明滅方法序説

会津アップルジュースを飲みながら藤野裕子『民衆暴力』を読みはじめようとする。ほどよい酸味が感じられておいしい。会津と銘打たれているが製造所は長野にあるようだ。本は読もうとしただけでテーブルに置かれ、読みはじめるには至らなかった。代わりにユーネクストで配信されている映画を調べ、カルロス・レイガダスの『闇のあとの光』やらドゥニ・コテ『ヴィクとフロ 熊に会う』やら、アンジェイ・ズラウスキーの諸作品など観逃していたあの作品や観たかったこの作品が!というものがポロポロ見つかり、気分が著しく高揚する。キム・ギドクの初期作品なども観れるようで、MUBIに入らずともしばらくはたのしいのではというきもち。玉石混淆のラインナップを延々とスクロールしていると、娯楽に囲まれうごけなくなってしまう未来が見える。制限性が称揚される時代に突入している。

起床、グラタン、掃除。今晩のメニューを考えつつ、音楽を聴く。こってりメニューがつづいているのでたまにはさっぱりとアボカドとチャーシューの和えものあたりか。わさびマヨ? 目が覚めるあたりで小説における会話文が浮かび、ここでまた寝たら忘れると気合を入れてスマホに手をのばしてメモ。このたたかいに遭遇したとき、わたしは眠気に負けてすべてを忘れてしまうことがよくある。

リビングのソファでぼんやりしながら栄純のSNSにまつわるインタビュー記事やブログを読んでいると、妹が恋人を連れて帰ってくる。初対面だ。ここにいるのは邪魔だろうとかるい挨拶だけし、自室に居を移す。むかし想像していたのとはちがって、きょうだいの恋人を迎えるのはたのしいイベントだと思った。わたしも逆の立場でそのことを経験したからだろうか。映画を観るというので、ウェス・アンダーソンの『ムーンライズ・キングダム』をすすめておく。そんなチョイスする年上の兄姉いたらいいじゃんね?! まあでも世のなかの弟妹たちはそんなもの参考にしなくていいのである、ひとは勝手に自らの嗜好をはぐくみそだてていく、、


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無責任なものいい、について。わたしが実家に帰るという話をしたときに、帰らないでというひとたちがなんにんもいた。その語の質にそれぞれのちがいはあれども、わたしもまわりの誰かが遠くの故郷へと帰ってしまうとなったら、同じ言葉を吐くだろう。しかし、その「帰らないで」は責を負うことができない。その決断は安易になされたのではなく、さまざまな事象を深く考慮した上で導きだされたものであるはずだ。

畳にねっころがり、アップルミュージックのおすすめにしたがってしらないバンドを聴いてゆく。ゲリラ・トス、よいかも!バンド活動を再開するとしたら、すすむ方向はこういう感じじゃあるまいか、と一瞬思ったが曲を聴きすすめるにつれてちょっとちがうかとなった。よいことには変わりないけれども。