ぎくりの通路

グラフィックをつくりおえたあとは佐藤栄佐久『知事抹殺』をひもときます。記憶がまちがっていなければ、大学いちねんかにねんのころ、いまはなき渋谷のブックオフで買ったものです。ひとまず、60頁くらいまで。2000年代に福島に住んでいて自我がめばえていたひとは、「プルサーマル計画」という語とともに彼の名を記憶しているはずですが(そもそも彼は県知事だったのでもっと別様の認識があると思いますが)、じっさい、そこで何があったのかについてまでは当時まだ小学生だったわたしにはよくわかっていません。メディアによって「汚職」をはじめとする負のイメージを与えられたひと、という印象を、この本を読んでいくことでときほぐしてゆくことになるのだと思います。序盤は、自慢話めいた自伝的記述が鼻につく箇所が散見されるなあということ以外に、とくにいうことはありません。

岩井俊二『friends after 3.11』。だめな映画だと思いました。あまりひとにはすすめられません。震災を題材としたドキュメンタリー映画は数多くありますが、そのなかから本作を選びとる理由はなかなか見つけだせませんでした。基本的な構造としてある、「知識人のコメント紹介の羅列」という枠組みをやぶることができていないのは致命的だと思います。後半、被災地でのロケ撮影シーンがでてくると、そこにひとすじの亀裂が入ったかのようにも思えましたが、どうもそれは画に映る「津波が残した爪跡」以上のおおきさにはならず、終盤にはさまれるロックバンド・フライングダッチマンの渋谷スクランブル交差点でのゲリラパフォーマンスの記録は、「音楽の政治性」を否応なく映像に刻みつけた特筆すべきシーンだとは思いますが、作品自体をどうこうする域までには達していなかったように思います。

とはいえ、制服少女へのフェティッシュがさくれつしたつくりなのは素直にいいなと思いました。これは「制服少女へのフェティッシュ」自体をいいといっているわけではありません。作家の信ずべきものが、こうした作品のなかでも花ひらいているという、そのことに感銘を受けているのです。映画のラスト、セーラー服に身をつつんだ少女(反原発アイドル・藤波心)が涙を流すとき、その「涙」にリンクした歌(RADWIMPS「ブレス」)がかさねられるのはさすがにどうかと思いましたが、「ハートの日の丸」がはためくオープニングからしてその危うさはあらわれていたのでした。

岩井俊二自体はユーネクストにけっこう作品があったので、ラジオの震災特集がおわったら観てみようかと思っています。それこそ、本作のなかでも紹介のあった『スワロウテイル』や、長年気に留めている『リリイ・シュシュのすべて』などを。

米を炊き、豚肉とキャベツの豆鼓炒めをつくり、布団をかぶります。明日以降のためにスパイス漬けの豚肉もつくっておきます。気を抜くとすぐに昼夜がおわります。


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日付が変わるころにめざめます。なんだかぶっそうなきもちです。寝る前につくったおかずでごはんを食べ、武田百合子富士日記』を読みます。いつになったら読みおわるのかという感じですが、ちまりちまりと頁をたぐっています。まだ中巻も下巻も手つかずです。本を読んでいると、外では風がつよく吹きつけているようで、郵便受けががたがたいう音がここまで聴こえてきます。春一番というやつでしょうか。たしかに昨日、ごみだしにいったとき、あれ、寒くない!と感じたことを思いだしました。ページをめくる手はかじかんでいます。あなたの住む町はどうですか。