nez no bang

夜、スモークタンとキムチのミルクスープ、アジのひらきを焼いたもの。うまい。

よくはたらく。ほぼしあがったものをながめ、いいのができたなあ、という感慨をもつ。いいことだ。

夜、親子丼、もやしの生姜ナムル。うまい。

ファニーゲームのオープニングシーンでおなじみのネイキッド・シティの「ボーンヘッド」、てっきり叫び声だと思っていたものがジョン・ゾーンによるサックスの音色としって衝撃を受けた。

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これです、わたしの好きな映画のオープニングシーンベスト3に入ります、ほかのふたつはタルコフスキーの『ノスタルジア』(1983)と、あとなんだろ

昼、しらすチャーハン。

夜、大根の味噌汁、生姜焼き。

乗代雄介『皆のあらばしり』(2021)を読みはじめる。

夜、ツナとしらすの炒飯。

デヴィッド・リンチツイン・ピークス』(1990-1991)14話。おもしろさが加速している。謎の日本人の正体がキャサリンであったことの衝撃。ボブとリーランドが結びついたことの脅威。それが明らかになる場面の照明のヤバさはめちゃくちゃテンションが上がった(スローモーションは邪魔では、とも思った)。「It is happening again」と呟く巨人のカットも印象的。マルホランド・ドライブじゃん!と思った。今回は横並びでコーヒーを飲む男たちの冒頭のカットからしてよかった。いまさらながら、クーパーがレコーダーに喋ることで観客に情報をしらせるギミックはイケてるなと思った。


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松本理恵京騒戯画』(2013)0話。情報の奔流に終始「?」があたまに浮かぶきもちよさ。何も説明せずに、バンバンバンと次々新たな要素を見せていく豪腕ぶりが痛快。冒頭に「プロモーション映像」とテロップがでるから、ここで詰めこめるものすべてを投入しているのだろう。鏡都タワー(?)を用いたレイアウトは、同じく松本が監督を務めたハトキャ映画エッフェル塔ロケーションを思いだした。祇園祭の話をするさいに「擬音」で背景を描いている茶目っけがいい。本編とは関係ないが、たむらぱんによるop曲「ココ」のサビがめちゃくちゃアートスクールの「ロストコントロール」のサビでわらった。載せているフレーズの音韻さえ似ている。

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どうですか、ロボゲイシャ、観たいな、、

新井一『新版 シナリオの基礎技術』(1985)とすが秀実渡部直己『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(1993)を読みすすめる。ならべると、なにか文芸の領域で創作でもするのかという感じだが(じっさい、やってはいるが)、書くためというよりも観る・読むために買った。前者はアニメ、後者は小説。日本の「小説シーン(文壇)」は学閥によって確立化・制度化してきたのだという話など、しらなかったのでへえと読んでいる。

石原慎太郎の死にもびっくりしたが、西村賢太の訃報にもおどろく。『苦役列車』(2011)がでた当時、サークルの先輩にすすめられて読んで「私小説」という概念をあたまにたたきこまれたことと、それからしばらくしてエンタメ畑の後輩が「人生でいちばんつまらない小説だった」と息巻いていたことが忘れがたい思いでとしてある。

夜、白菜しめじのかつぶしキーマカレー。うまい。

松本理恵京騒戯画』(2013)1話。0話では意図的に省いていた、「説明」の巧さが尋常でない。視聴者に情報を与える際に、街ゆく人々への街頭インタビュー形式をとることで、映像的なたのしさでもってそれを伝達することに成功している。門前を足早に去る男。何かが壊れてしまったことをやりとりする通話シーンを片側の声でもって映したのち、(おそらくは落雷によって)ショートしたバイクのカットをインサートすることによって、「何か」を画で伝える小技。ああでもないこうでもないとやりあっているシーンを、じっさいに「ああでもない」「こうでもない」と発語させて会話させるユーモア。主人公が出会ってきれいにおわる、すごくよくできた第1話だった。

同人会議。あとがき以外の原稿が出揃う。わたしは何か話をする際に、着地しようと思っていた場所に到着するまえに方向を見失って軟着陸することがままあるのだが、それは連想としてものごとをとらえているからではないかと思った。