想像以上にびりびりに破ろう

ミシェル・ウエルベック『地図と領土』。ジェフ・クーンズとダミアン・ハーストが対峙しているシーンから始まるように、現代アート(界隈)をモチーフにしている点は美術家の端くれ(もうほとんど「美術家」としては活動していませんが、、)としてつよく惹きこまれたのだが、『プラットフォーム』やら『ある島の可能性』のほうがおもしろく読んでいた気がする。付箋を貼ったのは以下の4箇所(すくない!がけっしてつまらなかったわけではなく、読んでいる最中はだいたいずっとたのしんでいた)。

またも父親と過ごすことになるクリスマスイブに向けて、心の準備をしたのである。/そうやって準備した甲斐があって、そのイブは何ごともなく過ぎた。どちらかといえば愉しい一夕だったといってもよかった。ジェドがそれ以上を求めなくなってから久しかった。

本作のなかでくりかえし登場し、最新作『セロトニン』のなかでは「鬱の気がある人にはしばしば致命的」な「大晦日」に至る先駆けとしての「クリスマス」(イブ)が冒頭、主人公にのしかかる圧として機能しているわけだが、その日自体をこうもあっさりと描写するのかと貼ったのだった。何を書き、何を書かないかというたのしい一例。

ただし美は絵画において二次的な問題であり、過去の偉大な画家たちがその偉大さを認められたのは、彼らが世界に関して一貫性のある、しかも革新的なヴィジョンを展開したからだった。それは彼らが常に同一の描き方、常に同一の方法、手段によって、この世のものを絵の対象に変えたということ、そして彼らに固有のその方法が、それまではまったく用いられたことがなかったことを意味する。

ウエルベックの小説はこういった蘊蓄的な記述が散見され、べつの作品を読んでいる際にはそれが鬱陶しいなと思った記憶があるのだが、美術に関心があり、かつ美術史の勉強をしていないにんげんなのでへえと思って貼った。

台所に向かおうとしたとき、電話が鳴った。彼は飛びついて受話器を取った。オルガの声は変わっていなかった。眼差しの表情と同様、人間の声は決して変わらないものだ。老いは肉体の全般的な崩壊に要約されるが、そのただなかにあっても声と眼差しはその人物の気質、願いや欲望、つまりひとりの人格を形作るあらゆるものが存在し続けていることを、痛ましくも疑念の余地なく証し立てるのである。

オルガとはかつての恋人である。ダンバインブルーレイボックス宣伝CFのナレーションを一聴すればわかるように人間の声は変化するが、そんな事実はどうでもよく、こうした断言にきもちよくなるのが読者である。

www.nicovideo.jp
1:30-


youtu.be
若本規夫の声、聴き比べてくれ!!

ジェドは思った、人生はときにチャンスを与えてくれるが、あまりに臆病だったり優柔不断だったりしてそれをつかめなければ、配られたカードは取り上げられてしまう。物事をなしとげ、幸福になるためにはタイミングがあり、その時期は数日、ときには数週間か数か月間も続くことだってありうるが、いずれにせよそれは一回限りであり、元に戻ろうとしても無理な話、熱狂や確信、信頼はもはや生まれず、あとに残るのは穏やかな諦念、互いへの侘しい同情、そして何かが起こるはずだったのに、自分たちはせっかくの贈りものを受け取る資格がないことを示しただけだったという無益な、しかし正しい感覚のみなのである。

つまりはおれたちの人生である。闘争領域の拡大である。読んでいて四畳半神話体系のことを思いだしたりもした。



金沢の思いでをグラフィック化(上記画像)する。思えば、『夏Q正伝』もひと夏の経験の写真集化である。写真や言葉ではなく、グラフィックという形式で記録するスタイル、アリだと思います。旅に付き添って思いでを作品化するしごと、どうでしょう。ご依頼お待ちしています?

夜、卵スープ。うまい。

ドンブラ29話。ムラサメとジロウというこれまでほとんど絡んでこなかった、かつ、共通点が見いだせる人物が接近することによって一気にドラマが深まっていく印象があった。本作は1話完結スタイルが多い気がするが、(暴走状態ではあるが)犬塚と夏美が鉢合わせしたり、脳人の上部組織(?)である元老院が登場したりと後半に向けて縦軸の話がうごきだしてきた感がある。ムラサメ=妖剣ニンジャークソードを手にすることで我を失って暴れ回るキャラクターたちが話をうごかす存在として描かれていたが、ソノイの霊体(?)にパワーを吸いとられて変身できなくなってしまったタロウが、剣をにぎることでちからをとりもどす作劇にはわらってしまった。

デパプリ28話再見。コメコメ覚醒回。バトル中に変身が解けるシーンはデパプリ初? ここぞというときに使用されるのでちゃんとピンチ感がある。「ごはん」で敗北の落胆心情から回復する話はこびはグレイト。コピーである「ごはんは笑顔!」にふさわしい展開。覚醒については、劇場版のようにコメコメがプリキュア化する道すじも見ていたのだが、プリキュアにちからを与えるポルン(cf.Max Heart)のような立ち位置になるのだなあとおもしろく観た。覚醒の土台となるプレシャスの「たとえコメコメでもあたしの大すきなコメコメをダメだなんて言うのはゆるさない!」という台詞は、プリキュア論理を体現するキラーワード。敗戦ナルシストルーに挑発されたあとのフィナーレがコメコメにこぼす「みんなとおむすびが食べたいな」のよさも忘れがたい。プレシャスがデリシャスストーンを奪おうとする場面や、吹っ飛ばされるプレシャスなど、パワーアップ回特有の作画力のつよさも見所。