いやがり

平田オリザ『眠れない夜なんてない』。Hさんの話のなかでオリザの名前が挙がり、べつにこの作品がでてきたわけではないが、戯曲アーカイブにあったので読んだ。前に松田正隆の『月の岬』を読んだときにも感じたことだが、この静けさ、緊張感の放出はすさまじいと思った。なかでも以下のチューインガムの場面のはりつめたムードは圧巻だ。

*原口、チューインガムを膨らませる。千寿子、立って原口に近づく。千寿子チューインガムを膨らませて、原口のチューインガムと接触する。くっついたチューインガムを、千寿子がすべて口に入れる。

マレーシアの日本人移住者向けコテージに夫と住まう中年女性・千寿子と、そこに滞在する日本人たちにとっての便利屋であるひきこもり男・原口の、ガムを介しての、全編を通してのたったいちどの接触。プールで過剰なまでにいちゃつく「離婚旅行」カップルの描写が、ほかの人物による口伝のみで観客に伝えられることによるセクシャル性や、千寿子が「絶対、友だちじゃない」旧友・直枝に対して語る、夫の不倫の真偽のゆれ具合など、とにかく「場の空気」をつくる技術が冴え渡っている。はっきり言って地味な作品だが、その質素なしつらえが立ち上げる亡霊のような情感にホンを読んでいるだけでのまれてしまった。オリザの書いた作品は観たことがあるが、演出した作品は観たことがないので、いつか観てみたい。

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夜、ポークハヤシライス。小麦粉が少なく、とろみがすこし弱かった以外はベリうまし。明日にはもっとおいしくなっているだろう。

相変わらず鬱気が重いので気晴らしにとまほプリ1話を観る。泣く。絵コンテがマジでいい。ワクワクもんの構図の連続。作画もいい。担当はSDも務める三塚雅人。変身に至る流れもすばらしすぎる。信じるちからだよ、、ちゃんとした感想はマラソンで観たときに書く。視聴しているのはいまだ2作目で、本作は13作目なのでいつになるのかはしらないが、、

墓へ草刈りに行く。軍手をはめ、手当り次第根こそぎにしていくと、むきだしになった地面からはわらわらと蟻の群れがあらわれ、さらにはゲジゲジが物影目がけて疾走し、みしらぬ甲虫が砂利の上を逃走していく光景が眼前に展開された。生きものと触れあう。自然と触れあう。日光を浴びるとわたしの左手首のあたりにはミッキー型の腫れができる。家に帰ると、物置の壁面に青蛙が一匹へばりついていた。



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わたしには躁鬱における「躁」がない。どうせ鬱になるなら躁状態にもなってみたい。

自主制作。zineの設計。だいたいかたまってきたので、あとは中身をつくりあげることに注力するだけ。来月末刊行予定だがはたして。完成したら大学時代の詩関係の恩師たちに送ろうと決める。流通の形式をどうするかはきちんと考えなくてはならない。

ダンスール10-最終11話。流鶯、都、潤平の決定的な分岐点となる舞台の、清々しいほどにまぶしい砂浜という場面設計の勝利。そのきもちのよい風景のなかをかなしみの追いかけっこしていく都と潤平のすばらしさ。10話絵コンテは相澤伽月。11話でも同じ砂浜で流鶯が踊り狂うわけだが、舞台とのコントラストがやはり冴えていた。打ち寄せる波が実写っぽい処理なのがおもしろかった。区切りは想像していた通り。てっきり成長した潤平を映してアニメ版の『なるたる』的におわるのかなと思っていたら、そこは映さずにきれいにおわらせていた(夏姫の強調で期待がふくらんだ2期、望み薄なのか、、? )。10-11話ともに脚本は成田良美。デパプリ後半には参加してくれるだろうか?

じゃんたま10-11話。とくになし。

デパプリ15話。ここね回。冒頭のキリッとした顔つきから、ピクニック最中のコロコロと変わっていくデフォルメ表情まで、ゆたかな顔芸がひかっていた。彼女の想像するピクニックでは、なぜかマリちゃんがギターを爪弾いているのもよかった。ここねがそれぞれをどんな風に思っているのかがわかる。戦闘時にプレシャスを助けるマリちゃんの野太い声や、ナルシストルーからブンドルポーズをダサいと指摘されるセクレトルーさんのかわいさは特筆すべきポイント。ハートジューシーミキサーのシーンでかかる曲はカッコいいなとあらためて思った。デリシャスフィールドに登場はさせれども、ブラックペッパーにプリキュアを助けさせない作劇にはつよいプリキュア倫理を感じた。ピンチのときには男の子が助けてくれる!というジェンダー規範を、第1作目からやぶってきたのがプリキュアシリーズである。また、今話を通して描かれる「まず自分がたのしまなくちゃ」という思想は、前々回も触れた無印からつづくプリキュア論理だ!と思った。

バイス40話。「人類の危機」を「兄弟喧嘩」に読み替える(矮小化する)こと。このスケール感はつまりセカイ系ってこと? シェルターに避難しているような市井の人々の視点を欠落させているのもその舞台設計のためか?

ドンブラ16話。OPに新登場したジロウの不自然さ、挙動のおかしさにまずわらう。どう考えてもむりやり入れている感じ(の演出)。サイコーである。ソノイとタロウのやりとりは関係性のオタクがよろこぶやつだなあと思った。