インターネット挫傷、死んだ家も座礁、

よくはたらく。手をうごかせばなんとかなるなあ、というなんども経験しているこの成功体験が、自信とともにおのれの慢心を粛々とふとらせる。

夜、ハムコーン白菜の豆乳スープ、麻婆トマト厚揚げ。後者、辛味をもう少し足してチーズを入れればよかった。

デヴィッド・リンチツイン・ピークス』(1990-1991)13話。リンチ本人がクーパーの上司役としてでてきてわらった。耳のきこえがわるくて大声で喋るというキャラクターも、つくり手のひとりだと考えるとメタフォリカルでおもしろい。金をよこせと迫るジョシーと、金はないと撥ねつけるホーンの、顔をつきあわせての交渉がぐにゃぐにゃする表情も相まって愉快だった。今回の白眉は多重人格的なちからをもつ「寄生霊」の導入で、こういうオカルト要素のつかいかた大好きなんだよなと思った。

売野機子売野機子短篇劇場』(2020)。コマからコマへの飛距離が長い。そのはざまに、読者は意味を見いだし、想像をふくらませるのだろう。読んでいて、蚊にさんの1頁漫画も同じことをやっているんだ!と思った。あちらはコマ同士ではなく、1頁のみを独立させることで、欠落した前後の頁に想像の余地を創出する。「KNIFE」の1コマ目や表紙にでかでかと引用されている「運命とか信じるきみだから」の扉絵が顕著だが、売野の描く顔は見たものをドキドキさせるちからがあると思う。物語や語り口よりも、そこに惹かれている自分がいる。

「神さまの恋」で机と窓の位置関係がコマ間でくずれる場面があって、そういう「リアリティ」よりも「演出」を優先する作法はわたしの好みのポイントなのだけれども、漫画の場合、そのような描写を「ミス」として見てしまう傾向が自分のなかにあると思った。映画やアニメに比して、それを受け入れる際のつっかかりがある気がする。

あと装丁がすんばら。担当は平谷美佐子。あとがきによれば、印象的な作字は作家本人がやっているそう。グレイト。

なかむらたかしマイケル・アリアス『ハーモニー』(2015)。きびしかった。ぶっちぎりの年間ワースト級。冒頭の砂漠の場面からして、全体的にレイアウトが安っぽすぎる。回想を主人公に語らせたり、「ミァハを育てた親は一体どのような人間なのか」とわざわざ訪問前に台詞で言わせたりする説明モノローグ主体の作劇に呆れる。螺旋監察官の会議における立ち上がりアクションに顕著だが、3DCGのうごきがダサすぎる。レストランのシーンは退屈だから仕方なくカメラをうごかしているようにしか思えない。「VOICE ONLY」の画の持続、馬鹿すぎでは?と正直文句しかない。映画館で観ていたらキレていたのでは。これを観ることになった伊藤計劃ファンが可哀想。ずいぶん贅沢な余白をつかったエンドロールも印象的。「安全・安心の無菌管理社会への反意」というテーマはもちろんサイコー。原作をカートに入れた。

昼、生ハムトマチーのフェットチーネオレガノバジルをドカドカかけて。

ぼんやりはたらく。きのうおとついとがんばったおかげでかたちが見えてきたので、今日は肩のちからを抜くイメージ。根を詰めてばかりいては視野が狭くなってしまうので、ひりついたスケジュールのなかでもこういう時間があるとよい。

夜、はんぺんとねぎとしらすの味噌マヨ炒め、肉もやし。うまい。

毎月末更新を目標にしていた小説はギリギリまでねばってあきらめる。これは第一に、「おわらせる回数の経験」を念頭に置いて書いているので、途中でもむりやりおわらせるつもりだったが、たためなかった。たたむちからをつけたい。

本を注文する。8000円分くらい。ハーモニーも買った。


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排気口『後ろに近づく淋しさ以外は』、フライヤーデザインとコピーを担当しています、ご予約および制作ノートのようなものはこちらから


