ポリマー的にどうですか

11冊目、荒川洋治『日記をつける』。岩波書店、2010年刊。単行本は2002年刊行。絵日記・交換日記・ブログといった形式、あるいは子供のもの、大人のもの、戦時中や行商記など、書く主体や書かれる題材、さらには「書く」と「つける」のちがい、日記における時刻、食べもの、手書きであること、1日の分量……とさまざまな切り口から日記をするどく切りくずし、やわらかく語った1冊。『続続・荒川洋治詩集』のおもしろさへの感嘆と、日記への興味の拡大が本書を手にとらせた。軽い読みものというのもあって、買って3日で読むという、さいきんの読書傾向のなかで最速のコースをたどっている。ながく書棚に積んでおくのがわたしの基本的なたたずまいなのに、めずらしいことだ。読みたい本が何冊も増える、読書の亢進剤のような書である。たとえば、こんな記述。

私は三時ごろよりひるね。夜ごはんも知らないで、次の朝まで眠り続ける。主人、死んでしまったのかと思って、さわってみたという。
(…)
ボートに乗る。岸づたいにはこられない、人のいない溶岩の入江に船を着け、水着をもってこないので、主人真裸になって湖水に入り泳ぐ。水は澄んでいて深く、底の方は濃いすみれ色をしている。ブルーブラックのインキを落したようだ。そのせいか、主人の体は青白く、手足がひらひらして力なく見える。私は急に不安になる。私も真裸になって湖に入って泳ぐ。
 帰り、農協でビール二十六本買う。(荒川洋治『日記をつける』)

これは武田百合子富士日記』からの引用、つまり孫引きである。なんてすばらしいのだろう。「主人、死んでしまったのかと思って、さわってみたという」の繊細な触覚。「帰り、農協でビール二十六本買う」の唐突な豪快。ともに生活のありか、日記に記録しなければ見過ごされてしまうであろう生きていることのよろこびがここにある。武田百合子武田泰淳の妻である。武田泰淳を一発変換できないIMEに泣く。『ひかりごけ』や『鳳仙花』を10年単位で積み本にしている。おそらく先に読むことになる『富士日記』はつぎ本屋に行ったときにかならず手に入れる。ほかにも中勘助の「島守」や三島由紀夫の「お嬢さん」、谷崎潤一郎「鍵」など読みたい作品がもりもりでてくる。とくに、徳富蘆花の『蘆花日記』のあけすけさはひどく、妻との交接はもちろん、義娘(?)を犯そうとする顛末までもが書かれており、わらってしまうほかない(娘は自らを抱き、接吻してくる蘆花のことを「おとうさん」と呼ぶことで難を切り抜ける)。この日記は公開を念頭に置かずに書かれた私的なものであるが、ソンタグもそうであったように、没後に公開されてしまう。瀬尾郁生も宮澤賢治を例にだしてこの件について触れていたが、ネットに日記をあっぷしているひとというのは、死後公開される日記の無残さに先回りをしているともいえるのではないか。他者の好き勝手な解釈のメスに切り分けられてしまう前に、ことを限定して、先に自分で公開してしまう。ひとつの防御の構えだ。

中学のとき、学校の雑誌に作文をかいた。すると、二つ年上の、同じ学校の上級生の女の子から手紙をもらった。なんと作文に、反響があるとは。それがきっかけで、顔も見たことのないその人と、文通をし、そのあとで交換日記をはじめた。彼女とは、麻薬のとりひきみたいに(どういうふうに渡しあったか忘れたが)交換がつづいた。(同上)

書中では、こうした日記をめぐる著者のほほえましいエピソードも挿入される。文章を端緒にしてはじまる、みしらぬ者どうしのつながり。あまり長続きはしなかったようであるが、しかしなんとうらやましいことだろう。こうした青春を送りたかったし、いまからでも体験したい交流のしかたである。文通の申出、いつでもお待ちしています。麻薬のとりひきみたいな言葉の交換、いたしましょう。

人間は疲れると、文章のなかに「とても」とか「たいへん」とか「非常に」とか「いちばん」とか「ものすごく」などが多くなるのである。(同上)

