無声映画のアンソロジー

妹に薦められ、ソウマトウ『シャドーハウス』を読む。10話くらいまで読んだところで、これいつおもしろくなるの?と推薦者にたずねてしまうくらいにはスロースターターだったのだが、まだまだといわれるがままにスワイプしていくと、ちゃんとおもしろくなってきた。設定からは『わたしを離さないで』のことを思いだし、芋づる式に『約束のネバーランド』(読んだことはない)のことがあたまに浮かび、しらべてみると本作の帯文を約ネバの原作者が書いていることがわかる。途中で無料公開の範囲がおわっていたのだが、構わず10話ぐらい飛ばして最新話まで読む。アニメが放映されたばかりのようなので観てみるか?とも思う。「今期」という言葉が飛び交うような領域でアニメを観ることを辞めて、もう10年以上経つ。

朝はキャベツと唐揚げをのせた汁なしうどん。だし醤油とごま油でタレ。醤油を入れすぎてしょっぱい。


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松田正隆『月の岬』。Hさんがわたしの小説を読んでこの作品を思いだしたといっていたのでメモっておいたのだった。まったくもって光栄だと思った。この作品が雲だとすれば、わたしの作品は泥以外のなにものでもない。長崎の離島を舞台に、ある家族に生じる亀裂を、核心の周縁をじわじわと忍び寄るような筆致で描いた静かな作品である。水を飲むような、それでいてその水はしずかに胃のなかにたまり、しらずしらずのうちにたしかなおもみとなるようなふしぎな読み心地であり、透明ながらもずっしりとした読後感がからだの内奥に残る。決定的な事件や出来事を書かないことこそが、逆にその存在を際立たせ、観客に対して、いま眼前で起こっていることの背後への想像力を駆動させる回路をつくる。蝉が騒ぎ立てる真夏という舞台設定もうまく噛み合い、読んでいるあいだ、見えないおそろしさがつねに空間をみたしている光景が浮かんでいた。徐々に明らかになっていく登場人物の関係性によって物語が語られていくスタイルも、そこで引かれる線のあいだに類似性を発見するだろうわたしたちがうろうろするための余白がおおきく設けられていて、そのよく設計された庭のようなつくりには感嘆するばかりだ。そして本作は、わたしのような観客/読者だけでなく、役者にとってもひじょうに示唆を与えてくれるテキストのように思う。

残された、水差しとコップを見つめている信夫。やがて、水を注いでみる。
そして、飲む。…… 味わう。
うまくも、まずくもない、ただの水である。

こうしたト書きの部分を、役者がどのように演じるのか。ひじょうに興味がかきたてられる。並大抵の俳優ではこの三行を舞台上で実演し、その内実を観客に届けることはむつかしいだろう。上演を観てみたい、とつよく思った。戯曲はここで読めます。

ブログ巡回。青森では13日ころに桜が咲いたそう。地域のちがいをたのしく思う。黒沢清ドレミファ娘の血は騒ぐ』がユーネクストで配信されたとの情報も得、ちかぢか観るぞとほくほくする。つい昨日、メインヴィジュアルがいいんだよなと検索して見ていたばかりだった。