ブッソウ・ブッポウ

新橋で坂内。本店のは食したことあれど、チェーンは初。坂内食堂同様おそらく曽我製麺に発注しているであろう中太ちぢれ麺は好きだし、チャーシューも好みだが、、という感じ。これが「喜多方ラーメン」として全国的に売りだされていることをわたしはよろこばしく思わない。同じ喜多方の系譜のチェーン店でも田中そば店のほうが断然おいしいし、安く済ませるなら幸楽苑でよい。

g8→gg→ggg松屋銀座デザインギャラリー1953と展示をまわる。それぞれ自分の展示と、つぎにつくるクライアントワークのことを考えながら(というより、観ることを通して考えがそのふたつに及ぶのを感覚しながら)観る。アイデアが2、3浮かぶ。発想と、観た展示の出来/好みはまったく相関しない。こんなに目立つ風貌をしているのに、いっときお世話になったひとから忘れ去られていて、いそがしいひとの知覚を思った。わたしの生はいまひじょうに貧相なものなので、出会う他者それぞれの存在が自身のうちで際立っている。

コンビニでビールを買い、帰宅。Qさんを誘うも「寝すぎちゃった」とまだエンジンがかかっていなかったのでひとりで飲みはじめる。夜中には撮影おわりのSさん、A、Nちゃんが来、日本酒も開け、ひどく酔っ払う。Hさんの膝を枕にして沈んだところまではおぼえている。



すこやかリズムが息づいているので午前中にきちんと起床する。3人でぢるのものまね合戦をしてから腹ごしらえにでかける。西荻は、もがめ食堂。まず店構えがいい。ガラス窓からのぞくホールスタッフの所作。店のまえに置かれた空き待ち用のちいさな木椅子。窓の前にならぶいい感じのチャリとバイク。味もうまい。4つもでてくる小鉢の種類が注文した定食の種類に合わせて変化し、鰹出汁のきいた味噌汁もざっと目視しただけでキャベツ、えのき、しめじ、にんじん、ねぎ……と具がもりもり。昨日の酒が胃にのこっていたのでわたしはしなかったが、ごはんのおかわりも無料だという。定食の種類もたくさんあり、近所にほしいタイプのお店だった。



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店の前でふたりと別れ、都現美へ。竹内公太/志賀理江子「さばかれえぬ私へ」展。でかいスクリーン、でかいプリント、でかいオブジェクトと、そのサイズから生じるインパクトを展示室を移動するたびにつぎつぎと浴びる。遅れて、それぞれの作品の連関、作家同士のひびきあいにじんわりと打たれ、《三凾座の解体》への没入によって体験が起こる、という流れで鑑賞した。どんな作品か。いわきにあった「三凾座」という劇場の解体の様子を、スクリーン位置に配したカメラによって記録し、さらにはじっさいに三凾座に設置してあったベンチとスクリーンを展示室に移設することで、解体するさまを擬似体験できる、というものである。本作にはもうひとつしかけがあり、スクリーンの中心からやや上部あたりに設置されたカメラが、ベンチに座るわたしたち観客のすがたを撮影し、記録映像の上にリアルタイムに投影するのである。

そこでなにが起きるのか。わたしがベンチに座った時点では展示室内にはほかに観客がおらず、画面にはわたしと、重機と放水ホースをあやつる解体作業員だけが映っている。やがて画面の奥にはひとのすがたがあらわれ、思わずうしろをふりかえりそうになるが、そのうごきを見ているとどうやら解体の様子を見に来た現地の野次馬であることが次第に理解される。さらにしばらくするとわたしがいるこの展示室にも実体をもつ観客があらわれ、画面のなかにも被写体としてのひとのすがたが増えていく。カメラを通して、かつてといまがこの場所で、あいまいに、しかし確実に交差する。この時空のかさなりに、わたしはつよく打たれたのである。暗闇に閉ざされていた劇場が跡形もなくなった場所に、やがて空から降り注ぐ太陽の光。その真っ白いかがやきによってあらわになるのは、解体の様子と、それを見つめていたわたしたちがこれまで映りこんでいた、「年季の入ったスクリーン自体」である。ところどころ薄汚れた映写幕が、時を経て、わたしたちの瞳を煌々とかがやかせる。

データだけ事前に送っておいた個展DMの草案をネットプリントで出力し、個展の会場であるゴールデン街は十月へ。作品はいまだひとつもできねども、会期のちかづく個展(8月後半にやります、またちかくなったら正式に告知をします)についての話もそこそこに、つめたいビールでのどをうるおしながら、Iさんらと「そうであったかもしれない歴史」、ひいては宗教史の話で盛り上がる。わたしが前職時代にやっていたことを、Iさんがいま興味をもって勉強しているのがおもしろく、当時出会っていたらどうなっていただろうかと過去に思いを馳せた。そして、そこで培われた以後はおもてにでることのなかった知識が、ふたたびこうして日の目を見るのもうれしいことだと思う。前回の来京時に詩篇の束を託されたOさんに会えなかったのがざんねんだった。