殘骸(カロウジテ)

今年初の雪かき。日頃の運動不足の成果が遺憾なく発揮され、全身がおわる。事後、たかだか1時間ほどで筋肉痛があらわれる朽ちた身体。スマホをもつことすらままならなくなる。

新年セールにあわせてブックオフにゆく。地元のブックオフに立ち寄るのはそれこそ何年ぶりかわからない。CD、DVD、文庫、単行本の棚をあらかた見渡し、干刈あがた黒田夏子野田秀樹宮沢賢治田中慎弥の本を購める。どれも110円からさらに2割引。積み本体質で、なおかつ蔵書の大半が段ボールにつまったままであるがために、棚の前に立つとはたしてこの本は所持しているか/所持していないかの自問自答がはじまるのを鬱陶しく思った。探訪していくなかでプリキュアのオフィシャルコンプリートブックやコスチュームクロニクルなどを見つけたほか、ラブ作家のひとりである乗代雄介の本も複数冊発見し、こんな田舎でも!とうれしくなった。

田中裕太『映画 スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて』(2019)。観る前に「プリキュア映画最高傑作」の声をたくさん目にしていた所為で、期待値を上げすぎてしまった感がある。プリキュア映画のなかでも人形の国キュアモフルンがとくに好きなひとはきっと本作もラブな傾向があるのでは。いや、どれもいい作品であることにちがいはないのだけれども、期待ほどに突き抜けてはこなかった。

このズレは、おそらく演出の方針がわたしの好みでないことに由来しているのではないか?と思った。たとえば、よくうごくカメラやくずし顔などが、物語の要請によって駆動しているというよりも、作画のたのしさを優先してでてきている気がしたのである。それがわるいとは思わないし、同じく田中が演出していたトロプリ29話などはめちゃめちゃ興奮して観ていたし、というか元々作画オタクとしてアニメにのめりこんでいったようなにんげんなので、そういう「アニメーションの快楽」を追求するようなテイストはむしろ好きだったはずなのだが、どうもしっくりこなかった。随所で用いられている引き画のテクニックと比べるとわかるのだが、演出意図がテキストになじんでいるように見えない箇所が目についてしまったのだ。アニメーションの快楽を突き詰めるのであれば、そうした違和感を突き破るほどのうごき、あるいは逆に違和感を際立たせるようなうごきが見たかった。

そんななかでも、プリキュアには欠かすことのできない「歌とダンス」で決着をつける試みは、これまでプリキュア映画をほとんど観てきたプリキュアファンとして、そして非言語的なコミュニケーションをテーマとした作劇的にもグッと惹きつけられた。その一方で、トロプリ映画の歌唱シーンを否定する際に本作のこのシーンを比較対象に挙げるついーとをいくつも見かけていたがために、素直に見ることのできない感じもあった。画的なたのしさやきらびやかさはもちろん本作に軍配が上がるのだが、演出としてどちらがテキストを立たせているかといえば、トロプリ映画の方だろうと思うからである。同じくスタプリ期に公開されたミラクルユニバースをクソミソに貶すひとの多くが、比較対象として本作を持ち上げていたのも作用している気がする。これは映画への反発というよりも、鑑賞者への反発といった方が正しい。おれは観客に怒ってばかりいる。なお、キュアスターの口癖である「キラやば」を、終盤、まったくこれまでとはちがうニュアンスでつぶやかせる演出はほんとうにサイコーだった。うごきで魅せるものよりも、こういった演出に心をうごかされた気がする。

ほか、OPで名前紹介+バトルをするスタイルがプリキュア映画のなかでもベーシックなものとして定着してきた感があっておもしろかった。ナウシカ的な「怖くない……」シーンは、キュアモフルンでの腐海ライクな夜のシーンを思いだした。モフルンも同じく田中裕太が監督を務める作品だが、好きなのだろうか。また、プリキュアの原初的であり決定的でもあるアクション「手をつなぐ」を、プリキュア同士ではなく、異星人同士でやるのがアツかった。

「〜であります!」が口癖の犬型獣人である星空刑事メリー・アンちゃんがめちゃくちゃかわいかったが、映画オリジナルキャラとしってかなしかった(とびきりかわいい星座フォームチェンジも、映画だけのギミックだという。めちょっく!)。そんなアンちゃんに、ユーマのことを「貴重な存在」と言わせるのにはギョッとした。ユーマは本作の鍵となるゲストキャラクターであり、スタードロップというひじょうに珍しい、宇宙からやってきた存在である。そんなtheyをめぐってプリキュアが宇宙ハンターとの激闘をくりひろげるなかで、アンはハンターたちに「この子がどれだけ貴重な存在か、わかってるでありますか?」と言い放つ。ハンターがユーマを狙う理由を解き明かすとともに、ようやく守り切ったユーマに対してさよならを告げなくてはならないという事実を突きつけられる場面でも重石のように機能する台詞だが、この言い方にはユーマを「ヒト」ではなく「モノ」として見る、隠れた差別意識を見いだすことができる(「ヒト」を「モノ」として見ることが差別的だというのはあまりにも人間中心主義では?という問いはさておき、いや、本作を語る上でこの論理をさておいていいのか?)。ララがひとりユーマを探すシーンで、「前方からやってくる女(ララ)に対して道を譲らない男」が描かれていることは、この台詞と通じ合っているように思った。こうした「差別」の観点から作品を見ていくと、本作の舞台が「沖縄」であったことは、内地と本土の関係性を考えれば必然的であったことが浮かび上がってくる。異なる存在とのコミュニケーションに生じる数々の軋轢が、本作には星のようにちりばめられているのだから。ここまで書いて、大事なことを見落としているような気もしてきたので、もういちど観かえす必要があると思った。


f:id:seimeikatsudou:20220130021309p:plain
463


これで2022年1月現在サブスクで観ることのできるプリキュア映画をすべて観たことになる。短編をのぞけば、あとは深澤敏則『映画 プリキュアラクルリープ みんなとの不思議な一日』(2020)と中村亮太『映画 ヒーリングっど♡プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!』(2021)で完走だ。この2本を抜きにしてわたしのプリキュア映画ベスト5をつけるとすれば、以下のようになる。

1. 宮本浩史『映画 HUGっと!プリキュア♡ ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』(2018)
2. 志水淳児『映画 トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪』(2021)
3. 志水淳児『映画 ふたりはプリキュア MaxHeart 2 雪空のともだち』(2005)
4. 松本理恵『映画 ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?』(2010)
5. 志水淳児『映画 プリキュアオールスターズ NewStage みらいのともだち』(2012)

監督・志水淳児×脚本・成田良美コンビ率の高さ。わたしの琴線に触れる演出とテキストがそこにはあるようだ。プリキュアをはじめて観るならば雪空、プリキュア関係なしに観るならハトキャ、何シリーズか観たことがあるならオールスターズメモリーズだろうか。プリキュアのダンスや楽曲ラバーならば、志水淳児『映画 プリキュアオールスターズ 春のカーニバル♪』(2015)もおすすめ。ストーリーを期待すると肩透かしを食らう節はあるものの、「プリキュア映画」のフォーマットを新たな地平へと突き破った意欲作で、何作か観たあとに鑑賞するとよりたのしめるはず。