食事の途中、さっきまでスプーンをつかっていたはずの祖母が、毛糸の巻かれた編み棒でごはんを食べようとしているのを目撃し、ショックを受ける。しかも、さっきまで自身が孫(わたしの妹)にマフラーを編んでやろうとその手ににぎっていた編み棒でである。制止すると、「(これを使って)食べていけないなんて母親(ひいばあちゃんのとうとつな登場、わたしは顔すら見たことがない!)に教わらなかった!」と居直り、直後「もったいない!」と口走りながらスープを毛糸とティッシュの詰まった丼に捨てていて、もう無理だと思ってしまった。しまいには、コップが空になっていたので、彼女の好物である豆乳コーヒーを汲んで目の前に置いておいたら、わたしの目を盗んでスープの入っていたマグカップにすべて流しこんでいるではないか! 耐えられねーー。歳をとるって恐怖そのものだ。奇行に対してやさしさを保つことのむつかしさがある。
夜、あぶらげとわかめの味噌汁、なめたけのたきこみごはん、ぎょにそと長ねぎの生姜ラー油炒め、ツナマヨ和え。うまい。
新しい機材を買う。アルペジエイター単機能のシンセ! それに伴ってアナログミキサーがほしいのだが、しらべていくとオーディオインターフェース機能付きのものもまあまあ手頃な値段で販売されており、買って未開封のまま放置してあるm-track duo要らんかったかもなと後悔の念が湧いてくる。ベースとシークトラックをアンプから出力して、シンセを異なるスピーカーから鳴らすのもアリか? あるいはm-trackにシークトラックとシンセをつないで、それをアンプに出力? 思考のメモとして記録しておく。
健康診断の結果が届く。15kgも重くなっている!とショックを受けていた体重、ぜんぜん嘘で、わたしが医者の手もとで目撃した数値よりも10kg以上軽い数字が印刷されていた。安堵したが、増加しているのには変わりないのでさいきんはスクワットをよくしている。効果があるのかはしらないが、足がガクガクになって階段の昇り降りに不安が生じるまで、膝をくりかえし曲げ伸ばしする。
まほなれ11話。人間の生命エネルギーが現代魔法の源となっていた!という衝撃の事実。ゆえに、普通科の生徒たちは魔法科の生徒のためのバッテリーに過ぎなかったと明かされるわけだが、ワンクールの尺で唐突にでてくるので、登る時間のないいきなりジェットコースター感がすごい。回想で片づけられているノーザン先生の過去編、もうちょい尺をつかってくれ!
ぷにる11話。クリスマス回後編。紙粘土ケーキのシーン、教室からの逃走シーン、クリスマス仕様の変身シーンと、とにかく音楽のよさが際立っていた。森いづみパワー!
夜、わかめごはん、大根とあおさの味噌汁、そせじハムエッグ、大根と塩昆布のサラダ。うまい。
夜、ハンバーグ、豚豆腐ねぎ煮。うまい。
624
ワンコードで進行する曲をしらべていて、突き当たったトーキングヘッズを聴いている。これまで意識していなかったが、その楽曲群を聴いているとたとえばメルトユアセルフダウンの源流を感じたりしてたのしかった。ワンコードのなかでベースはどのようにたのしく展開できるのか?という疑問はあまり解消されなかったので、この曲は?というのがあったら教えてください。
Apple Musicで流れてきたFine, Great、いい。リズムとリリックがまさにファイン、グレート!という感じ。
▼「一瞬でも歌う 悲しい宴 いつまでもsay アイラブアイラブ」、さびしさのなかでのファイティングポーズという感じがする、なんていい歌詞なんだ
youtu.be
夜、ピェンロー鍋。うまい。今回は干し椎茸のみで出汁をとったが、次回は昆布も足してみる。
セッションの日。注文していたシンセも届いたのでそれでも遊ぶ。たのしい! シークトラックと合わせたいが、ケーブルが足りないのでとりあえず単体でつまみをこねくりまわす。セッションでは光と身体、赤いカラス、sonic disorder、空の箱を合わせるが(paranoid androidは時間がなくて練習できなかったとのこと)、あまりいい仕上がりにならず。なのでMのつくってきたリフにベースラインをつけて遊んだり、シークトラックに即興で打ちこんだトラックにギターを合わせてもらったりした。
夜、鍋の残りに春菊+卵+うどん。うまい。
祖母と話しているとイライラする。耳がわるい所為でわたしの言っていることが伝わらず、自分の都合のいい文言をでっちあげた上でこちらを煽ってくるから始末がわるい。今回は丸めたゴミを床に投げ、拾いなと言うと、「わたしは投げてない」と返してき(さらに支離滅裂なやりとりも交わされる)、わたしがゴミを拾うと、それを見て「わたしの口に中に詰めこむ気だろう!」と妄想をくりだしてきた。たがいの精神を守るためにわたしはゴミを捨てて自室に退散した。