わたしに流れる時間のラブ

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2010s映画ベスト50+(50→41)
順位は観た当時の評価をもとに作成。観た映画の本数は毎年50-100本程度増えており、年々目も肥えてきているはずなので、現在観かえしたらずいぶんさまがわりするのではと思うが、そこまでやっているときりがないのであえて手を入れずそのまま並べた。1記事につき10本+触れておきたい選外作品を1本選出し、それぞれに作品紹介というよりは個人の思い入れをメモとして付す。
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50

橋本直樹『臍帯』(2012)
2012年に新宿武蔵野館で鑑賞。橋本直樹の長編デビュー作。自身を産み捨てた母への、愛憎入りまじったつめたく鋭利な復讐劇。基本的に暗くて退屈な映画だが、台詞も音楽も極限まで削いだ静かな作劇がずっと印象に残りつづけいる。ぜひともこの方向性で作品をつくっていってほしかったが、7年ぶりの監督第二作となる『駅までの道をおしえて』(2019)は伊集院静原作のエンタメ作のよう(未見、都内名画座チャンスあるだろうか……)。劇場リニューアル前で、前の席に座ったおじさんのあたまが鑑賞中ずっと邪魔だったという記憶。パンフレットがフライヤーとほぼ同じ内容で、それに対してもふざけるなと思った。


49

アスガー・ファルハディ『別離』(2011)
2012年にル・シネマで鑑賞。どうにも立ちゆかなくなる状況を、非常に巧みに編まれたストーリーラインによって構築した、イラン社会におけるシリアスな離婚劇。現代映画界最高の脚本を書く男としてわたしのなかに君臨しているアスガー・ファルハディとは本作にて邂逅。以後すべての作品を劇場で観ているが、高い基準点としてこの作品は屹立している。『マリッジ・ストーリー』(2019)や『ポゼッション』(1981)を観おえたあとであるいまこそ観かえしたい。


48

米林宏昌思い出のマーニー』(2014)
2014年に鑑賞(おそらく新百合ヶ丘イオンシネマ?)。ジブリ作品のなかでは『崖の上のポニョ』(2008)と『猫の恩返し』(2002)を愛するわたしだが、本作もそれらと並ぶ格別の一本。これは感受性がつよくて傷つきやすい少女が、それを抱えながらも友人との出会いを通して次第に成長していくガールズムービーの傑作なんだ(そう、おれはガールズムービーが大好き)。ラブ度でいえば、本ランキング内でもトップ5に入るであろう、とにかく好きな映画。


47

五十嵐耕平『息を殺して』(2014)
2014年に藝大の馬車道校舎で鑑賞。映像研究科映画専攻の修了作品展で5本立てつづけに観たなかの一本で、重石のように心に残りつづけている「空気」の映画。わたしたちを覆っている──それも、生まれたときからとでもいいたくなるような──未来の仄暗さ、不確かさが、本作には高い映画的達成をもって刻印されている。今回は50本の選出ということでこの位置に置かれているが、もし10年代の10本を選ぶとなれば、必ずそこに残すだろうと思う傑作。しようと思ってもなかなかできない、わけのわからぬまま打ちのめされる鮮烈な映画体験がここにはある。同窓の3人の監督による短編オムニバス『恋につきもの』(2014)、盟友ダミアン・マニヴェルとの共作『泳ぎすぎた夜』(2017)と、単独監督長編からはしばらく遠ざかっているが、五十嵐耕平は今後の日本映画界を背負っていく監督の一人だと確信している。


46

ノア・バームバック『フランシス・ハ』(2012)
2014年にアルテリオ映像館にて鑑賞。10年代の好きな映画10本というくくりであれば必ず選出するであろう、NYに暮らす見習いダンサーのUndateableなガールズムービー。『レディ・バード』(2017)に『若草物語』(2019)と、いまでは監督としても活躍しているグレタ・ガーウィグに出会ったのもこの作品がはじめて。大学4年のときに友人と観に行き、七転八倒しながら人生をなんとかやっていこうとするフランシスと親友ソフィーのすがたに、これから世にでていこうとする自分たちをかさねてきもちをたぎらせたものだが、そんなぼくらもいまではフランシスと同い年あるいは彼女の年齢を通り越してしまった。作品コピーである「ハンパなわたしで生きていく」は10年代出色の出来。


45

ネメシュ・ラースローサウルの息子』(2015)
2016年にシネマカリテで鑑賞。アウシュヴィッツにおけるゾンダーコマンド(同じ囚人でありながら、ガス室で虐殺された同胞の死体を処理するために編成された部隊)の置かれた苦境と蜂起に至るまでが、主人公サウルにへばりつくようにして密接した息苦しいまでのカメラワークによってとらえられる。10年代筆頭の撮影監督として、本作の撮影をおこなったエルデーイ・マーチャーシュの名を挙げたい。


44

中川龍太郎『Plastic Love Story』(2014)
2014年に下北沢トリウッドで鑑賞。たぶんこの映画館に行くこと自体もはじめてで、そのちいささにおどろいたのと、そのちいさな劇場内で舞台あいさつを聞いた記憶がある。予告を観てもらえばわかる通り、近作に比べずいぶんと粗さが目立っているが、その感じがまた「映画をつくる」というエネルギーにみちているようでよかったおぼえがある。ではきれいなものにはその熱意がないのかと問われればちがうのだが。

43

トッド・フィリップス『ジョーカー』(2019)
2019年にTOHOシネマズ新宿で鑑賞。バットマンシリーズを何ひとつ観ていなくても大いにたのしめた。引き合いにだされる映画として、マーティン・スコセッシの『タクシー・ドライバー』(1976)や『キング・オブ・コメディ』(1982/未見)ばかりがでてくるが、リン・ラムジービューティフル・デイ』(2017)もお忘れなく、と伝えたい。


42

ウェス・アンダーソンムーンライズ・キングダム』(2012)
2013年に鑑賞(たぶんシネマライズ?)。最初に観たウェス・アンダーソンで、『ダージリン急行』(2007)、『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)、『犬ヶ島』(2018)と観ているが、いちばん好きな作品。予告を見るかぎり、新作『フレンチ・ディスパッチ』(2020)も期待大。


41

アリーチェ・ロルバケル『幸福なラザロ』(2018)
2019年にル・シネマで鑑賞。善良なラース・フォン・トリアーという印象を抱く無垢と受難の物語。こういう奇妙な作品に出会うために映画館に通っているといっても過言ではない突飛さをもった作品で、途中、生涯マイベストの1本であるエミール・クストリッツァアンダーグラウンド』(1995)を彷彿させる映画的ワンダーが炸裂する。監督の姉であるアルバ・ロルバケルが出演しているのも映画のつくりかたとしていいなあと思う。パンフが売り切れで買えなかったのがかなしい。


選外

福間健二『あるいは佐々木ユキ』(2013)
2013年にポレポレ東中野で鑑賞。実験映画と劇映画のはざまをゆくようなふしぎな語り口をもつ本作は、わたしが詩を書くようになったきっかけのひとつでもある。監督である福間健二は詩人でもあり、10年代には『わたしたちの夏』(2011)と『秋の理由』(2016)も撮っているが、前者はまだぎこちなさがあり、後者はドラマに傾いてしまっていた。2020年に公開される『パラダイス・ロスト』がたのしみ。