今日2月1日はプリキュアの日ということで、プリキュア全シリーズマラソンをはじめるのにふさわしい日!となり、しごとまえに西尾大介ふたりはプリキュア』(2004)を「伝説」と名高き第8話まで観る。まごうことなき伝説がそこにはあった。1話はすこしまえにも観たが、スマホのちいさな画面で観ていたのでテレビの大画面であらためて視聴。全プリキュアの歴史における記念すべきファーストカットは、太陽と青空、そこをラクロスのボールが横切っていくというものだった。何より感動したのは作画の綺麗さで、上記の記事でも触れた電車の場面や、なぎさの部屋、アクションシーンなどに顕著な構図・レイアウトの巧さもあって舌を巻いた。また、キメ技のマーブルスクリュー時に「踏ん張り」カットがインサートされたり、ザケンナーの攻撃を回避した際の瓦礫の破片の飛び散りだったり、細やかな演出も冴え渡っていた。気の抜けた顔でバチバチにアクションを決めていくホワイトの態度も印象的。めちゃくちゃリキが入っているなと思わせられる第1話だった。絵コンテ・演出は伊藤尚往。

2話でもとにかくアクションが冴えていて、掃除機型ザケンナーの吸引・放出と、エレベータを舞台にした上昇・下降の運動がそれを華々しく魅せる舞台装置としてかがやいていた。ザケンナーを撃退後、家電売り場にもどった掃除機のボディになぎさのつけた靴跡がのこっているオチのつけかたは、ユーモアがあってよかった。跡と言えば、3話でブラックとホワイトが叩きつけられた壁のめりこみがきょうれつ。痛々しさを感じさせずにすさまじい暴力がそこにあることがわからせる、すぐれた演出法だ。序盤、社会科見学の委員を決めるやりとりがあるのだが、なぎさが指名されることによって起こるクラス全体からは発される「自分が指名されなくてよかった」という安堵のため息もよかった。次回予告時のカットの選定が、ナレーションありきでエディットされているのもおもしろかった。また、3話を観はじめた時点であらためて思ったのだが、OPの絵コンテがマジでいい。なんど観てもグッとくる。飛ばせない魅力がある。

これまでずっとやられっぱなしだった敵キャラ・ピーサードも4話では本気をだしてきたのか、通常攻撃で石化ビームを放つチートぶりを見せており、なおかつ石像となった人間を武器として用いる非道さを発揮していてよかった。彼は絵画を実体化させて使役する戦法をとるのだが、美術館内に濁流があふれる画には、美術ラバーとしてインパクトを感じた。川崎市民ミュージアムのことを思いだしてすこしつらくなるほど。5話では、ほのかに「間違っている!」と糾弾されたピーサードがせっかく奪ったミップルを投げ返すシーンが描かれており、その正々堂々さにキャラとしての魅力を感じた。

6話には新たな決め技を放った直後に「また何か言っちゃってるし」となぎさのメタ台詞が登場するが(第1話でも同様の台詞が発される)、自身に起こったメタモルフォーゼをそのまま飲みこまないのも本作のおもしろさのひとつだろう。自身が「プリキュア」になることへの意識・葛藤は、魅力的なドラマを生みだす。そうした要素が置かれてあるからこそ、大事なラクロスの試合を即放棄していなくなってしまったほのかのもとへと向かうなぎさにわたしたちは感動するのである(7話)。この回では人間もザケンナー化するのだが、基本的に無機物がヤラネーダ化するトロプリを観おえたばかりの身には驚愕的かつ新鮮な描写だった。

さて、問題の第8話である。「プリキュア解散!ぶっちゃけ早すぎ!?」というサブタイトルが示すように、今回はふたりの決裂が描かれるのだが、ブラックとホワイトという「名」があらわす通り、影と光を効果的に用いたなぎさとほのかの対比が終始キレキレにキレており、さらには縦位置に並ぶふたりの背後を、電車という横軸の切断が関係性をも決定的に引き裂くという画の語りには思わず息をのんだ。このふたりの離別の場所で、サイド・バイ・サイドの構図のもと、これまで苗字呼びだった相手の下の「名前」をはじめて呼ぶという結末を見て、涙を流さない者はいない。傑作。絵コンテ・演出は、風山十五こと、五十嵐卓哉。この回がこれを書いている2022年2月現在、彼の唯一のプリキュア参加作である(なお、SSの前期EDコンテも担当している)。