肉巻き幽霊かわいいね

保坂和志『草の上の朝食』感想のつづき。

たとえば映画なんかで、引っ越しが終わっちゃったあとにカラッポの部屋だけ映して、それにみんなが楽しそうに話している声をかぶせるっていう方法が、ありますよねえ。/ああいう感じと同じっていうわけじゃないけど、──部屋とかいつも歩いている風景とか、そういうのってどれくらいこっちが支配してるのかっていうか、こっちの感覚が届いているのかっていうか、──だから引っ越しのシーンとはやっぱり全然違うんだけど、──。/いつもいる場所に対して人がどういう関係のつけ方をしているのかっていうのを、映像と音で撮れるかどうかわからないけど──、やっぱり撮りたいと思ってるから、とにかくまずすべてのシチュエーションを撮ることにしてみよう──って。

書き写していてふしぎだったのは「──」の使いかたで、声がとぎれる感じがありつつも、「、」の前に入るのか、後に入るかで異なったリズムが生まれ、話者であるゴンタのキャラクターがあらわれていく。本作にはつねに「や、」と発語の頭に発する男もいれば、毎回「ああッ?」と相手の言葉を聞きかえす男もいるので、そういった話法が話者の肉体をつくっていく節がある。これはわたしが引用をはじめる前に書きたかったことではなく、引用を書くことで書かれた言葉である。

本題。わたしがまず興味を惹かれたのはその文体ではなく内容のほうで、今村純子がヴェイユをつかって似たような話をしていたテキストをいつか読んだ記憶がよみがえってき、それを再読しようと思ったらページがアクセス不能になっており、それは「そこにひとがいる」ということ自体が、その場にいるほかのにんげんに対して作用する、たとえばそばを通るときのうごきかたなど、というような話で(記憶ちがいの可能性も大いにある)、だから「場所に対して人がどういう関係のつけ方をしているのか」という問いとかさなる。それをカメラを回すことで考えていく、のが、わたしには迫って感じられ、小説家であれば言葉をもってそれを為すわけで、つまりそれは保坂がやっていることでもある、と思う。自身の為さんとする事柄が自己言及的に作品内に含まれる文学作品のことを、わたしは好ましく思う節がある。

そんなやりとりがしばらくつづいたあと、以下のようにしてこのブロックは閉じられる。

ゴンタは「ええ、──」と頷いただけだったが、ぼくの言った「そうなんだよな」はゴンタの言ったことそれ自体というよりもむしろゴンタの考えの方向とか筋道の方で、ゴンタというのは決して曖昧な文学的筋道をたどろうとしない、というかそれを拒否する。だから迂遠なところと話の接ぎ穂がないようなところが混在して聞いていてわかりにくいと、ぼくはだいたいそのとおりのことを言ったのだけれど、ゴンタは一度表情を緩めてから、/「──映像を抜きにして言葉をつなげてっちゃうと、言葉っていうのは本当に都合のいい方に流れていっちゃう──って、最近よく思うから──」/と言って、ぼくと話をしているあいだもビデオはずっと回していた。

前半の「そうなんだよな」の「説明」を読んでいて、わたしのあたまには島口大樹『鳥がぼくらは祈り、』の感想で書いた会話のやりとりの背景および内実を説明してしまうことの野暮ったさが浮かび、しかしここにはその空気が薄いと思ったのだった。それは「だいたいそのとおりのことを言ったのだけれど」と語が継がれるからで、さらに言えばそれに対するゴンタの返答が逐語的なものではないからなのではないか(こういう場合、この語は適切か? 問いかけに対して一言一句対応していない、という意味合いでつかっている)。小説を書くための、明確な技術。「ぼくと話をしているあいだもビデオはずっと回していた」などと話している内容と関係する動作がつねに背後にあったことを明かすことによってカット/ブロックを割るのも巧い!


▼『鳥がぼくらは祈り、』の感想
seimeikatsudou.hatenablog.com


半額セールに乗じ、十三機兵防衛圏を買う。タイトルが機動旅団八福神みたいだなという点が購入の決め手。SVが10数年ぶりにプレイしたコンシューマゲームで、しかもこういう本格的な(?、いやポケモンが本格的ではないとはいわないが、より敷居の高い? より「ゲーマー」的な?)ゲームをやるのはかなりひさびさである。そしてノベルゲーって妹が買っていたレイトン教授ぐらいしかやったことがない? いやスパロボも言ってみればノベルゲーの一種なのか?

