keiken-chi-keiken

さいきんしごとの連絡手段としてラインが用いられることが多く、わたしはラインの名前をふざけたものにしているので、こんな名前のにんげんがしごと相手で不安にならないだろうか?と心配の念が湧く。とはいえ、そこでひっかかってしまうひととは縁がないのかなとも同時に思うので、ひょっとすると魔除けみたいな効果もあるのかもしれない。リンギス風にいえば、「共犯者の間で使われるパスワード」である。いまいっしょにワークをしているうちのひとりのラインの表示名が、わたしよりもふざけた名前であることがひとかけの勇気をくれる。

夜、厚揚げベーコンのトマト煮チーズがけ、わかめの味噌汁。うまい。

室内に虫があらわれはじめた。昨日の最高気温は27度だった。あまりにもみじかい春。わたしの指先が命を殺める。壁に増えた黒点がつぶれる。薄っぺらいちり紙のなかで、いくつもの生が潰えてゆく。

鬼頭莫宏『のボルダ』1巻。今後『のりりん』みたいな展開になっていくのだろうか? 巻末におまけとして掲載されている第0話では『ちりりん』とすこし名前を変えた上で「ちーとも売れませんでしたけどね」「打ち切りでしたけどね」とふりかえられているが、めちゃ好きだったのでふくざつ! 独立した短編として読めるボーイ・ミーツ・ガールな第9話「ハートホールド」みたいな路線でいったら売れそう。あらためて鬼頭莫宏の絵がめちゃくちゃ好きだということをよりつよく自覚した。



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ジョージ朝倉ダンス・ダンス・ダンスール』1-5巻。めちゃくちゃおもしろい。とくに5巻の展開、感情がゆさぶられて脳がぶっこわれるかと思った。思わず頁をめくる手を止めてしまうエモーションがある。よくある本の惹句として「頁をめくる手が止められない」という表現があるが、そしてその推進力の存在も、そのきょうれつさもわたしはしっているが、作品に宿るものとして「手を止めるちから」のほうがぜつだいであると思った。ひとコマ、ひとフキダシに彫りこまれた息を呑む瞬間の屹立。見開きという名の胸をおさえてしまう感情の断崖。色恋のはじけるような甘酸っぱさと、競技の滾るような熱量がないまぜになっておれを殺しにかかっていた。流鶯の過去を描く回想で語り手を都に移している点、天才か? 長い漫画(しかも未完結!)を買うのはな、と本を前にして躊躇していた節もあったのだが、買ってよかった。アニメだとこのあたりでおわらせるのかなとも思った。アニメ版の『なるたる』的な? 読んでいる最中、羽海野チカ3月のライオン』を思いだしたりもした。

翌日、10巻まで読む。いまのところ5巻がピークだが、兵ちゃんとヌっくんの挿話や、夏姫ちゃんの失恋描写など見どころは多々あった。作風はぜんぜんちがうのだけれど、同じバレエ(コンテンポラリーダンス)を題材としたバスティアン・ヴィヴェスの『ポリーナ』のことを思いだし、読みかえしたくなった。

夜、豚ニラ豆腐の生姜鍋。うまい。

バックホーンの新譜を聴く。前半を聴いた時点でいままでにないタイプのアルバムだという印象で、おもしろいとは思う。装飾的。陽気さ。ディスコグラフィのなかでもっとも明るさをたたえているのではないか。詞はかつての水準を考えると信じ難くおわっているが、全体的な曲のムードは事前に想像していたよりはよかった。『情景泥棒』(2018)のテイストがつづいている気がする。アジカンもそうだったが、「希望を鳴らせ」を筆頭にやはり事前にシングルで切られている曲はやっぱりクオリティが際立って聴こえる。「ウロボロス」とか、Aメロのムードはとてもいいのになんでサビで疾走してしまうのだろう。逆に「ゲーム」(『心臓オーケストラ』2002年収録)なんかの疾走感は気にならないのはなぜか。文句ばかり言っているが、リリース以後よく聴いている。なぜならおれはバックホーンがめちゃくちゃ好きなので、、

夜、豆腐の味噌汁、鶏とピーマンの豆豉+豆板醤炒め。うまい。

よくはたらく。ぼんやりとしたアイデアだけあって寝かせていたものがだいぶすすむ。ボアズの新曲がでていたので聴きながらやる。

夜、茄子と新玉とトマトのミートチーズ。塩胡椒、カイエンペパーのほか、ナツメグクローブ、ハリッサで風味をつける。うまい。