清潔な墓標

ライド。ケツが人生になる。意味がわからないが、自宅へ向かっての最後の10kmを漕いでいるあいだはそんな言葉があたまに浮かんでいた。存在は痛みを中心にして構成されている、ということである。ブスケみたいな話だなと思いながらひいひいチャリを漕いでいた。総走行距離は82kmくらい。行きも帰りもそれなりにながい坂があり、今シーズンにどめのライドの身にはかなり堪えた。 

ハイライトは帰路の登坂中、いったん止まって補給にもってきていた黒糖かりんとうをポリポリ食べていた際に、左後方の藪のなかから低い唸り声が聴こえてきたシーン。さすがに死んだかなと思った。唸り声が聴こえる距離ということは、すなわちその発声源が手のとどく距離にいることを意味している。昨日ショップに行った際にも「(さいきん目撃情報が多いから)熊には注意して」と言われ、走っている最中にもおそろしい爪痕のイラストの描いてある熊出没注意の看板をいくつも見かけ、さらにはアスファルトに獣の糞が落ちているのをいくつも目撃したあとのコレである。ひきこもり生活によってなまりきった身体は、気温30度級の直射日光と50kmの走行ですでに疲労困憊。しかも坂の途中というのもあってどんなにがんばってもカスみたいな速度しかでない状況。死にものぐるいでペダルを漕いでその場を離れ(むろん、すすんだのは微々たる距離である)、なんどもうしろを振りかえりながら登りつづけることでなんとか事なきを得たのだった。熊にあったら目を離さずに静かに後退りする(小学生の頃、国語の教科書には「熊に話しかけるといい」と主張する随筆が掲載されていたことをおぼえているが、じっさいに遭遇した際にそんな余裕はないと思いしった)とよくいうが、すがたが見えない状況でそんな悠長なふるまいをおこなうマインドがわたしには生起しなかった。生きててよかった。

夜、だしがけ豆腐、チーズひき肉卵のスパイス醤油炒め。クミン、にんにく、カイエンペパー、ハラペーニョタバスコ。うまい。

こんなに疲れ果てていてもきちんと料理をつくり、洗濯をするえらさ。それを当たり前のものとして享受している家父長制の申し子どもは皆殺しにしよう!



578


朝、キャベツひき肉豆腐卵の生姜ウェイパー炒め。うまい。

ニャンがトイレの砂を必死にかいており、どらどらと近づいていくとうんちの塊が3回分も放置されている! かわいさだけを享受してペットの世話を押しつける家父長制の申し子どもは皆殺しにしよう!

ひろプリ20話。ましろん絵本回。初の4人変身が描かれる回でもある。青山キュアの丸みにきもちを癒されつつ、声の機微によってしっかりと芝居を成立させるソラ役・関根明良の技量に目を瞠った。水星の魔女の能登麻美子を見て、すげーと思うのと同様の感慨があった。同僚であるあげはの呼びかたに倣って、初対面のましろを「ましろん」呼びするプリティホリックの店員もよかった。とりわけ印象的だったのは、アバンにおいて、ほかのみんながアクティブに活動しているのを傍目に見つつも、家でひとり紅茶を淹れて一息ついているましろんのシーン。途中、室内の柱に絡むような葉のない木(装飾?)のカットが意味深にインサートされるのだが、後半、公園で葉の繁った木をましろんが見上げるカットが登場することによって、そこに対比の関係が生まれる。その画にかさなるようにして、みんなにすすめられて描くことになった絵本の、もととなるお話がなかなか思い浮かばないましろんがひとりごちる「みんなみたいにこれをやりたいってきもちにはなれなくて……」という台詞。つまり、「何かがあるみんなと、何もないわたし」が、葉のある木と、葉のない木というモチーフによってあらわされているのである。絵コンテ・演出は志水淳児。しびれる。今回のランボーグは信号機モチーフで、赤信号ビームによってプリキュアたちのうごきを止めてしまうのだが、バッタモンダーまでも停止してしまう作劇にわらった。EDキュアはキュアメロディ。ようやっとかつて観ていたシリーズのプリキュアたちが登場してきた!

夜、しめ鯖、ヨーグルトとスパイス漬け鶏むねと玉ねぎのトマト煮、もろこしごはん。うまい。セージ、にんにく、パプリカパウダー、カイエンペパー、塩糀胡椒。

ワークひとつおわらす。打ち合わせもやる。チューハイ2缶開ける。甘いはうまいですよ紺先輩、にはならない。

水魔21話。クワイエット・ゼロ殴りこみ回。アムロとシャアのように、スレッタとグエルがフェンシングで決闘を!とオマージュによろこびつつ、おもしれーと観た。次話のための、溜めの回という感じ。あと2話でおわるわけだが、プロスペラさんのあとにまた何かひかえているのだろうか。

昼、昨日のトマト煮にチーズとカイエンペパーを足してうどん。うまい。

あまりワークすすまず。思考はうごいてはいるので実作業的には、ということである。イマジネーションの時間。考えなくてはいけないことがワークのほかにいくつかあり、それが重石にもなっている。重石があること自体には好悪両方の影響がある。文字情報をてきとうにうごかしながらイメージをかためていく。