カナシーは沈着する(ではあなたは?)

部分的なハードワークはいいが、全体的なハードワークはしたくないなと思った。個別的ないそがしさは望むところだが、総体的ないそがしさは勘弁してほしい。結果的に細部に時間がかかるのはどんとこいだが、慢性的に時間が費やされるのはお帰り願いたい。苦のない生活の輪郭を描くための、自身の感情の腑分け作業。わたしが何を思っているかは、言葉にならなければわからない。

夜、ポークソテーとブロッコリとニンジンのつけあわせ。肉は塩胡椒+にんにくと醤油、野菜は同様の調味料に加えてハリッサとマヨ。うまい。

尾田栄一郎『ワンピース』101巻読む。情報量がむちゃくちゃ多くて疲労した。ゾロふっかつのシーンとかきっと爽快感があるはずなのに、ない。びっくりする。盛り上がっている巻のはずなのに、コロナ罹患中に100巻までを読んでいたときの興奮みたいなものが、ない。びっくりする。

ぼんやりした億劫さがある。きもちがくもっている。自己主導ではどうにもならない予定の存在がおもりになっている。

ながらくかかっていたワークを先方に送る。全体の5分の2くらいはおわったのだろうか。今冬中に刊行できるとよいと思う。

夜、鶏とえのきと白菜の生姜鍋。塩麹と顆粒あごだし。うまい。

幾原邦彦少女革命ウテナ』8-10話。まじめにギャグをやること。調理実習の折、辛さ9000億倍スパイス入りのカレーの爆発によって倒れたウテナとアンシーについて、その非現実的な事象にもかかわらずおちゃらけることなく語る生徒会の面々のおもしろさ。8話ではシリーズではじめて「くずれ」を感じる作画もあらわれ、そこもおもしろく観る。交換日記をめぐってウテナとやりとりを交わすアンシーの「はい?」「はい!」の芝居ももうれつによかった。同じ台詞を意図的に連続させることで浮き上がる意味合いの差異。

9話、西園寺と冬芽の決闘シーンにおいて、それを見守る女生徒たちの歓声に竹刀と箒の画を合わせるという、見立ての演出がよかった。この心情(?)をモノへと託す技は、冬芽からウテナに手渡され、やがて地面に落ちて横倒しになる缶ジュースにも流れていた。10話は七実回。これまでコメディエンヌとして活躍していた彼女の、シリアスなエピソードが披露されていて、そのギャップに魅せられた。


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同人会議。次号のテーマが決まる。オルタナ右翼、冬野梅子『まじめな会社員』、安藤ゆき『地図にない場所』、アガンベンノア・バームバック天皇などについて話す。インテリではない左翼(アンダークラスに属するわたしたち、といってもよい)の受け皿の話、つまりは「党」の話だとわたしは了解したが、それはいかようなかたちで到来するのか。テロリズムの群発でも、だめ連でも、共産党でも、デタッチメントな文化的ひきこもりでもない「群れ」が成立するとすれば、それはどのような条件によってか。どのような形態を成すのか。相互扶助やケアといった語の範疇ではそれはおさまらないと直観的に思う。だが、そこには必ず「身体」があるはずだ。トマス・ヴィンターベア『偽りなき者』でのホモソーシャル空間のことがあたまによぎる。

ニコラス・ウィンディング・レフン『プッシャー』(1996)。上記のような問題意識でいたので、弱者男性の話として観た。いや、弱者と呼びあらわすことが適当とは思えない暴力性をたたえた人物ばかりが画面を埋めつくす映画ではあるのだが、隘路へ隘路へと突きすすんでいかざるを得ない男の悲哀がそこには刻まれており、友も金も女も失っていく転落ぶりには「わたしたち」の映画だと思わずにはいられなかった。手持ちカメラによる近接スタイルの撮影手法が、「ちかさ」を感じさせてくれるのも理由になっているかもしれない。血とドラッグが彩る暗い映画だが、けっしてひとを突き放さないやさしさがある。悪友との品のない会話のなかでふと顔をだす主人公フランクの倫理がおもしろく、母を馬鹿にされて気をわるくしたり、黒人は猿だという主張にキレたりするところにも、にんげんへの愛あるまなざしを感じることができる。「ビデオばかりだと馬鹿になる」「もっと映画を観ろ!」みたいな台詞がはさまれるのも愉快だ。いくつかある逃走シーンの爽快感もいい。そこに被さる爆音BGMがいい味をだしている。

BGMといえば、ドッドコドラムとともに登場人物の名前と顔を深い陰影のワンショットで魅せていくオープニングがとにかくカッコいい。この顔の「黒み」は作中、ビビッドな夜景との対比のなかで幾度も再登場し、その表情が塗りつぶされることによって浮き上がる「伝達性」の高さにつよい印象を抱くことになる。ハネケが「暴力」を描写する手つきを思いだすまでもなく、ものごとは隠蔽されることによってひときわ強力なそれ自体として画面に刻印されるのである。そのことは、「決定的な結末」を描かない幕切れによって念押しされる。三部作ということで、2、3も連続して観るつもりだったが、時間がなく先送り。

幾原邦彦少女革命ウテナ』11話。はじめてウテナやぶるる。生徒会会議の背景で風船が飛んでいくのはなにをあらわしているのか。何のメタファーかはわからなかったが、好きな演出だ。こういう自由さを難なくやれるのがアニメのよさだと思う。

夜、鰯とじゃが芋のチーズトマト煮。にんじんとそせじ入りスクランブルエッグ。右手の小指をやけどする。氷でよく冷やし、ことなきを得る。