a little bit hit lights

ふたりはプリキュア Max Heart12話。敵新幹部登場回。その到来を、横転したパトカー(観ているとそれがおもちゃであることがわかる)を1stカットに置くことで伝えるセンス、あまりにもカッコよすぎる。こういうのを見せられると、オトナプリキュアもマジで絵コンテ・演出がんばってくれとなる。キャラたちが主題歌を歌いながらドライブするシーンはひろプリにもあったが、やっぱりいい。たのしい販促。そんなシーンもあってか、五條真由美がモブに声を当てており、へえと思った。

プレッシャーをかけてくるひとがかなり苦手なので、自分もだれかに接する際は圧をかけないようふるまっているが、そうするとただでさえひとからなめられやすいのに、さらなるなめられが発生するのでめちゃくちゃに腹が立つ。銃やナイフをふところに忍ばせておくひとのきもちがよくわかる。

深夜1時、寝室のレースカーテンのフックをすべて破壊するニャン。

仮留めのためにもちいたガムテープを速攻はがしにかかるニャン(破壊ニャンとはべつのニャンである)。

しばらくして布団にもぐりこんでくるニャンズ。体温が暑い!

自分に何かを言い聞かせるために必要な外部をSNSとすることで病んでしまう心は無数にあるのではないか。いまわたしは主にこの場所をそのはけ口として用いているが、時差と過疎によってしきられた空間は居心地がよい。「鼓舞と救済」とはこのブログを立ち上げたときにコピー(?)として掲げた文言だが、そしてそんなことをつねに意識しているわけではないのだが、わたしがこの場所に文をつらねる意味=理由になっている。

ひろプリ38話。ハレバレジュエル回。冒頭提供絵におけるプリキュアチームの眉のかたちが、ソラ・ましろん(+エルちゃん)/ツバサ・あげはで分けられているのがなんかよかった。青山原画の丸みがかわいく、なかでも飛行中の強風でデコ丸だしになったみんながすばらだった。一人原画回でもあって、バトルシーンなどに省エネの姿勢を感じたのだが、そんななかでも画面への工夫(フキダシポップアップ、遊覧鳥に乗って飛んでるシーンの雲の撮影、竜族の足跡を見つけた際の超速汗だらだら、竜族に囲まれた際のぐるぐる演出、ズームアップ……)が多々散見され、とりわけツバサを賢者に推薦するというラストシーンに「風」を吹かすのを見て(21話の反復!)、卓越した技を感じた。担当は篠原花奈。納得の手腕である。脚本は村山功。EDキュアはウイング。


▼21話の絵コンテは今千秋、演出は岩井隆央
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これはバックホーンベスト11-20です


夜、シュクメルリ風をスパゲティと和えて。うまい。

ルチオ・フルチ『ビヨンド』(1981)。初ルチオ・フルチ地獄の門の上に建つという、呪われた宿屋を舞台にした残虐スプラッタ。人体の損傷をカットを割ってしっかりドアップで魅せる演出法に、「歴史」を感じた。ハネケは完全にこうした直接性以後の作家である、ということだ。本が読んでいる最中に燃え上がるというシーンがカッコよく、そこにスタッフクレジットがかさなり、画面もモノクロからカラーへ変化する(時代が遷移する)というオープニングクレジットがベリグッド。のち、すぐににんげんが高所から落下して吐血する流れに勢いがあってよかった。同じ場所を舞台にした冒頭のモノクロームシーンでは、残虐シーンに至るまでに謎めきの舗装路を敷いており、色味だけではなくテンポ感も変えていくぜというギアチェンジの気配を感じた。つぎなる犠牲者である配管工が、水浸しの地下室で目玉を指で抉られたあとに、何もない直線道路を走る車のカットをつなぐ編集もヤバい。配管工の死体にはビビらずに、水から浮き上がってくる死体にビビる使用人もなんでだよ!という感じでいい。

とにかくいろんな方法でひとが殺されていく映画だが、脚立から落下したのち、どこからともなくやってきたタランチュラの群れに顔面を食い破られる場面(めちゃくちゃ時間をかけて食べられる! ドアップ! このスロー感がたとえば『SAW』シリーズなんかとはちがう点)と、飼い犬ディッキーに喉笛を噛み切られてしまう盲女のふたつがとくに印象的である。舞台が病院に移ってからは敵(?)がゾンビとなり、ああ、これはゾンビ映画でもあったのかというなぞの感動があった。つぎつぎに襲いかかってくる殺意の手からなんとか生き延びた2人が並んだバストショット→2人が立っていた場所(しかし2人のすがたはない)→2人が後ろをふりかえるカット→ふたたび2人が立っていた場所(しかし2人のすがたはない)という不穏で美しいカットワークが白眉。音楽にはゴブリンっぽさがあり、担当したファビオ・フリッツィはじっさい共作もあるそうである。