よくわかる。とてもわかる。たいへんわかる。ひじょうにわかる。ものすごくわかる。疲弊していると、自分のきもちを探ることにも、それをどのように伝えるかにも、手間をかけなくなるのだ。ただ、日記はそんな肩肘を張るものでもない。著者も「どんなふうに楽しかったか、おいしかったかを書く必要はない。気持ちさえあらわれれば厳密でなくていい。おおざっぱでいい」とか「汚れていても、濁っていても、荒れていても、ことばがあればそれでいい。日記は自由の世界である」といってくれている。日記に書かれる気持ちについて、こんなことも書かれている。

「楽しかった」とあれば、楽しかったのだ。「つらかった」と書けば、つらかったのだ。でも、ひとつの気持ちを文字にするときには、人は自分を別の場所に移しているものだ。そして、自分をよく見せたりする。ほんとうは、こんなことではなく、別のことでつらかったのに、その別のことをつける勇気はない。義務もない。日記は自分のものだから。だから感情面のできごとについてはいつもほんのちょっとだけ、事実と、ずれたものになっている。(同上)

これはものを書くときに目の前に立ちはだかる最大の壁でもある。勇気の問題をさておいたとしても、ものを書くことはそのもの自体から絶えずずれつづけることであるからだ。何をしたって、どうがんばったって、書くものと書かれるものが一致することはない。それを必死に合わせようとするのが、ものを書くことに取り憑かれたひとの拭い去ることのできない業であり、延々とつづいてきた文学の営為のひとつである。さておいた勇気をふたたびひろっておくと、自分のなかに深く潜れば潜るほど、他人のなかにもたどり着けるとわたしは思っている。勇気をつかえばつかうほど、誰かの胸を打つことができる。ここで話されているのは公開が前提とされていない自分だけの日記なのだから関係ないのかもしれないが、あとで自分で読み返したときに、よりつよい情感をもたらすのは一歩踏みこんだほうのはずだ。とはいえ、本文でも触れられているように、そんなことをする義務はないのだけれど。


さいごに、この記事が書かれる媒体のことを思えば、ブログにも触れないわけにはいかないだろう。

ブログのなかには、社会的に有用な知識や客観的な思考材料を与えるものもあるが、きわめて稀である。(…)ブログの日記の文章は、厳密に書かれていない。思うまま自由に書く。第三者のチェックは入らないので、誤字も多い。他人の文章を引用するときでも吟味しない。誤りが多くなるが、どこまでも「自分」が基準なので、情報が正確である必要はないのだ。事実を創作してもよい。それがもとで人に迷惑をかけてもいい。匿名でもよいので、責任を追及されることもない。ともかく書いたままなのだ。(…)ひとりになり、自分に向き合い、自分があることを感じとりながら、静かに日記の文字を書く。最小の文字に思いをのせる。感じたことも、思ったことも、自分のなかにとどめる。だいじなことは、時間をかけて考える。こうした内側のひとときをもつことをたいせつに思う人は、ブログによりかかることはないように思う。(同上)

荒川は年配者の宿命として(というのはいささか暴力的なまとめかたかもしれないが)ブログに対して否定的な目をひからせるが、デジタルネイティブからすればそこであげつらわれていることがらは一面的なもので、げんじつにおける紙とペン、あるいは本や雑誌とたいして変わることがないのではと思ってしまう。これはメディアの特性が似たようなものであるというよりも、あたりまえにそこにある、という意味においてのことだ。というか、先の引用と見比べてみれば、肯定と否定が裏返ってしまっている。もちろん、そこには公開/非公開という線引きがあるわけだけれども、世に書かれているブログの8割9割はプライヴェートな紙の日記と似たようなもので、ほとんど誰にも読まれていないのだからそのちがいはあってないようなものだ。また、「ミニブログ」であるついったは、ひとがものをきちんと読まない/読めないことを白日のもとに晒したが、それはあくまで可視化しただけのことであって、媒体がそうさせているわけではない。もとよりひとは読まない存在なのである。

