すごく腹が減っていく道

やはり最終週はひと味ちがうな!と思いつつ、作品に対する質問に答えたり、談笑にまざったり、ビールを飲んだりする。ひとであふれかえるまえに、これまで大して話したことのなかったKちゃんとゆっくり話せたのがよかった。Sさんに映画マジでいい!と直接伝えられたのもよかった。せっかくKさんがいたのにアニメの話ができなかったのはざんねんだった。なつかしきウルフズレイン! そんなたのしさにかまけていたら、文フリの参加申込みの〆切期限が過ぎ去っていた。Oくんがガールズの会計を済ませて退店していくのを見、かっこいいねまったくと感銘を受けた。

帰宅し、Qさんと4時頃までおしゃべり。たくさんのひとと話したからこそよりつよくじっかんされるわけだが、やっぱり一対一のやりとりがコミュニケーションの核だよなと思う。

遅くに起きる。自然教育園に行って夏の終わりの林の中しましょうよ!もしくは多磨霊園(打ちこんでいて〈多摩〉じゃないんだとおどろいた)!とQさんを誘っていたのだが、だらだらしているうちに昼過ぎであり、いったんHさんと3人で蕎麦をたぐりに家をでる。野菜天そば。Qさんはかぼちゃの天ぷらが苦手だが煮物なら食べられると言い、Hさんはかぼちゃの煮物が嫌いだが天ぷらなら食すことができると言う。わたしはどちらも食べられ、なおかつ好物でも苦手でもない。とにかく茄子がうまいという点で3者の味覚は合致する。腹をふくらませたあとはいちど帰宅し、しばらくだらだらしてからQさんと湯屋へ。夕暮れ前のひとっ風呂。ぜいたくな時間である。

清潔なからだを携え、ふたり新宿へ。御苑に行くつもりだったが閉園時間であり、ドラッグストアでの買い物につきあってから個展の会場へ。途中、うろからもくもくと煙を上げる木があり、「ゴールデン街、救っちまったな」などとたわごとを言いながらペットボトルの飲料で消火活動する。木は燃えるって学んでこなかったのかよ、ポイ捨てスモーカーさんよ、、

会場にはすでにBさんがおり、以前偶然同席しただけなのにこうして観に来てくれてありがたいなというきもちになる。彼女は現役の美大生でもあり、今回の展示に来てくれたひとのなかでは数少ない現代アートプロパーだったので、いろいろとつっこんだ質問もしてくれ感謝感謝だったのだが、ふりかえってみればこういう時間をもっともてるようなプロモーションをすればよかったなと反省する次第。展示をおえてみて、自分の意図を越えるような読解は2-3しかなかった気がする。作品のルックは伝わっても、おもしろさがいまいち伝わっていない感覚。次回展示をおこなう際はそのあたりを詰める必要があると思った。



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しばらくして、KくんとK先生も来訪。Kくんは初対面で、排気口のフライヤーをきっかけに足を運んでくれたのだという。なんとうれしいことだろうか。自分よりも若いひとに作品が刺さっているというのは、何にも代えがたいよろこびがある。ティーンに向かって作品をつくる。ティーンの頃のわたしに恥じないような作品をつくる。これはこの先どんな老いぼれになったとしても、維持しつづけたい姿勢である。これはかなり「排除」の思想が入りこむ余地がある考えかたである。

酒場でK先生と同席するのはかなりひさしぶり。プリンテッドマターにこだわりのある身同士、本展示のプリントのあれこれについて話しつつ、ふだんはできないカルチャーの話に花を咲かせる。こうやって毎回気にかけてくれて、心底ありがたい。

いつもより多少早く退店。ひごもんずで丸得ラーメンを食べ、帰宅、就寝。

Qさんが出勤するのを寝ぼけまなこで見、つぎに目があくとHさんが煙草に火をつけていた。ワークに向かうHさんと、たしかいっしょに家をでたような気がするが、書いてみて、それはこの日の翌日だった気がしてきた。両日とも、路上にはギラギラに熱射が降り注いでいる。

舎鈴にてつけ麺。うまい。前回の来店時には有線の音楽が流れていた気がしたが、開店直後ということもあってか本日は何もかかっておらず、とはいえ着丼後しばらくしてから六厘舎のテーマソング(?)がでかでかと流れだしてちょっとわらってしまった。ドンキみたいなものか。もうどんなメロディかは思いだせない。

今日は川越市立美術館にて杉浦非水展。会場まではそれなりの距離があり、いい読書日和になるぞと意気込んだはいいが、肝心の本を忘れる始末。読むの代わりは書くことだ!と、この文章、つまりは滞在記の下書きをしたためることにする。前回滞在よりも文章に多少のディティールがあらわれているとするならば、この時間のおかげである。

炎天下のなか、バスをしばらく待っていると、停留所に車体が横付けになった途端、どこからともなくやってきたジジババが問答無用で割込み乗車をしてき、ほんとうに死んでほしいと思った。その年齢までこのように生きてきたにんげん。ぶあつく巨大な壁のようである。将来あのような年齢になったときに、わたしは柔軟に生きなおせるだろうか?

前払いなのか後払いなのかいつまで経ってもよくわからないし、出口入口もドアがひらくまで一か八かだし、ちゃんと目的地を通るバスなのか乗車中はまいかい不安になるのでバスは苦手な乗り物なのだが、街なかをバスに乗ってながめること自体は好きである。みしらぬバス停の名前が続々と表示されるなか、ぶじに目的のバス停までたどりつく。