よろこぶ声がきこえるときは

3日目。イメージフォーラムにてミシェル・フランコニューオーダー』。金持ちの結婚式に貧困暴徒がなだれこむというアンダークラスブルジョワをぶちのめす階級闘争の映画だが、監督作のなかではいちばん出来がわるいのでは。まず何よりもこれまでの作品のようなショットのたのしさがない。ショットがたのしくない映画なんて映画でやる必要がない。幕切れのセンスは相変わらずあるのでよかったな、と観おわられるのはたしかだけれども、おわりだけよくったって何もよくないのだ。

青山ブックセンターをふらふら。相変わらずBGMの選曲がいい。文学や人文、写真などの棚を見回ったのち、何も買わずにでる。トイレには立ち寄る。

ル・シネマでヨアキム・トリアー『わたしは最悪。』。やはり文学に立地する語り口のすばらしさ。台詞よりも遥かに雄弁なショットの充溢。映画はやっぱりこうでなくちゃ!となる。しかし事前の期待がでかすぎて予想を超えてはこなかった。恋人がいる状態での不倫めいた行動、がきついというのもあった。そうしたアクションが描かれる際の多幸感あふれる演出はサイコーなのだけれども、そして「離別」というモチーフはわたし好みなのだけれども、こういう風にやられるとダメなんだ、という気づきがあった。オスロ3部作のなかでは1作目の『リプライズ』につづいて好き。それにしたって好きな監督たちの映画の新作を映画館で観られる(しかも3本つづけて!)ことのよろこび。

いい映画を観たな、という感慨を胸に抱きながら、階下のジュンク堂で本を買う。中尾太一『ルート29、解放』、サラ・アーメッド『フェミニスト・キルジョイ』、カジャ・シルヴァーマン『アナロジーの奇跡』などしめて¥14000也。本屋はいつ行ってもエネルギーをくれる。のち、風来居の跡地のラーメン屋でラーメンを啜り、排気口の稽古見学へ。「軽い」という印象を得る。この軽さはフライヤーで展開できる性質のものか、考えながら台詞の発声を聴く。稽古は見るよりも聴いたほうが得るものがある。

のち、下北沢で飲酒。ひきこもり生活によって弱体化した身体にここ数日の疲労が積みかさなり、あまり喋れず。Kくんがアンダー・ザ・シルバーレイクのTシャツを着ていたことが印象にのこっている。会話の最中にデヴィッド・ロバート・ミッチェルの名前が咄嗟にでてこないほど、わたしの映画力は低下している。

4日目、Hさんとそば。のち、渋谷へ。HMV BOOKSで歌集と小説を買い、喫茶店でK先生とお茶。1年ほど前に夜の代々木公園で逢瀬した以来? ひさびさの対面に花を咲かせる。ひりつく熱射もあってかどこの喫茶店も混雑しており、何店舗目かのプロントになんとかすべりこんだのだった。これからライヴに行くという先生を見送ったのち、松濤美術館で津田青楓展。絵はつまらないが図案はだいぶおもしろく、じっくりと見入った。観ているあいだは図録を買おうかなと思ったが、実物を見ると判型がちいさく、やめておいた。この年代の図案集でいい本はないかしら。また、プラカップを片手に携えながら入館したのだが、受付の女性にゴミ箱がないと告げられて衝撃を受けた。ロッカーに突っこんで鑑賞したので問題はなかったが、むかしから美術館ってそういう施設だったっけ!? これも「テロ対策」とかいう人民に対する戦争の判例か。

登戸でYと待ち合わせ、ちかくの居酒屋へ。すぐさまKさん、さらに遅れてHさんTさんもやってくる。それぞれ数年ぶりの再会だ。みな会っていないあいだに激動の人生をすごしている。カルチャーへの食指が死んでいるという話になりつつも、Tさんがニチアサを見ており、ドンブラ話でひと盛り上がりする。観ているひとにまわりではじめて会ったかもしれない。しかしこの年を重ねるにつれて訪れる「カルチャーへの食指の死」は、わたしも少なからずその病に取り憑かれてはいるけれども、ひととの会話のなかででた固有名詞をメモする気力があるかぎりまだ大丈夫だと思った。

最寄り駅にもどり、すでに飲んでいたHさんQさんOくんのテーブルに着座する。Oくんとは生身では初邂逅(初日のライヴ会場でもニアミスしていたそうだが、スマホのちいさな画面上でしか会ったことなかったので気がつかなかった)。皆は酒を飲むが、わたしはひたすら水を飲む。家に帰り、また飲む。わたしは水を飲みつづける。アジカンネクストセレクションと題してアジカンのゲキアツソングをひとり2曲流すやつをやる。そうこうしているとOくんがつぶれ、皆でねる。「無限グライダー」がめちゃくちゃ好きだという話はすでに居酒屋でしたので、「荒野を歩け」と「ひかり」を流しておいた。「無限〜」に並ぶほどに「ナイトダイビング」もめちゃくちゃ好きなのだが、忖度(?)がはたらいた。

5日目、渋谷へ。KとIくんと会う。目当ての喫茶店は開店時間になっても開かず、駅ビルにのぼってよくはたらくロボットたちにかこまれながらランチ。会うこと以外は何も決めていなかったので、どこへ行く?と話しているうちに潮風が吹いて、車窓にはかつての学舎が映って、海に漂着する。にわか雨が降るなか、浜辺のコンクリに腰を下ろしてビールを飲み、海水浴するひとびとをながめる。缶を空にしたら、江ノ島に渡って磯や神社などをうろうろする。サマーフィーリング。今年いちばんの夏を全身で感じる。ちいさなフナムシの群れを追い立て、逃げまわる蟹に手をのばす。急勾配な階段ののぼりおりでひきこもりの肉体は限界を迎える。橋の上からはモーターボートに振り落とされて絶叫する女のすがたを見る。うしろを歩くカップルの会話を盗み聞きする。のち、下北沢はこけらにて酒。うまい魚を食いまくる。でもこれなら魚金のほうがいいか?などと刺し盛を見・食べながら思った。千鳥足でキラメク誓いを立てたのち、家に帰り、HQSさん、Oくん、途中オンラインでKちゃんも参加しつつ、さらに夜を深めてゆく。今日は曲の季節を当てるクイズ。フとユしか鳴らないピアノがあること、ナツの波形をした声音があること、トム・ヨークを漢字で書くと「冬」になることをみなに教える。なお、ジョニー・グリーンウッドは「秋」と記す。




最終日、HQさんと寿司。4日目のそば屋もそうだが、この寿司屋に来ると東京に来たなというきもちになる。わたしの東京観がここ数年でだいぶくずれおちている。4皿しか食べられない胃のちぢみかたにびびりあがりつつ、じりじりとした晴天のなかを別れ、OとAさんとあつまる。プリキュアの最新話をラップトップで流しつつ、Aさん宅でのんびり会話する。生身同人会議。夕方までだらだらし、駅近のラーメン屋で豚骨ラーメンを食べ、改札まで見送ってもらう。調子に乗って替え玉も頼み、ふくれあがった腹を抱えながら新幹線で帰宅。平日なので座席はすかすかだろうとなめてかかっていたのだが、それなりに混雑しており、へえとなる。コロナ禍ももう「おわった」のだ。そしておれもこのままずれつづけて「おわる」のだ。そんなことを思いながら、日が変わった頃に家に到着する。ムージルは読みおえられなかった。家をでたときと同じ体勢で、祖母が韓ドラを観ている。