ちゅきちゅき触覚デンタルフロス

「コレクション展1 うつわ」@金沢21世紀美術館。タイトル通り「うつわ」をテーマにしたコレクション展。展示室を限定したこぢんまりとした展示だったが、とりわけ中田真裕の陶芸がよかった。工芸的なものに惹かれる感性をまだあまり持ち合わせていないが、それでも目を奪うちからが作品にあった。

つづいて、鈴木大拙館へ。展示自体は「こぢんまり」だった21美のコレクション展よりもさらに小粒。とはいえ、建築がよく、しばらく滞在した。「露地の庭」と名付けられた中庭を見渡すスポットにはふたつの座椅子が置かれており、そこの片方に腰を落ち着けた。庭に生えた木から落下したであろう枯れ葉が蜘蛛の糸にぶらさがってあり、風に吹かれてゆれているのが目に入る。大拙は禅のひとであり、霊性のひとで、そういった展示室を抜けてきたわたしは「メタファーだ」と思うが、なんのメタファーかはわからない。メタファーがメタファーそのものとしてそこにある、という現象としてその光景を見つめた。ガラス窓と直角にのびる壁面のコンクリートには羽虫が何匹か体当たりをしており、目に映るすべてが暗喩的な事物として存在していた。



鈴木大拙


館の裏手の林を歩き回って蝶(たぶんツマグロヒョウモン?)の花に止まるさまを撮影したり、松風閣庭園で蚊に刺されたりしながら、室生犀星記念館へ。途中、ひじょうにいい川が悠然と流れており、胸がすく思いがする。どこか鴨川を思いだすこの川は犀川といい、それこそ犀星の犀の字はここから取られているそうだ。展示は朔太郎と犀星のふたりにフィーチャーしたもので、朔太郎が好きなわたしはたのしんで観ることができた。朔太郎のもとへころがりこんで平然としている犀星の図々しさがよかった。印象的だったのは常設部分にあった徳田秋聲による稲垣足穂の紹介文。曰く、「人と話し乍らマツチを摩つてその焔をバクバクと喰う」。その図が浮かんでくるようでわらった。

帰路はおおまわりで川の流れを見つつ、オヨヨ書林のちいさい方に立ち寄る。大拙館から犀星記念館に向かう途中も足を運んだのだが、ちょうど店主が外出中で入店できなかったのだった。棚をひと通り見てほしいものがなかったので退店し、狼騎という仮面ライダーにでてきそうな喫茶店に皆は集まっているそうなので、テクテク歩いて向かう。Sさん、Oくん、Kさんがおり、ここでようやくKさんとまともに話す。閉店まで話しこんだのち、Kさんのアテンドで中華料理屋へ。OさんとKちゃんも合流する。ザーサイの炒め物にいたく感動する。何が入っていたのか、ちゃんと見ておけばよかった。ひさしぶりに青島ビールにありつけ、ハッピーになりながら交友を深める。



犀川


OさんKさんKちゃんと別れたのち、kappa堂というバーへ。新天地というきれいなゴールデン街のような場所にあり、金沢で訪れたなかでも随一のムードをもったお店だった。貸し切り状態の2階に腰を下ろしてまずおどろくのは、店内で流れるそれなりの音量のBGMよりもはるかにデカい爆音が外から聴こえてくることだ。窓から路上を見下ろすと、そこにはテーブルや椅子が並べられ、人々は飲み食いし、ふたつほど隣の角の店の二階にはDJブースがあって、スピーカーが外を向いて設置してあるのである。なんというすばらしさだろうか。この音楽はなんだ?とQさんにビデオ通話をかけたり、ヒロトがMCしてるよ!とわらいながら3人で話しこんでいるとちいさな女の子が階下から上がってきて、その軟体ぶりをミラーボールのまわる店内で披露してくれる。幼い手にはポケモンカードがにぎられていた。頼んだラムチャイもうまかった。金沢の路上はひとがよく寝転がっていた。サイコーの街の証拠である。

宿にもどって、シャワーを浴びてよくねむる。すべてのシャワールーム(脱衣スペース付き)が埋まっているにもかかわらず、ロッカールームで全裸になる滞在客の男がいておもしろかった。たしかに銭湯的なスペース設計なので、そこで脱いでしまうきもちはよくわかると思った。

旅先でもプリキュアを観てとうめいの涙を流してからでかけることのできる幸福。ギーツの途中で宿をで、カナザワ映画祭にて河野宏紀『J005311』(2022)を観る。長回し主体の作品なのだが、そのカットの切断と持続のリズムや画づくりにノることができず、うーんという感じの鑑賞になった。全編一貫しての手持ちカメラによるゆれうごく心情、はいいのだが、同じく近傍のカメラによってつくられたネメシュ・ラースローサウルの息子』(撮影:エルデーイ・マーチャーシュ)なんかと比べてしまうとどうも画面が弱かった。主人公が死を決意して分け入っていく森の道があんなに踏み固められていていいのか(それを追って撮影するカメラマンの足音が作品に刻みこまれているのはめちゃくちゃよかった、その後のタックルシーンなんかよりもきょうれつなエモーションが宿っていた)とか、冒頭映しだされる住居の台所にかけてある鍋やフライパンはほんとうにあの数でいいのかとか、劇中画面に2度映る「ラーメン」の文字列は要るのかとか、疑問が尽きなかった。男ふたりが出会ってさいしょの諍いが起こるシーン、追いかけていないのに「追いかけてくんなよ!」みたいな台詞がでてきておもしろかった。Sさんには「たばこを吸ってむせる映画同士ですね!」と軽口を叩いておいた。

つづく作品も観るというSさんと別れ、Oくんとゲッコ洞でカレー。「チキンとカカオのカレーしかありませんが、」と言われ、それを注文する。うまい。店の雰囲気もよかった。食後にはステッカーももらった。Oくんとは映画の話をした。『J〜』の流れからロードムービーの話になり、フリドリック・トール・フリドリクソン『コールド・フィーバー』(1995)をすすめた。ちょうどアピチャッポンの《フィーバー・ルーム》が上演(?)されているときに妹とユーロスペースに観に行った記憶がよみがえってくる。



カレー


金澤文鳥を買うぞを意気ごんでいった清香室町は休みで肩を落とす。稼ぎどきのはずの日曜日なのに!

でっかい方のオヨヨ書林で映画を観おえたSさんとも合流。旅の思いでに、と山口昌男『歴史・祝祭・神話』を購う。Oくんはビートたけしの本をゲトっていた。Sさんは現代文学の棚を漁っていたようだが、収穫はなかったようだ。