この先なにかがどうにかなることなんてない

井上俊之のインタビューを読み、集団制作っていいよなと隣の芝生の青さを目にしみわたらせる。

昼、ひき肉とひよこ豆とチーズの炒飯。うまい。いつかの水沢うどんの付属品であるゆず七味を風味づけにぶちまけたら想像以上に辛く、失敗したと思った。

夜、ひき肉とひよこ豆のハヤシライスソース。うまい。クローブナツメグ、シナモンを入れてスパイシーにする。昼のあまりにかけて食べたらカレーのようだった。

ひじょーーーーにめずらしく1人で外飲み。年始のあつまりのための店を見繕ってほしいという連絡があり、その下見として。祖母の家のちかくにあるこぢんまりとした店で、ちいさい頃なんども店の前を通ったはずだが、きちんと記憶のなかに存在はしていなかった。鶏と根野菜の煮物、そば粉のガレット、鮭と秋野菜の揚出し……と何を食べても美味く、酒のラインナップもベリグッドだった。先客である住職さんにもよくしてもらい、いい気分で帰宅。

ひさびさにライド。お気に入りのコーデュロイパンツを履いていたのだが、漕いでいるうちに股がバリバリに裂けていき、おわった。しりまるだし。買ってからもう10年とか、そのぐらいの時間が経っている気がするので(物持ちがいい!)寿命とあきらめて捨てた。wizzard、しらべたらまだ現役のブランドだった。

せっかく準備したことがないがしろにされるとかなり喰らう。ふつうにかなしい。そうやってひとの誠意は砕けていくんだろう。

「友情 勇気 冒険だ!」というドラえもんズの言葉がちかごろ脳裏によみがえってくる。なんの予兆なのだ。



これはアジカンベスト11-20です


リビングで寝入ってしまったニャンが夜中に目覚め、ストッパーのかかった戸をむりやりこじあけてわたしの部屋の前までやってき、かよわい声で鳴く。扉をあけるとヒョコヒョコと入ってき、しばらくするとふとんのなかに入れろと枕もとまでやってくる。なんてかわいいんだろうか。

熱意のある感想、マジでいいなと古いスマホのほうにブックマークしてあるブログの記事を読んで思う。書いてあることに同意できるかは別問題として、情熱の多寡だけでよしあしが決まると言ってもいい(いいすぎ

かなり自己が喪われてきている。

昼、ハヤシライスソースとチーズをのっけたトースト。うまい。

安濃高志『THE 八犬伝』(1990)1-2話。観るリストにながらく入れてあったもの。どうせなら新章も観たいのだが配信されていなかった。1話、歌もクレジットもなしのOPをふしぎだなとながめつつ、タイトルバックが2回でてくるのにもわらってしまう。いや、ギャグでやっているわけじゃないのだが、そうでないからこそおもしろい。それなりに使用されるスロウな移動撮影にコスト削減のにおいを感じ取りつつも、大平&橋本コンビの面目躍如であろう、ちょうぜつアクション作画がすごい。うごきまくりの本編とは対照的な、一枚絵をバックにしたエンドクレジットにあらわれた、錚々たる原画マンたちの名にもビビる(沖浦啓之梅津泰臣磯光雄……)。非アクションシーンにおける(凝ったクレしんの作画を彷彿とさせるような)パースのよさにも心惹かれた。原作は小学生の頃に読んでいるはずだが内容はまったく記憶から抜け落ちており、ゆえに、時系列(?)がシャッフルされた編集で構成された話の流れもよくわからなかった。

2話で印象的だったのは子を庇うために足蹴にして自死する父の世代を越えた反復で、祖父-父-子の血縁・運命的関係性(八犬にもかかっている)を強調するすぐれた作劇・演出法だと思った。自死の原因にもなった瀕死の愛犬を介錯する際の、「刀が泣く」描写も冴えている。EDが黒バックになり、曲も変わっているのにわらった。

夜、ひき肉白菜キャベツのトマ卵炒め、焼きさけるチーズ。うまい。ハルーミチーズを食べたときにさけるチーズを思いだしたが、同様の回想が逆ベクトルで起こった。

ラジオ、今回からいちいちSNSで告知するのをやめた。ブログのような場所でありたいし、既知のひとらに向けて広報してもなと思ったのだった。また、個別的かつ具体的事例と一般的かつ抽象的話題のバランスがむつかしい、と話しおえた段階で思った。どこまで取り上げる作品の細に入るのか。どこまで連接的横すべりをつづけるのか。OBSの操作にとまどう場面もあったので操作に慣れたい。トピックとトピックをつなぎあわせるのはよい具合にできるが、即興的な語りのなかで、自分にとって新鮮でない例がでてきてしまうのもどうにかしたい。ああ、これはかつてどこかに書いたり話したりしたことだなと思いながら話すことのつまらなさ。大切なことはなんどでもくりかえす、とはまたべつの次元の話だ。わたし自身がおもしろがれないものを自然とやってしまっていることのつらさ、恥ずかしさ。