ぜんぶ元気のもんだい!

デヴィッド・リンチツイン・ピークス』(1990-1991)シーズン1序章。2、3年前に冒頭をNくんのスマホで肩を並べながら小田急線の車内で観た記憶がある。ひなびた国境沿いの田舎町にて、ひとりのティーンガールの死体が発見され、だれが彼女を手にかけたのか?というクライムサスペンスの型で物語は進行する。とにかくつぎつぎに癖のある人物が登場し、さらには彼ら彼女らをむすびつける不貞的関係性が続々と画面にあらわれる。序章とあるのだから、とりあえず顔見せしてみましたという感じなのだろうか。主人公(でいいのだよな?)クーパー捜査官がローラの死を親に伝えるシーン、妻からの電話をとった夫の背後にある窓にパトカーが到着するさまが映りこみ、電話口では妻の焦り泣き喚く声がひびき、ショックを受けている夫の前にしごとの契約の成功を笑顔で報告してくる同僚という流れのすさまじさ。ほか、校長の校内放送中に空の校舎をインサートする箇所や、取り調べシーンのあとに怖いくらい黒画面を表示させるのがカッコよかった。

観ている途中で妹が帰ってきて、リンチ演出に茶々を入れながらおわりまで観、そのままいっしょに幾原邦彦少女革命ウテナ』を観はじめる。1-3話。おもしろい。陰影をくっきりさせた影絵のような演出がカッコいい。アンシーと西園寺の対話を画面2分割かつオーバーラップで描写するカット割もキレていた。アバンやエレベータ、森の扉、階段など、反復の快楽もある。ところどころで「まどマギっぽい」と妹は言っていたがおれはそっちを観ていない。観たほうがいいか? 「絶対!運命!黙示録!」とくりかえす歌劇風のBGMが癖になる。交換日記や目隠し即バレといったユーモアセンスも長けている。そもそもわたしは「少女」も「革命」も好きなのだから(というとめちゃくちゃ語弊が生まれそうだが)、いままでなぜ観てこなかったのかと反省するばかりである。なお、回答はサブスクに入ってなかったから。

おれのなかのかわいそうなポエジーを、詩ではないかたちでどうにかすることで、詩のみちを拓く、その迂回路でなぎたおされた草をぶちりひとつかみして、胸の袋に挿しこんでおく。青い汁のついた指先からは、転向めいた香りがする。

夜、レタスと卵のスープ、鶏大根のポン酢炒め煮。

ブンゲイファイトクラブの小説をよみおえる。Dから遡るように読んでいって、初回のときに感じた粒ぞろいの印象がみるみるうちにたちぎえになったが、さいごに読んだAにはそのおもかげが感じられた気がした。読みながら聴いていたthe zenmennの1stがむちゃくちゃによかった。ラスト・クリスマスのサンプリングもあったりして、ノスタル感がすごい。その流れでたどりついたart wilsonもからだがうえにのびていくような心地よさ。昇天とはそういう運動だ。


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朝倉かすみ『てらさふ』のつづき。3章のおわりまで。語り手をふたりにしているところがいい、と思う。ふたりでひとり、だとしても、ひとりはどこまでいってもひとりの範囲に縛りつけられる。そのずれが、きしみとなって作品のなかにひびいている。

記事に載せている絵、これこれでダブらせてしまっていたことに気づいたが、いまさらすぎたのでそのままにする。

富野由悠季機動戦士ガンダムZZ』29-33話。29話、ニュータイプ論をやりとりするエルとルーにおどろく。

ジュドーニュータイプ的になってるから妹が死んだことを肌で感じ取ってるのよ」
ジュドーには遠く離れたものを感じる能力があるって言うの?」
「もともと人間がもってる潜在能力よ。それがテクノロジーに頼りすぎてみんな感じられなくなってるだけじゃないの!」

この文を書いている日に観た逆シャアでも似たような問答がクェスとハサウェイのあいだで交わされていたので、何か書くとすればそっちでまとめて書くことにする。

「青の部隊」篇が30-31話で描かれるが、ZZはこのような単発エピソードが多い気がする。さまざまな「戦争のありかた」の提示として観ていたが、作劇的にはそれをもとに変化するガンダム・チームは明示されない。戦争はにんげんを否応にも「大人」にさせるが、ここで描かれているのは、無意識下で成長する、ということだろうか? エロ・メロエの「青いモビルスーツは伊達じゃない!」はのちのアムロの台詞を準備しているようだし、「モビルスーツはパワーじゃない! 機動性だ!」と叫ぶガデブ・ヤシンは、1stのシャアの影がよぎっておもしろかった。

プルツーが登場する32話は作画の陰影がいつもより凝っており、三段階に塗り分けられたグレミーとオウギュストの会話シーンはそれだけで作劇を引っ張っていた。この回で退場するオウギュストの「何がプルツーだ、何がニュータイプだ、俺たち大人の男たちがそんなに役立たずか!」という絶叫も時代のすすみ=自身の遅れが血のようににじんでいてよかった。

何より高揚したのは33話でのファの再登場で、なんと次回のタイトルは「カミーユの声」である。明確に物語のギアが変わった感じがある。おわりにむかっているということだ。前半、エルにお父さん呼ばわりされていたブライトが、窮地を救ってくれたファに「なんでダブリンへ?」と尋ねられてこぼす「煙に巻かれて涙を流しに来たのさ」はひじょうにイカした台詞だった。フツーのお父さんはこんなにカッコいいこと言ってくれないよ!

夜、豆乳鍋。具はひき肉白菜しいたけ長ねぎ厚揚げ豆腐。生姜・あごだし・酒・塩胡椒のジンジャータイプと、カイエンペパー・花椒・すりごま・ごま油・オイスターソース・海鮮ウェイパーの坦々タイプ。どちらもうまい。

水島精二機動戦士ガンダム00』1期最終25話をYouTubeで観て、OPEDを聴きなおす。どれもいいなと思う。ダブルオーははじめてちゃんと観たガンダムなので、なつかしさにだまされている感がないでもないが、、劇場版のアートワークをヴァンパイア・ウィークエンドがジャケ写にしようとしていたという話、めちゃいいとおれは思うよ。そのことをネガティヴに紹介するついを見て、観てもいないやつが難癖つけるなよと思ってしまった記憶がよみがえる。ところで、おれは「やれもしないのにサッカー(野球でも挌闘技でも麻雀でもなんでもいい)批評するな」という主張がだいきらいである。みるとやるとではちがうか。

webfebriでアニメ制作者のインタビューを手当たりしだいに読む。おもしろい。吉田健一が語るバッフ・クランとロゴダヴの異星人のロボットの形状のちがいに見える深い断裂だったり、大河内一楼が脚本執筆時に全20頁のホンの19頁目に線を引かれて「ここまででAパート!」と富野に言われた話だったり、アニメスタイルもそうだが、アニメのつくり手の話は興味を惹かれるものが多い。