近づいていかない動物たち

ヒスイゾロアークをもらいそこねた。ポケモンDLC。ダウンロードするかー、と〆切日にベッドの上で思いながら、気づいたら朝だった。あーあ、と思ったが、落胆のあーあーというよりも、のどもと過ぎればのあーあ、だった。スイッチはもうウーラオスにぶっ飛ばされてから起動していない。もこうやバンビーの対戦実況は観ているのでモチベーションふっかつの可能性はのこされているはずだが、、十三騎兵たちも世界を救うことなくねむっている。

Apple Musicのフェイバリットプレイリスト、8823→ランブルの流れがあざやかで朝からグッとテンションがアガった。ゴーイングといえば、昨日流れていた曲がかなりストレンジカメレオンに似ていたが曲名を忘れた。

今月はアニメと映画を観まくるぞのきもちがある。ライドができるのもおそらくさいごの月になる。熊は相変わらず出没している。



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黒沢清『地獄の警備員』(1992)。オープニングシーンの不穏さがすごい。正面(カメラ側)を見据えた女-主人公の顔が画面に映り、背景を見るに車内(黒沢映画における車のなかという異次元空間……)であることがわかり、運転手とのやりとりからここはタクシーのなかで、さらには渋滞に巻きこまれていることが察せられ、どうも攻撃性をうちに秘めた言葉ばかりが女に浴びせかけられている。このシチュエーションは劇中、異なる相手(つねに男である)によって幾度も反復され、マンスプレイニング的性質をもったハラスメント映画としてわたしの目に映った。ラース・フォン・トリアー映画でおなじみの、女の受難譚である。一連の運ちゃんとのやりとりののちにカットは切り替わり、黒塗りの、割れたフロントガラスをにぶく光らせる車が向こう(画面の奥)からこちらに向かって迫ってくる。次いで、カットはその車内に遷移し、タクシーの運転手が語っていた殺人力士の再審報道を流すカーステレオが画面の中心に据えられている(先ほどとは逆サイドからひび割れたフロントガラスを映している、いわば、切り返しショットである)。むろん、それを聴きながら運転をしている人物の顔は映らない。観客はそれが「地獄の警備員」であることを「映されない」ことによって理解する。タイトルバック。

このタイトルバックもカッコよく、暗闇に地獄の警備員と思わしきにんげんが風(風[になびく布]もまた特筆すべき黒沢文法のひとつである、本作に登場する資料室、つまりは異様に天井の高いデカ空間もまた)に吹かれている、というショットなのだが、流れている音楽のムードといい、せんじつ観た『ビヨンド』(ルチオ・フルチ、1981)のことを思いだした。観おえてから気づいたが、そもそもタイトルに「地獄」がついているではないか! ジャンル映画の作家として黒沢が観ていないはずはなく、このように「系譜」を作品のなかに発見するのはたのしい。


▼『ビヨンド』に触れた記事
seimeikatsudou.hatenablog.com



系譜といえば、これは映画自体が、ではなく、わたしの鑑賞歴においてのものだが、地獄の警備員こと富士丸が警備室の階段を降るシーンを観ていて、平田オリザ『革命日記』の同様のシーンを思いだした。むろん、その運動は物語のレベルにおいても「下降」のベクトルをもつからこそ画面に映しだされる(なんども螺旋階段を降りる羽目になる主人公の成島を見よ)。

警備室の構造もおもしろい。階段と先に書いたが、室内には階段があって、下階には監視カメラのモニタが、上階には寝泊まりできる休憩室がそなわってあり、ゆえに、室内を映しだす際のカメラワークに高低のダイナミズムが生まれる。この上下構造をを作品の舞台となるビル全体に敷衍させれば、成島のはたらく4階のオフィスと、富士丸がその拠点にする地下室(『ビヨンド』!)という対比があり、とりわけ後者は資料室に負けず劣らずの魅力的な空間(乱雑さが支配する、あやしげなアトモスフィア……池田敏春死霊の罠』1988なんかも思いだされる)となっていて、「その場所自体が撮らせる映画」ということを考えた。わたしのあたまにパッと浮かんだのは黒沢の弟子筋でもある五十嵐耕平『息を殺して』。風景は雄弁である。


▼『息を殺して』に触れた記事
seimeikatsudou.hatenablog.com


『ビヨンド』同様、残虐シーンのあるホラー映画でもあるのだから、そうした箇所にも触れておくと、ロッカー内ににんげんを閉じこめてから扉に体当たりし、ロッカーごと圧死させる殺害方法はそのプレス(動)と、空気穴からの流血(静)の対比がここちよく、すぐれた殺人だと思った。通路の左右の壁に人体を交互に打ちつけたり、ベンチの下に隠れていたにんげんをベンチごと壁に打ちつける暴力シーンはコメディみがあり、思わずわらってしまった(おもしろいといえば、とうとつに洞口依子が登場するのもおかしかった)。1回でなく、ガンガンガンとたたきつけを反復することがミソである。閉鎖空間において、何者かが外部からやってき、ガチャガチャされるドアノブがぐるり一回転する描写もちょう怖かった。いよいよ『回路』も観るときがきたか!というきもち。