を口にはださずにいられない妻。どうか声にださず、あたまのなかでしゃべっていてください(たとえそのような「障害」をもっているとしても、外から見たわたしはそう思うだろう、そのことは「差別的」な思想として糺されるだろうか)。どうしてこんなに相性がわるそうなのに夫婦になれるんだろう。しばらく経つと夫のほうはイヤホンなしの音声たれながしでゆーちゅーぶを観はじめた(過日も同じようなひとに遭遇したが、わたしのしらないあいだに世界はそういう方向に変化していっているのだろうか? はっきり言ってさいあくである、いざ最悪の方へ!)。こわすぎる。車内にひびく佐久間宣行とみりちゃむの声。こういうにんげんが視聴者層なんだとやけに納得する。そんなにんげんといっさい関わりたくないのでわたしはだまって目をつむる。席運がわるい。自らの身体に意識をもたないにんげん同様、自らが発する音に意識をもたないにんげんののことをつよく憎悪する。「ここはとても速い川」のさいごのみひらきを読んでいるところで、眼の前の座席がだまってたおされる。つづけざまに「ファッ」と大きな音を鳴らしてあくびが放たれる。ファッ! ファッ! なんども放たれる。わたしは早とちりしていた。これ以上ない、お似合いの夫婦、いや、母と息子だったのである!