この引用は2010年の記述で、それから10年後であるいま、もはやブログは古いメディアになりはてたように感じるが、新しいメディアはいつだって称賛だけでなく非難の門をくぐっていくものである。そして新しいメディアの台頭によって、古いメディアはまたそのちからを主張するようになる(レコード、カセット……それこそブログだってそうかもしれない、ここのところ、わたしのまわりではみんな狂ったようにnoteをはじめている……)。SNSの反射的なインスタント性についてわたしも否定の目を向けたが、これだってもっと新しい世代からしてみれば似たような構図として映るのかもしれない。だが、「厳密に書」くことや、「他人の文章」を「吟味」すること、「だいじなことは、時間をかけて考える」ことは、いつの時代でもたいせつなことのはずだ。もちろん、そこでメディアのちがいは問われない。それを扱うにんげんの、言葉に向きあうにんげんの、姿勢の問題だ。

本書のいちばんはじめの引用は、1960年の『小学校日記』という著者が使っていた日記帳の前書きからとられている。

二さつめ、三さつめの人には、よくわかってもらえると思いますが、じぶんの書きあげた日記が、一さつ、二さつと、本ばこにたまっていくのを見るくらい、ゆかいなことはありませんね。(同上)

過ごしてきた日々が、目に見えるかたちでつみかさねられることのうれしさ。実体はもたないが、はてなブログでも更新するたびに記事数が増えてゆく。そのあつみが、書くひとによろこびをもたらす。そしてそれらのひとつひとつは、ほかでもない自分の言葉によって書かれている。そうであるならば、少しでも真摯に、自分にも他者にも向きあって、可能なかぎりていねいに言葉と組みあってみるのが、そのゆかいさをよりゆかいにするためにもよいのではないか。もちろん、本書の裏表紙の言葉を借りれば、日記は「ちょこっと気軽につけるもの」なのだから、むりをしない程度に。


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12冊目、マルグリット・デュラス『愛』。河出書房新社、1996年刊。原著は1971年。訳者は田中倫郎。S・タラという海辺の町を舞台に、旅人と、彼と、彼女の3点からなる詩的跳躍のつまった三角形が、歩行と眠りを通していくつもの朝と夜を越えていく。デュラスははじめて読む。すべてが暗喩的で、晦渋な潮風にあてられた、ふしぎな語り口だという第一印象。訳者の解説を読むに、作家がくりかえしもちいているモチーフが肉を落とされたかたちで展開されているようであり、門戸をたたく本としてはあまり適切ではなかったかもしれない。いや、むしろその骨格にさいしょにぶつかれたという点ではよかったともいうべきか? それは今後デュラスを読みすすめていくなかで明らかになるだろう。

一人の男。
彼は立って、眺めている──浜辺、海を。海は干き潮でおだやかであり、季節は不定、時の経過は緩慢である。
砂の上に板を渡した道に男はいる。
彼は地味な服装をしている。その顔だちははっきりしている。
彼の目は澄んでいる。
彼は動かない。眺めている。
海、浜辺、水溜り──点在する、おだやかな水面がある。(マルグリット・デュラス『愛』)

本書の冒頭半頁の全文である。まるで戯曲のト書きのような形式で物語はすべりだす。この低体温な文体はおわりまでつづく。凪、という言葉があたまに思い浮かぶ。こうした淡々とした描写とともに、作中では「光と同時に、音、海の音も停止し」たり、「色が消え」たりし、「沈黙」の時間がたびたび訪れることになる。それは海とS・タラを眺める3人の、跳躍的な会話と、ひたすらくりかえし同じルートを歩きつづける反復のなかであらわれる。

さて、その跳躍的な会話とはいったい如何なるものか?

  「壁の外側の牢獄ですね」
  「そうなんです」
  「壁の中に、犯罪があるんですね?」
 
 彼は気のない返事をする──
 
  「犯罪その他もろもろです」
 
 彼らはなおも歩いてゆく。旅人がある言葉をはっきりと口に出す。
 
  「外は、自由意志による監禁」
 
 彼はそれを聞かず、海のほうの、空間の奥の、空の照明物を眺め、こう言う──
 
  「月だ、ごらんなさい、気狂いどもの月だ」
 
 彼らはなおもゆっくりと歩いてゆく。旅人が訊く──
 
  「彼女は忘れてしまっているんでしょうか」
  「全部覚えてますよ」
  「なくしたわけですね?」
  「焼いてしまっていたんですよ。だけど、あそこには、まき散らしたわけだ」(同上)

