鼻声咲いたよ有塩湿地

アンドレイ・ズビャギンツェフ父、帰る』(2003)。よかった。ショット、構造、ストーリー、どれをとっても冴えている。たとえば1stカット。濁った水中をとらえたショットで、のちにでてくる廃墟の感じといい、そこにタルコフスキーの風味を感じたりもするのだが、これが後半つよい意味合いをもって立ち上がってくる。または冒頭に置かれた少年たちの海(または湖?)への飛びこみシーン。バンジージャンプの起源と言われているバヌアツのナゴールを例にだすまでもなく、子供から大人へのイニシエーションとして「高所からの飛び降り」はあるわけだが、そこで主人公となる兄弟は「飛びこめる/飛びこめない」の切り分けがなされ、終盤の「落下」を準備する動作としても観客の脳裏に刻まれることになる。この兄弟が、その飛びこみをめぐって争い、追いかけっこをする場面。いつしか追われていた兄は弟を追うかたちとなり、いったいどうなっているのかとながめていると彼らは自宅に到着する。そうすると、父が帰っている。翌日、彼らは父の車に乗り、泊りがけのレジャーにでかける。そう、本作はロードムービーの形式をとっている。追いかけっこの最中は、相手を出し抜こうといくつもの角をそれぞれが曲がっていった。このワインディングロードこそが、本作のすすむ道のりでもある。

12年も家に帰らなかった父親は、とりわけ弟にとってははじめて出会うひとのようである。そんな父は父権を振るう粗暴な男に見える。だから反発する。この父と子の対立がドラマをつくる核としてある。しかし、父のやりかたは荒っぽくはあれども教育的である。レストランでの店員の呼び方から、泥地にスタックしたタイヤをいかにして脱出させるかまで、シチュエーションはちがえども、とにかくなんでもやってみろと子供たちにゆだねる。その教育が、終盤、皮肉なかたちで役に立つのがものがなしい。先に触れた水中ショットもそうだが、先にでていた要素の数々が、のちにつながっている(つまりはすぐれた構造のモデルのひとつ!)のも本作の特徴だ。中盤、弟が路上で発見する鳥の死体は、まさしく終盤に置かれた落下死の予兆としてある。

かといって、要素は登場しつつも最後まで語られない真相も多くある(はたしていったい父は何者なのか)。そのバランスがいい。父が何者であるかは語られども、子に対する愛があることはまちがいない。家に帰らなかった12年という年月の重みはもちろんあれども、少なくともこの映画のなかで経過する1週間足らずの時間のなかには暴力まじりの愛情が含まれてあった。子らもそれを事後的にしり、飛びこみよりもきょうれつなイニシエーションを経験することになる。

とにかく撮影が美しく、それだけで満足だった。とりわけ印象的だったのは、林のなかを親子3人が歩いていくロングショット。それほど長い時間カメラがまわっているわけではないのだが、陽光がグッと明るくなる瞬間がとらえられており、どこかギクシャクした親子の関係性が、その画によって明るむような感覚があった。画で語るとは、こういうことであるといういい実例だ。

夜、惣菜もろもろ+甘辛スクランブルエッグ。うまい。

ワークワーク。先走らなくてよかったな案件があり、安堵する。めずらしく実作よりも思考に時間をつかう。

ラジオ。トピックは3つが30分できれいにおさまるんだということが、ここ数回の経験を通して血肉になった。今夜はよかったもののよかったところだけを語る回だったので、話のグルーヴもいい感じだった気がする。こういうリズムでまいかいやれればよい。



むかしつくった未発表のグラフィックをいま改変したもの、こういうテイストの作品はあまりつくってこなかったとふりかえる


だんだん更新されるまでの間がみじかくなってきている(といってもまだひと月ぐらいあるが)。隔月でまいにち/3日おき更新をくりかえしたらちょうどよくなる?

ワークワーク疲労する。

都内からKさんがやってくるというので、さいきん足繁く通っているBにて盃をともにする。次いでK寿司、M、スナックMと4軒もはしごしてフラフラになる。地元で回らないタイプの寿司屋に行くのははじめてだったが、店内も板前もすこやかな雰囲気で、かなりよかった。すこぶるよい夜。

家に帰り、マイクアリのペナンホワイトカレー麺を〆に食すがあまりに辛すぎてなみだがでる。検索すると世界で一番おいしい(ソースは個人ブロガー!)インスタントラーメンとでるが、さすがに味覚がおわっているだろと中指を立てた。激辛な食べ物を世界一うまいと評価づけるひとの味覚を信用してはならない。しばらく前に食べたGLOBO FOODSのグリーンカレー並みの辛さ。豆乳で中和してもだいぶきつかった。残りのパックを食う羽目になるのはおれなので、どうにかアレンジを考えなくてはならない。