率先して恥さらしになる

降らぬだろうと傘を持たずに北浦和へ。行きの電車で津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』を読みきる。よかった。低体温のなかの消えない火みたいなのが、ちりちりしている。なんでもともとのタイトルが『マンイーター』だったんだとわらう。これをどういう映画にするのか気になる。

浦和で乗り換えるときにざあざあ降りだして、あーあとなる。部屋の窓開けっぱなしにしてでてきてしまったなあ。傘を買い、330円の出費。もう傘は要らんのよほんとに。埼玉県立近代美術館にて「写真と映像の物質性」展。好きな作家が多いというのもあるが、けっこう満足度の高い展示だった。さいしょの展示室に牧野貴を配し、その残像および残響がずっとつきまとったままになる展示設計がよくできており、そのつぎの自然光が活かされている横田大輔の作品とあいまって、ものを視る目のチューニングが次第になされるつくりになっていてきもちの高揚があった。シネマコンクリートシリーズはk's cinemaでも観ているし、たぶんほかの展示でも観たことがある気がするが、今回の3Dバージョンは新鮮で、いつまでも観ていられるなと思った。実験映像を目にするのもえらくひさびさな感がある。

ネルホルの作品をこれだけまとまって観るのもはじめてで、彫りのラフ感にふむふむと思ったりした。顔を素材にしたものがやっぱりいい。つぎの部屋の滝沢広は今回唯一しらない作家で、それでいておもしろく、よい出会いだった。壁面にあるおおきなガラスの展示ケースのなかに、植物の写真をいちめんにプリントしていて、なおかつその裏手から迫鉄平の映像の音声がひびいてきて、いったいどういう作品なんだ?と興奮と混乱がないまぜになって心中に起こった。ある程度厚みのあるコンクリートにコピー用紙にプリントした彫刻の写真がはりついたオブジェクトや、鏡面の表面の傷と、鏡面に映る像を対比させた作品も編集的で好みだった。

迫鉄平はスプラウト・キュレーションで昨秋も観たばかりだったが、やっぱりおもしろい。見ているものがおもしろいのだ。目の作家だ。趣向はちがえども映像スナップはかつてわたしもやっていて、いつか作品にまとめようと思っているが、このユーモアの表出にはかなわないなと思わされる。プリント作品はいまいちわからない。

ブックオフにも立ち寄り、文庫本を8冊買う。干刈あがたはめっけもんだったのではと思う。いま新刊で買えるの1冊ぐらいしかないしね。

帰りみち、雨漏れしているだろうなと思わされる屋根がボロボロにはがれたアパートと、駅前のファストフード店の前で股間をおさえながらおしっこおしっこ連呼するひとりきりのちいさな男の子を目撃する。対向からやってくる女性もその男の子のことを気にしており、その空間におけるごくちかい未来の風景を想像しながら通り過ぎる。


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これは美術館がある公園に生えていた草花


そういえば、美術館へ向かう道中、展示をしらせるおおきな広告幕の下で、ひとりの女性が石垣によりかかっているすがたが目に入った。傘をもたず、ずぶぬれになり、足もとには自転車。わたしは信号が青になるのを通りの向こうで待っていて、彼女はわらいながらキャップをかぶり、自転車にまたがろうとする。青になって、わたしが歩みはじめると、そのひとも自転車に乗ってどこかへ向かいはじめる。

パセリを刻んで冷凍してあるので、豚ブロックが安かったらこないだの人生いちうまい餃子をまたつくりたいなあ、、