機運の高まり、運気の塊

エキソニモ展、まずはついーとした感想。

こうした空間設計にも通ずることですが《断末魔ウス》における「Special Sorry」や《Natural Process》を再展示する際の顛末が書かれたテキストなど、ユーモアの表出のさせかたに好感をもちます。マウスやキーボードを素材にした触覚性を意識させる作品群の最奥に、触知を促す《Realm》があるのもよい

まずはもくそもないか。すぐれた展示だった。「こうした空間設計」が指し示しているものは、微妙にズラして配された可動壁で、ほぼ誰にも気づかれない位置でほどよいグリッチ感をかもしだしていてそそるものがあった。ピクセルの、ドットの、ズレのような。カーペットをめくって生の床にカッティングシート(?)を張ったキャプションのつけかたもカッコよく、昨年にウェイティングルームで観た個展の印象を、つよい色であざやかに塗り替えてくれた(けっしてウェイティングの展示にわるい印象を抱いていたわけではない)。

百均でトイレットペーパーを2ロール。退去まで足りるだろうか。スーパーでひき肉1パック買って帰る。夜、朝ののこり。コアントローのライムソーダ割。しばらくして巨峰カルピスも飲む。追加販売されたイメフォフェスでケリー・ライヒャルト/ライカートの作品をひとつ予約する。そうこうしているとQさんから電話。昨日会ったばかりであるが、また会いてえな!ということで明後日また飲もうという話になる。こういう気軽さ・身軽さがだいじ。暇と金をもてあましてないと、たやすくそうはならないという点がいまの世のクソなところである。経済圏を自分らでつくっていく実践、を再上京の折には考えていきたい。その基礎がためを実家でする。

シャワーを浴びてしばらくのあいだ冷房をつけるかちょっと迷う室内のコンディションに苛まれる。なんとか耐えきって2時ぐらいにはすずしいきもちを得る。寝れずにネットサーフィン。今月は通信制限確定ですわ、、でもそれもさいごだからと思えば気が楽に、なるのか? ならないよ、なる戦争。

ピクニックに行った日、ケンタッキーでチキンを買ってから公園に向かったのだが、ちょうど鶏が揚がるのを待っている最中、店内で食べるはずの商品をテイクアウト用に包装されてしまってクレームをつけている女のひとと遭遇し、その怒りの迫力のなさが妙に印象に残っている。全身をつかって感情をあらわしているのだが、手足をおおげさにうごかす挙動といい、声のか細さといい、まるで漫画の世界の住人のようだった。年齢も、わたしと同じくらいのひとかと思ってみていたのだが、マスクを外すとそれなりに歳をとっており、おどろいた。


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ゴミだしチャレンジ成功。今日はK先生とランチなので朝食を抜こう、と思ったがあまりにおなかが減り、豆腐に刻みのりとマヨネーズと塩をかけて食べる。カリカリ梅も食べる。寝ころびながらカリカリ酸味を感じていると、この種がのどにつまっただけでかんたんに死ぬんだよなあとつねにそばにある死のリスクに思いが飛ぶ。