ノーザン、ノーザン、ノーザン!

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夜、ワカモレ、クラッカー、ゆでたまご、豚茄子新たまの豆鼓醤炒め、ビールを一本


豚ブロックは安くなかった、餃子は次回へ先延ばし。雨の吹きこみも問題なかった。体重が重いまま。なんぜ! とかいいながらパピコを食べる。白桃味。おいしいね!

豚肉から油がよくでたのでキャベツも炒めてつくりおきしておく。今日の献立はすべて多めにつくったので明後日ぐらいまではなんもせずに食べてゆける。来週中に在宅勤務に変わらなければ退職交渉のスタートかな。何も決まってないのに行動を起こす。何も決まっていないからこそ行動を起こす。起こったことが何かを決める。

カーテンの裂け目から稲光が見える。すさまじいカッコよさ。

外からきこえるアジア系の原語によって目覚める。ひとりのおんながずっと喋っている。朝、洗濯機をまわし、クラッカー、ワカモレ、キャベツ、ゆで卵。また予報が雨になっている。じゃまだなあと思いながら傘を持ってでかける。大学時代、いつも傘をもっていたことを思いだす。

マスクをして思ったが、熱中症で死ぬのでは。自分の息の熱のこもりかたがすごい。

キム・ボラ『はちどり』とエドワード・シュルツ『WAVES/ウェイブス』を観る。気せずしてアンチ家父長制映画2本立てとなった。どちらも長く、もっと刈りこめるのではというのと、vulnerabilityの象徴として都合よくでてくる(ようにわたしは思ってしまった)「男の涙」に萎えてしまい、両作ともいまいちの観後感。とくに後者は作風があまり好みでなく、うーんというきもち。なんどもでてくるぐるぐるカメラ+アニコレのフロリダダではじまっていくところはめちゃくちゃテンションがアガった。ただ、こういう好きな曲が流れる場面のたのしさも、けっきょく松居大悟の『アイスと雨音』みたいなもので、たいていは曲に画が負けているだけなのだよな。画面のサイズがバンバン変化するのも一見おもしろくはあるのだけれど、ドランなんかに比べるとちょっとどうなのっていうぎこちなさを感じる。

前者は、たとえば金日成の死といった歴史性のレイヤーを含ませることのつよさをおもしろく思った。それも含めて、いろいろとつめこみすぎの印象を受けたのだが、これを小説として展開したらまたよい感じになりそうだなとも思った(複雑さに耐えうるのは映画よりも文字のほうなのか? 考え抜いたらおもしろそうな問い、わたしは考え抜きませんが、、)。家父長制、学歴社会、家庭内暴力といったさまざな困難のなかに生きる少女が、さまざまな喪失を通して自己をとらえなおしていく138分。過ぎ去っていく瞬間の、刹那であるがゆえの愛おしさが随所にちりばめられている。

夜はフライヤーを受けとりに下北沢へ。稽古後の劇団の面々と酒を飲む。うれしい言葉をたくさんもらう。たのしさにかまけてがぶがぶ飲み、終電ぎりぎりまで居残る。