アミダ・クライシス

プリキュア映画マラソン

松本理恵『映画 ハートキャッチプリキュア 花の都でファッションショー…ですか!?』(2010)。シリーズ異色の傑作。テイストをこれまでと一転させ、「お子さま」というよりも「ちょっと大人」向けに仕立て上げている。砂漠の使徒・サラマンダー伯爵と、彼の旅の相棒・オリヴィエの決裂を描く素早いカット割りのアバンからはじまって、カメラワークのダイナミックさでぐいぐいと観客を画面のなかにひきこんでいく冒頭。スタッフクレジットも舞台となるパリの背景に溶けこませるようなあしらいで魅せていて、これはいままでのプリキュア映画とちがう!と興奮する。「父殺しとアイデンティティ」という骨太なテーマを、ゲストキャラクターであるオリヴィエを「主人公」の立ち位置に据えた構成も意欲的で、プリキュアという鏡を通して彼が自己を確立させていくさまをきめ細やかに描きだしている。彼の生い立ちや、街ゆく「親子」とすれちがうことから挿入される回想シーンも、台詞なしの「語らない演出」によって描かれていて、映像への信頼=観客への信頼が徹底しているのはとてもよいと思った。こどもはちゃんとものをみている。『〜雪空のともだち』と並ぶ、現時点でのマイベストプリキュア映画。

大塚隆史『映画 プリキュアオールスターズDX2 希望の光☆レインボージュエルを守れ!』(2010)。古い順で観ていくはずだったが、順番をまちがえて観た(上記のハトキャ単独映画よりもこちらが公開が先)。プリキュアたちだけではなく、過去の映画に登場したキャラクターたちも勢揃いするつくりとなっていて、「先輩プリキュアと新米プリキュア(ブロッサム&マリン)」という構図を基本の枠組みとして、それぞれのかけあいがたのしく描かれている。「プリキュアのみんなで観覧車に乗る」という約束がたたかいの理由づけとなって示されるのだが、それはちょっと弱くないか?と感じた。また、ミラクルライトの応援シーン(最終盤ではなく、中盤の妖精たちがライトを掲げるところ)で複数のカットがかさねられる演出がなされるのだが、それがシュールなイメージを生起させていてわらってしまった。ほか、決め技を打つ際の、ブレンパワードの最後のような、プリキュアの力の合わせかたはアツかった。「手をつなぐ」というプリキュアシリーズの原初にある行為が、たしかな感動を観るものに与えてくれる。


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新胡桃『星に帰れよ』。あまりたのしめなかった。最後まで読みおえて付箋をひとつも貼らなかった。唯一、「JRの券売機は五百円以上のお金しかチャージ出来ず、電車屋の大人はみみっちいしせこいな、と私はいつも思う」という箇所の迫真ぶりは目をみはったが、かといってそのいらだちの飛距離はすぐれたものとは思えなかった。半端さはそれ自体でわるいことだとは思わないが、本作の場合はそれがよい方向に作用していなかった。突き抜けたおわり、があれば、宙ぶらりんになったもろもろにもひとつの重力がはたらいたのではないか。

プリキュアのサントラを聴いていて、「液体金属の追撃」(『映画 プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合!』より)は、後年の「SHINE!! キラキラ☆プリキュアアラモード」(『キラキラ☆プリキュアアラモード』OP)に通じているのでは?と思った。めちゃくちゃ部分的ではあるが、特徴的な「ボンボン セシボン〜」のところなので印象に残る。前者の作曲は佐藤直紀、後者は大竹智之。敵が襲来する場面のおどろおどろしいサウンドが、このように明るく変奏されているように聴こえるのはたのしい。

いまは亡き祖父が共産党員だったという話を祖母から聞き、へえとなった。たしかに、かつてローカル紙をとっていたうちの新聞を朝日に変えたのは祖父だったし(だったら赤旗を取れよという話か?)、、と左巻きなエピソードを思いだそうとしたがとくになかった。思想や政治的な話が俎上にのぼらない家庭だった。「選挙に行こう」となんのてらいもなしにいうことのできるひとは、そうした人々の存在を考えたことはあるだろうか。