訳:きわめておそろしい背の青い竜

澁谷桂一『エウァンゲリオン』最終4話。画面の「奥」へとふたりは消えていく。つまりそれは「映画」の世界である。映画の、さらに内奥の世界である。本編終了後、カンペに目配せをしながら「われわれ」に向かって絶叫する排気口の面々が、その言外においてもあらためて強調するのはそのことである。映画論を語る男も、革命を語る男も、孤独を語る男も、みんな死んでしまったあと、吃りながらも発される「きれいな景色」を目指すふたりが駆けていく先が、「映画」の、さらに奥深くであること。げんじつに帰れと言った「新世紀」に対するこの返答に、わたしはつよく感動する。これこそが、恋愛レボリューション。いまこそ、みんないっしょに! バコォンと轟く、わたしたちの目に「おんなじ」に映る花火が示すのは、まさに「愛」の形象である。

このかたちは、ラストシーンだけではなく、異なる場面にも登場する。「革命」である。登場人物によってその名が告げられる際、赤々としたそのすがたは必ず、画面に映しだされる。闇鍋パーティの会場はまさしく革命の現場であり、革命にはむろん流血が伴う。男は皆、革命の夢を観、志半ばでその地にたおれることになる。一方、「夢」を見るための行為でもあり、また「死」のいとことも言われている「睡眠」、あるいは錯誤した「時間」(「時間だけが潜勢力を発動させる」[廣瀬純])によってその場に辿りつけなかった、生きながらえる女たち。「橋」というふたつの地をつなぐ場所に留まり、さいごの「駆け落ち」まで動ずることはない女は、そもそもはじめから死んでいる。死んでいる者だけが、恋を成就させる。

さて、第3話において生者と生者をつなぐことのなかった電話が、この最終話では生者を死者をつなぐことに成功している。電子メッセージとして、あるいは、ふたりのあいだに置かれたオブジェクトとして、3組とも別様のかたちで電話が結節点を成しているのである。さらには、第2話においてスマホを介しておこなわれていた接触が、人物を違えた上で、媒介物なしに手をにぎりあうかたちで変奏されるという美しい反復さえ描かれる。ところで、映画の本質はモンタージュであると語るアガンベンが、それが可能となる先験的な条件として挙げたのは「反復と中断」であった。マルクスの言葉を下敷きに、ベンヤミンが言った「革命とは歴史という名の機関車を急停車させることである」とはまさしく「中断」の力能を問題としている。本作において「革命」がなんども俎上に上がるのはまったく偶然ではない。「運命」である。

あらかじめ決定された運命。すなわち映画。その、一見「出口のない世界」に開いた「風穴」のなかへと、本作はわたしたちを誘う。そこから吹きつける風は、地を這うビニルさえも凧のように天に舞わせ、画面のさらに向こう側(「奥」ではなく、「横」である)からやってきたシャボンを、どこまでも高く飛ばすことだろう。その先に待っているものが墜落や破砕だとしても、わたしはその飛翔に目を奪われることだろう。そして、「わたしにも虹が見え」た「よ」とつぶやくだろう。


▼1-3話に触れている記事
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ラジオ。はじめて延長してしまった。上で書いたような感想を話していて、あともうすこし語りたい!というきもちと、30分で勝手に切れなかった放送が一蓮托生、10分ほどオーバーランした(途中のお茶のおかげかもしれない、ありがとうございます)。語りの熱意はSeason2のなかでいちばん高かったのではないか。ああいうグルーヴで話せると、聴いているひとはさておき、しゃべっている側としてはかなり満足度が高い。あそこにコメントが加われば100点なのだがその道はけわしい。

カジャ・シルヴァーマン『アナロジーの奇跡』、藤野裕子『民衆暴力──一揆・暴動・虐殺の日本近代』に手をつける。ともに発売当初に買ってずっと積んでいた本。後者の一揆には作法があったという話、おもしろい。江戸時代には仁政イデオロギーがあり、情け深い政治をもとめる民衆と、それを体現せんとす為政者のあいだにひとつの共犯関係が生まれ、そのなかで一揆が起こっていたために、暴力が生起することはほぼなかったとある。その秩序がうちくずされていくのは、貧富の差が拡大しはじめた18世紀末から19世紀にかけてのことで、いわゆる「悪党」と呼ばれるにんげんたちが台頭し、各地であばれるちからが放出されたとのことだ。当時とは比べ物にならないほど貧富の差がはげしくなった現代において、民衆暴力が発現するのはいつの日か。それを踏まえて読みすすめていく。

前者もおもしろくなっていきそうな予感がぷんぷんする。サブタイトルに「写真の歴史」とあるように、写真論である。

夜、天ぷらそば。うまい。妹が職場の蕎麦打ち親父からもらってきたそば。天ぷらは、ししとう、椎茸、白茄子。ごぼう、エリンギ、玉ねぎ、人参、椎茸の軸を種にしたかき揚げ。つゆはどんこのもどし汁にみりんとめんつゆを加えて煮切ったもの。