ぽぽぽぼ

村瀬修功閃光のハサウェイ 』(2021)。同じく村瀬が監督を務める『エルゴプラクシー』がこれまで観たアニメのなかで五指に入るほどに大好きな一方、伊藤計劃原作の『虐殺器官』はあんまりだった(小説はラブです)にんげんですが、これはサイコーでした。アニメでリアリズムをやることに懐疑的なわたしでも、その文法をつかってここでおこなわれている「いままで観たことのないガンダム」には興奮するわけです。あの画面を横切る火と重量の鮮烈! 視点をモビルスーツではなく地表に置くことがきょうれつな効果を発揮していました。とりわけ、メッサーとグスタフ・カールの衝突によって引き起こされる「花火」には感嘆するしかありませんでした。美と死とが、画面上ですばらしい結合を魅せていました。この感慨は「ガンダム」という枠組みにも左右されているのかもしれませんが、だとしても、そのかがやきはそれを突破する光度をもっていたように思います。

テロが跋扈している時代であることを伝えるアバンや、ギギとハサウェイの会話におけるNT的会話の洗練具合、そしてその会話を言葉ではなく動作と風景で見せるスタイルなど、細やかな部分への配慮も目を惹きます(話している最中にカメラのフォーカスをずらすテクニック)。ギギから受けとったマグカップをわざわざ回転させて同じ飲み口を避ける描写なんかも、観ているこちらにウフ、みたいな気分をもたらしてくれます。ほか、ハサウェイがその瞬間に心底囚われていることがひと目でわかるクェス・フラッシュバックの鮮烈さや、成層圏(?)でエメラルダ(このテキストを書くために名前をしらべなおしていて声がトロプリのみのりん先輩と同じことをしっておどろきました、観ている最中にはまったく気づかなかった、、石川由依の技量……)が物資をキャッチする際の緊迫感あふれる演出なども見事でした。観ているこっちがちゃんとドキドキできるこわさと迫力がありました。できることなら第2部は劇場で観たいなと思いました。アムロの声が響く際の音響設計、すさまじかったです。

富野作品マラソンはここでいったん小休止?と思っています。キングゲイナーVガンダムGのレコンギスタがU-NEXTの見放題に入ったら再開します。海のトリトンもアリです。ザブングルとダイターンは観ることができますが、どうなんでしょうか。ブレンパワードのブルーレイを買って再見するという手もありますね。メディアを変えてハサウェイの小説を読む道も。ガーゼィの翼とリーンの翼も気になります。なお、ウテナ以外にもう1本走らせるアニメは、スペース☆ダンディにしようかと思っています。併読・併観スタイルがわたしのつねです。

デヴィッド・リンチマルホランド・ドライブ』(2001)。明るい音楽に彩られた影と分裂のデュオダンス(そう、このオープニングにいろんなものが象徴的につまっている……)という、おっ、と惹かれるサイケな導入からしばらくながめていると、次第にあまり好きではないのかもなと思いはじめるようになるが、おわりに向かっていくにつれてまた興味がふくれあがり、やがて四方八方に拡散した。そんな鑑賞だった。リンチは〈画のイメージ力〉ではなく、〈展開のイメージ力〉でものを作るひとなんだと思った。たとえば、観たものにつよいインプレッションを残すであろう泣きニー(泣きながらオナニー)をする場面も、その画自体というより、そのシチュエーションのあらわれかたに重きが置かれているように思った。笑顔の老夫婦が追いかけてくるシーンがあるが、それも最初の登場時に「こいつら死ぬんじゃないか?」と思わせてくれる不気味さがあるからこそ光っている。画づくりに言及するならば、「死角」に不穏を宿らせる構図の多用や、目のアップの多さが挙げられるが、なかでもダイナーで男二人の会話をとらえる際の微動するカメラワークにきもちわるさがあって印象的だった。

同じくリンチ『ツイン・ピークス』(1990-1991)1stシーズン5話。「私たち思いやりがありすぎるわ。人のために欲しいものをあきらめる。死ぬまでそうよ」と不倫相手であるエドに語るノーマ。いい台詞だと思った。情によっていまの相手と別れることのできないことを、このように言葉にするのかと思った。ほか、オカルト推理をおこなっているクーパーが、事件をこの丸太が目撃したのよと語る切り株を抱えたおばさんのことを拒絶するさまや、ローラパパの泣きダンス、発砲シーンに滝の落下するカットをつなぐ編集などがよかった。リンチは泣きながら何かをするアクションが好きなのだろうか。

夜、すき焼き風のなにか。白菜、しらたき、しいたけ、豆腐+牛豚mix。


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かつてのかなしみが身中にこみあげるとき、みなさんはどのように対処していますか。ふとしたときによみがえるひりひりした記憶が、わたしのこころを蝕みます。なぜ、どうして、といった言葉がうちがわを裂いてゆきます。

朝から夜までよくはたらく。イヤホンを買わないと夕方以降の能率がやばい。きちんと孤独に制作をしたい。

夜、ひき肉と大根の葱スープ、豚牛筍のガーリック味噌オイスター炒め。うまい。

メールを打っているとき、文章があたまのなかで渦巻いてニュータイプになりてえ!と思うが、なったらなったで「伝わりすぎて」あるいは「わかりすぎて」しまってすぐ破滅するのが目に見える。ガンダムで得た教訓。このアンヴィヴァレンツが作品を彩っている。もっと気楽さをもってひとと関わったほうがいい。よくない。バランスだ。うるさい。胃が痛い。苦痛を味わうことへのブランクができている。味わわなくて済むのならばそれに越したことはない。甘い話ばかり考えている。

夜、豚バラとブロッコリと菊芋の炒めもの。かつぶし・にんにく・カイエンペパー・醤油をベースに。うまい。

妹に弱音を吐く。弱音を吐けるひとが身近にいるのはとてつもない救いである。彼女もいま岐路に立っていて、さいきんはよくその進展に相づちを打っている。よい道を歩んでいってほしい、と書くときの「よい」の内実はなんだろうか。「後悔しない」ことか、「自分のきもちに逆らわない」ことか、「より自由にふるまえる」ことか。これまで臨んだ自身の岐路を思いかえすに、そのような言葉が浮かんでくる。