磁束のほつれに慄いて

ふくらんだ夏の衰えてゆくあいだ、東京で流行り病に身を崩して回復するまでのみじかい時間を過ごした。その最後の夜。完成したての友人の曲を聴きながら、ちゃぶ台を囲んでいる。コンビニで買った酒で適宜のどを洗い、煙草とお香の煙に燻され、薄暗い橙の電灯に照らされる。わたしはその微量な光を頼りにカメラを構え、療養のドキュメントとしての写真集めがけて撮影をおこなう。わたしたちは皆、病からの回復者だ。

翌朝、寿司とあら汁で胃をみたし、帰路に着く。岐路に至るたびに別れを延長し、にどほどそのやりとりをくりかえしたあとで、ほんとうにべつべつの道を行く。ポイントが切れますよと通知のきていたセレクトショップをのぞいて何を買うかを見定め、高島屋で土産を買って乗客もまばらな車両に乗りこむ。道中、コレット青い麦』を読みおえる。すごいおわりかた。カバー裏に印字されたあらすじをいまさらながら紹介しておくと、このようにある。

16歳のフィルと15歳のヴァンカの二家族は今年も光あふれるブルターニュ海岸の別荘に夏休みを過ごしにやってきた。子供の頃から兄妹のように育ってきた二人。しかし今年は何かが違っていた。美しい年上の女性の出現。秘密。嫉妬。諍い。初めて恋を自覚しその甘美さを苦さを知ってしまった少年と少女は……。情熱的で不器用な初恋を、みずみずしく情感豊かに描く青春小説。

この「苦さ」の含ませかた。ひとつの経験をおえたふたりの、清々しい朝の光景で本作は幕を閉じるが、その青い余韻にかすかにひらいた傷口の痛みが、作中で印象的に用いられる青あざみの棘のようにチクリと読者の胸を刺す。すぐ先の未来に宿る不安を暗示させながらも、いまに燦燦と降り注ぐ陽の光と、幸せそうな歌声を陰らせないように済ませてしまう巧みさ。このアンビバレンツなムードは、「年上の女性の出現」によってかきみだされる若い恋人たちのうちにも流れるものでもある。おわりが約束されている淡い夏の日々のなかで、いわば「ツンデレ」風の少女が抱く反発と恋情が、背伸びがちで、自信家で、だが思慮の浅い少年の腕のなかで渦を巻き、ときには身をゆだねたり、あばれたりしながらも、いとも簡単にその輪のなかからすり抜けていくような、そうしたしたたかさともろさが頁の隅々にまで花開いている。

凹凸のないからだつきだが、いかにもスマートな少女が、この時刻に海のほうにおりて行くのを、彼はじっと見送った。彼はなぐりたいとも、愛撫したいとも思わなかった。ただ、自分を信頼する少女、自分ひとりに約束された少女であって欲しかったのだ。ちょっと気恥ずかしいが彼のもっている宝物──押し花や、瑪瑙のビー玉や、貝殻や、草花の種子や、版画や、小さな銀時計などのように、自分の自由にできる少女であって欲しかったのだ……

この傲慢さ。しかしそれは酸いも甘いもしった経験ゆたかな生から生じたものではなく、何もしらないがゆえの純粋な欲望として発露している。それが愛らしくもあり、憎らしくもある。ヴァンカに対して、自分の想像のなかにおさまっていてほしい、あるいは、おさまっているだろうと思いこんでいるフィリップの甘さ。それを打ち砕くのが年上の白衣の婦人・ダルレイだ。

「すてきだわ。わたしを喜ばせよう、なんて。でも、あなたには、それをもらうわたしの喜びよりも──いいこと!──わたしに贈ろうとそれを摘んでいたときの、あなた自身の喜びのほうが、大切だったんじゃない?」

ダルレイ夫人のおもてなしに対して、お礼をしようと浜で摘んだ青あざみの花束を送ったフィリップ少年だったが、それに対する上記の忠告も「彼女の口の形とまばたきに心を奪われて」いた彼の耳には入らなかった。彼は「以前」と「以後」をふたつに割るような出来事を、200頁ほどで綴られた夏のあいだに体験するが、かといってその経験をもとに成長するわけでないのがひじょうにげんじつ的で、さいごまでつよがりをつづける姿勢が末尾のフィリップの独白につながっているのだと思った。わたしはこれを救いのない物語だとは思わないし、それでもなお生きていくのがにんげんなのだと青草の滋味を噛みしめるように作品を思いかえしている。

また、タイトルにも象徴されているように、色のつかいかたがとてもよかった。夏の日差しに縁取られたヴィヴィッドな色彩が、海や草花といった彼らをとりかこむ自然の美しさとともに、幼い恋の光を反射していた。そのまぶしさは、まちがいなく作家の「眼」の賜物である。

彼女は振り向いた。太陽を正面から浴びて、その頬は褐色の桃のよう、目はほんとうの青、歯は白、口のなかは赤だった。


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ひさびさの実家。インターネットを通してバチっていたのでどうなることやらと帰ったがとくに揉めることなくすんなりとなじんだ。時の解決。祖母の手料理をうまいうまいと食べ、東京滞在中に撮った写真をPCに入れたり、遠隔でイベントに送ってもらった作品集の在庫チェックなど細々とした作業をおこなったのちに入眠。

明くる日、税金や保険料などをおさめる。しめて45000円。生きていける気がしない。トマトの煮浸しをつくる。ミョウガと大葉と豆腐入り。わたしの居ぬまに祖母が夕食の支度をするようになったので、負担が減ったことになる。浮いた時間は制作へ。そう都合よくいくだろうか。

咳がいまだつづいている。頻繁にでるわけではないが、夜更かしした明け方などにたまにあらわれ、コロナによって引き起こされた間質性肺炎は生涯治ることがないという文字列を読んでからの不安が胸のふるえとともにゆれうごく。そもそもその「間質性肺炎」がどのようなものかもくわしく調べてはいないのだが。

豚入りニラ玉。ネギチーズ笹かま、ポン酢味。わたしの味覚はどうやら朽ちていないようだと、家族の反応によって理解する。