襲撃の静物

返さなくてはいけない連絡が複数個たまると、たちまち精神がおわる。

タオルまるめちゃお『呪殺連』を読む。おもちろい。学園モノのやつもこないだまとめて読んだけれども、キャラの愛らしさがすごい。「大人ぶる幼さ」のかわいさ。コミティア行きたいなというきもちになる。

夜、オムレツ、ロールしないキャベツ。冷凍しておいたドルマのタネにキャベツを被せ、コンソメとローレルで煮た。うまい。

脳が冴え冴えとしているときにしごとはしたい。

ステッピング・アウト〜日常の足跡〜」展@諸橋近代美術館。はじめて来る場所。アジア最大のダリのコレクションをもつ山深い地にあるミュージアムで、本展はPJ・クルックにフィーチャーした企画展となっていた。PJ、とくると、すぐさまハーヴェイ、とわたしの脳は接続するくらいだから、しらない画家である。主に、カンバスの矩形を窓や扉に見立て、側面まで絵で埋めつくされた額縁の凹凸も利用してある種の臨場感を演出するスタイルの絵画を描いていた。波形の支持体をつかった絵がおもしろく、見る角度によって表情が変わり、運動感もあらわれるので、立ち位置を変えてはよくながめた(すごく当たり前の話をしているが、こうした単純さのうちに宿るおもしろみはたいせつである)。ただ好みの絵ではなく、展示のおしりに多数並んでいたダリの彫刻がいちばんよかった。ゲームや漫画、アニメといったキャラクターあるいはクリーチャーデザインの世界にも通じていくような造形が多数あり、巨匠っていうのはやっぱり巨匠なりのちからをもっているのだと痛感した。わたしは「顔のない人型」に対してフェティッシュをもっているので、《炎の女》はいつまでも見ていられた。そこまでおおきくはない美術館だが、絵画も含めたダリの作品が一堂に会しているさまをながめられるのは、特筆に値するだろう。

もうひとつ触れておくならば、企画のこじつけかたというか、コロナ禍にすべてを引きつけて展示作品を提示する姿勢は見るべきものがある、と思った。本展がその試みに成功しているようには思えなかったが、どんなものごとも、文脈さえ仕立ててあげればべつようのかがやきを放つことを示唆する展示だった。

帰り、山道をくだっていくなかで、車に酔い、おわる。りんごジュースを飲み、回復をはかる。自販機の前で、Qooとなっちゃんどっちにするか迷う。


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トロプリ33話。プリキュア史にのこるおふざけ回。特盛マシマシ云々のラヲタ的な技名ネタはこどもたちに伝わるのかと観ている最中謎目線の不安がふくらんでいたが、いざ必殺技を放つ際の映像の編集がおもしろかったのでけっきょくわらってしまった。あのカットのつなぎはこれまでプリキュアを見つづけていればだれでもわかるユーモアが含まれてあって、言葉自体のサンタグムにピンとこなかったとしてもきっとたのしいシーンだったはずだ。反復による意味性の飽和。ほか、CM入り直前の地球ヤラネーダ誕生か……?の間もずば抜けて天才的だった。そのままCMにいくのかよ!というわらい。キュアくるるん変身シーンの気合の入りようもウケる。次回予告でもネタ枠として扱われていたが、回を増すに連れてくるるんが好きになっている自分に気づく。

バイス7話。新ライダーのモチーフが蜘蛛! プリキュアとつづけて見ているとわかることだが、情報の放たれる速度がはやい、と思う。密度が高いといいかえてもいい。もりもりしている。たとえば変身シーンでラインのようなチャット画面があらわれるが、ぜんぶ読めた試しがない。音のかさなりもすごい。cmが入ることによって起こる時間の圧縮も作用している。

話としては、ここまでずっと家族の話をしている。いまのところ保守的な家族像をあるべきものとして設定しているように見えるが、今後家父長制にどう向きあっていくのか(あるいは向き合っていかないのか)が気になっている。ついったの感想を見ていると、五十嵐家がゆがんでいるみたいな物言いが散見されるのだが、それはあまり感じていなかった。ある何かに対して「ゆがんでいる」と判断することは、ひとつの「正統」をそこに並べてはじめておこなえる行為である。