それはさておき、ポケモンもまったく起動しなくなってしまったなとひさびさにスイッチの電源を入れ、配布中のミュウをもらってランクマにいちどもぐった。よくしらないポケモン(ウーラオス)にボコされておわった。メモを用意しないとポケモン対戦は勝てないのだ。

ミュウがこんなにかんたんに手に入るなんて、ハナダシティでけつばんを出現させてウオーとよろこんでいた世代としてはほんとうにいい時代だと思う。

夜、チーズインハンバーグ・エリンギ・目玉焼き添え。タネはひき肉、塩、胡椒、ナツメグ、クミン、カルダモン、パプリカパウダー、カイエンペパー、クローブ、にんにく、生姜。うまい。

西尾大介ふたりはプリキュアMaxHeart』9-10話。まいどのことながらめちゃくちゃひさしぶりのマラソン再開。今回こそはひとまず折りかえし地点まで継続して走りつづけたい。9話はほのかパパママ来日回。なぎさはラクロス部のキャプテンとして、ほのかは科学部の部長として、そのむつかしさに直面するというのが本話の軸となっていて、まずその前作からの「経過」にグッとくるものがあるし、自身を卑下しながらほのかに対してラクロス部のキャプテンもやってよと冗談混じりに言うシーンの、自分もうまくできていないんだ!ということが打ち明けられないほのかの引き裂かれに胸を打たれる。この裂傷を、逃げるようにして走って帰ってしまうほのかを見つめるなぎさ→ほのかの家→しょんぼり落ちこむほのか、と3連ズームアップショットで描くのにまたしびれる。そんな軋轢がありつつも、ザケンナーの襲来時には、自分ではなくまずほのかのためにキレるなぎさがいる。そう、今日は一年に一回のほのかのパパママが海外からやってくる日なのだから、、この「ふたり」の絆こそ、プリキュアの真骨頂である。


▼第1話を観た際にEDが手抜きだと文句を垂れたことがあるが、今回から新カットがいくつも追加されて装い新たになっていた、2022年6月の表記にびびる、観すすめるのが遅すぎる
seimeikatsudou.hatenablog.com


つづいて10話はケーキ工場見学回。そのシチュエーションにかこつけていちごのショートケーキを食べ、そのいちごをめぐって争っている敵幹部がおかしい。調和・ハーモニーをキーワードにした回でもあり、ブラック、ホワイト、ルミナスの合体技であるエクストリームルミナリオをはじめてぶちかます回でもある。



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しばらく放置していたポートフォリオサイトをいじる。自分から営業するちからはないが、こうやって声がかかるのを待つためのじゅんびをすることくらいはできる。ここからあたらしいワークの回路が生まれますように。

ダイレクトメールに誘われ、フォントをいくつか買う。べつに入り用ではないのだが、なんどか無料セールを利用したことがあるところからのメールだったので、御礼のきもちもこめて。たぶん同人誌の宣伝ビジュアルで初使用することになるのではないか。

夜、肉じゃが(昨日のハンバーグのあまりを「肉」に)、豚ネギみょうが炒め。うまい。

妹がCINOHのパンツを履いていて驚愕した。きいてみるとシャツももってるとのことだったが、タグには水洗い☓と書いてあるのにすでになんども洗濯しているようで、しわあり、しみありのかわいそうな状態になっていた。そのありさまをしり、決して安い服ではないのだから、と嘆いてみせた。

MKRの実況に触発され、dqm3の体験版をダウンロードしてしまう。おもちれーーーー。さいごにプレイしたドラクエが8なので、19年ぶりとか? テリーとイルルカは当時めちゃくちゃ遊んでいたゲームなので、その思い入れがわたしの手をうごかしたのだった。ここで感じているおもしろさのなかにある「なつかしさ」。これが厄介だとわたしはつねづね思っているが、まあいいかとしばらくプレイしつづけた。