主人公と同定してよいであろう旅人と、男の会話の一例である。こうやって抜きだしてみるとわりとすらすら読めてはしまうのだが、全編が全編、この調子ですすみ、核心のずっと外周をうろうろしつづけていているようで、読んだものにはっきりとしたかたちを与えることに難儀することになる。地の文と会話文のあいだの空行も特徴的で、会話の飛びかたに沿うように、レイアウトとしての余地、隙間がそこには視覚的にあらわれされている。その断崖の深さは読むひとのたのしみになる一方、くるしみにもなりうる。読んでも読んでも明確な像をなかなかむすんでくれないものを読みすすめるのはたいへんだ。「牢獄」「犯罪」「焼いてしまった」とあるが、作品舞台であるS・タラの町では、まいにちのように火事が起きている。日夜、うなるような「サイレンが町じゅうに響きわた」っている。

そして唐突にあらわれる「気狂いどもの月」。じっさい、この月に照らされているすべては気狂いのようであり、上記のような会話はカウンセリング、あるいはセラピーとして為されているもののように思えてくる。読んでいて思い浮かべたのは、ラース・フォン・トリアーの最初の長編映画であるクライム・ミステリー『エレメント・オブ・クライム』(1984)で、これは連続殺人事件を捜査していた警察官が、精神科医とのカウンセリングのなかで催眠状態になって過去へともぐりこみ、その過程で事件の全貌が明らかになっていくというストーリーテリングとなっていたが、どうやら本作においても、現在の自己/問題を治癒または解明するために、過去にあった重大な出来事を記憶のなかで探し求めていくサイコロジカルなナラティブが動力になっているようである。それを踏まえて頁をたぐってみると、「実は……(…)思い出してるんです……そうなんです……思い出してるところなんです……」という旅人の象徴的な台詞がはじめのほうに置かれていることに気づいた。これは何かを思いだす過程を描いた小説なのである。

先に触れた「火事」も、その重大な出来事のひとつであることはまちがいないが、一読しただけではその全貌がよくわからないように書いているところが本作のやっかいなところであり、またたのしいところでもある。「ぼくは死にかけてるんです」。「わたしはS・タラの死者なのよ」。そもそも、旅人も、彼も、彼女も、生きているのか死んでいるのかさえわからないのである。そう書いているとなんだかルルフォめいてきた。そう、ラテンアメリカ文学の傑作『ペドロ・パラモ』だ。そして作中、なんどもその名を呼ばれることになる、なぞめいた地名S・タラとはいったい何か? 裏表紙のあらすじにはこう書いてある。

デュラスが、自らの創造力のなかからつくりあげた「白骨の西洋」──海と空にひらけた、砂と風の町、S・タラ。
《海(タラサ)》であり《死(タナトス)》であるこの町(…)

また、こんな旅人と彼女のやりとりもある。

 「S・タラというのが、ぼくの名前なんですか」
 「ええ」──彼女は彼に説明し、さし示す──「あらゆるものが、ここではあらゆるものがS・タラなの」(マルグリット・デュラス『愛』)

解説では、この作品(群)にはホロコーストの影が差しているとの記述があり、それに従うにせよ従わないにせよそうした隠喩的な謎をひとつひとつ読解していく読みかた/たのしみかたもあるのだろうが、現時点のわたしはあまりそこに興味をもてず、関連作を読みおえたあとか、もしくはそのような読みかたが好きなひとにそれを譲りたいので、本作のなかでもとくに気に入っている旅人と彼女のセンチメントな会話をもって筆を擱く。

  「以前は」と彼女は言う、「砂だらけの土地だったんです」
 
 彼が言う──
 
  「風とね」
 
 彼女が繰り返す──
 
  「ええ、風とね」
 
 彼女は、板を渡した道に立っている。彼女はもはや眺めない。なにひとつ眺めていない。体を真直にして、時間と対面している。彼が言う──
 
  「河は大きかったんでしょう、海のうしろにあたる畑も?」
 
 彼女は微笑する──
 
  「ええ」──彼女はつけ加える──「夏、ヴァカンスに出かけるには、汽車でそこを横断していったんです」
 
 彼女は繰り返す──
 
  「夏にね」
 
 二人は黙る。彼女は彼を眺めている。彼が言う──
 
  「あなたの好きなときに行ってみましょう」
 
 彼女は、板を渡した道の上を遠ざかってゆく。さわやかな微風が依然として海辺を覆い、晴れわたった空に光線が傾いてゆく。(同上)