健常賢女臭いか死ぬか

中山竜『チェンソーマン』3話。予告がバチバチだったので本編を観るのをたのしみにしていたが、そしてvs.コウモリの悪魔シーンはじっさいバチバチだったが、期待を超えたかと言われるとちょっと口ごもってしまう。マキマとアキのドライブシーンの台詞と噛みあうカット割やコウモリハウスに向かう際のフレーミングなんかも気が利いていてよかったし、オフィスビルに突っこむシーンではたらく会社員のカットから場面をはじめる構成にも感心したので、何が足りないのだろう。たとえば自販機の前でのデンジとパワーの会話シーン、アニメ的ケレン味のあるテンポとカットで演出されていたら? 全体的に流れているある種の「オトナ感」をわたしは疎んでいるのかもしれない。

森本晃司『永久家族』(1997)。1話25秒、全53話という異色の構成をもった超短編アニメーションシリーズ。好みかそうでないかで言えば好みの範疇に入るはずだがあまりたのしめなかった。2周するとまた印象も変わってきそう。しかし2周するならほかのアニメ観るかな、みたいな。わたしの好きな佐藤大のアニメ脚本デビュー作だそう。

夜、煮干しチャーシュー炒飯、舞茸小松菜豚大根の生姜五香粉煮。うまい。煮干し出し殻のオイル漬け、ちょううまい。スパゲティのソースにつかったりやトーストにのせてもぐっどだと思う。

Hさんと電話。ものをつくるための話はたのしい。

夜、肉じゃが。具は牛肉、エリンギ、じゃがいもだけ。煮干し油をつかう。うまい。

デパプリ34話。野球回。野球ユニがそれぞれちょうかわいい。マリちゃんの師匠であるジンジャーと品田ママにつながり?みたいなカットがあり、後半はシナモンなんかも交えて「過去」がより出張ってくるのだろうか?と思った。「おばあちゃん」もキーパーソンなわけだし。

ドンブラ35話。ただでさえおもしろいのに、さらにおもしろくなってきた感がある。「指名手配に松竹梅があるなら〜」にわらう。犬塚が獣人となる展開もいいし、「青春スロー」の馬鹿馬鹿しさもサイコー。

水魔5話。色恋が軸になることのおもしろさを思った。ギャグに振っていたこれまでから、シリアスへと舵を切ったことによってそれが意識化された。「色恋」というと、ダンバインの名を召喚したくなるが、ああいうのともまたちがうんだよな、と思いなおす。

夜、豚トマ舞茸スープ。にんにくとバジルをきかす。うまい。



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座古明史『映画デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みるお子さまランチ!』(2022)。これまでのプリキュア映画にでてきた要素を素材に、うまく料理していると思った。敵対者との約束工場という舞台装置妖精の変身……。納豆ミサイルさくれつシーンやブラぺによる救出シーンに顕著なヌルヌル作画も見どころで、トロプリ映画におけるあすか先輩の描写を彷彿とさせるあまねのギャップ(遊園地ではしゃぐわりに絶叫マシンが苦手!)にも惹かれた。キュアモフルン鑑賞時にはまほプリ本編を観ていない状態で鑑賞したためにその変身に対する感動が薄かったのだが、かといって本編を観ているデパプリに関しても予告でさんざん煽られていたのでそこでの高揚はちいさかった気がする。タイトルにも冠されている「お子さまランチ」をモチーフにした物語は、大友へのメッセージとしても受けとることができ、劇場内でたったひとりその呼称で呼ばれるであろう状態だったわたしは勇気づけられて映画館を後にしたのであった。

おしりにくっついている短編『わたしだけのお子さまランチ』のノリもたのしかった。過去のプリキュアを画面に登場させるために、短時間の尺内で幾度も同じ展開を反復させるユーモア。観客=スクリーンに対して話しかけるpov手法も新鮮で、配信を見据えた選定に思えた。これでプリキュア映画マラソンを完走したことになる。2020年の11月からスタートしたので、走りおえるのに2年ちかくかかったことになる。達成感がある。

平日真昼時にプリキュアの映画を観に来る異常者であることを、3組の家族連れとともにスクリーンを見つめながら思った。前席に座る子供たちが持っているキラキラした袋を見て、あ、入場特典もらい忘れたなと上映終了後に受付に行くと「(配布は)もう終わっちゃったんですよ」と言われ、かなしみを背負いながら大型書店に寄って、さんざん棚を見回った挙句何も買わずに家に帰った。映画を観に行って帰ってくるだけで映画がもう1本観れてしまう交通費を払う羽目になるこのクソのような立地からはやく脱さねばならないと思う(同じことを行く前にも書いていてわらった)。

夜、煮干し炒飯。うまい。

今村夏子『星の子』読みおえる。新宗教にどっぷり浸かった家庭に育った少女の、彼女なりのまごうことなき「青春譚」。まあまあおもしろかった。Hさんからの今村夏子推しによって積み本タワーからひっぱりだしたわけだが、そんなHさん味のある会話があり、思わず付箋を貼った。

「……おれは知らなかった」と新村くんがいった。「おれは本当に知らなかった。そうか、あれ林の父ちゃんだったのか」
「ごめんね」
「あやまるなよ……。そうだったのか、おれてっきりかっぱかなにかだと思った」
「バカじゃないの」
 となべちゃんがいった。
「まじなんだ。そんなわけないとは思ったんだけど、なんか全身緑色に見えたし、頭の上に皿のせてるし。それに隣りのやつが水かけてただろ、皿の上に」
「隣りにいたのわたしのお母さんだよ」
「えっ。あれ女?」
「うん」
「……そうか、ごめん」
「新村、近視だから」
「そう、おれ近視なんだ」
「暗かったし」

夜の公園で「信仰」を実践する両親を目撃してしまったことをいっしょに見ていたクラスメイトとのちにふりかえる場面、温度感はちがうが、「かっぱかなにかだと思った」、もっといえば「新村、近視だから」のそこに結びつけるのか!というロジックの立てかたはまさにHさんの書くテキストにも流れるものだと思った。「近視」の一言で見間違えの論理をグッと圧縮する手管。見事である。ネトフリにあるようなので、映画も観ようかなという気になった。

夜、椎茸バター醤油、ねぎひき肉チーズのサテトムポン酢そぼろ。うまい。