差し支えなければ愛してしまった(工区へ)

非通知の電話が診療後にあって、思わず時差を設けて通院した隣る彼に着信がきましたかとたずねたが「(こちらには)きてない」と返答があり、得体のしれない着信履歴にわずかながら芽生えた感情が不安のほうに一瞬振れきったのちうやむやになった。

焼きビーフンそうめん混じり、チャー麺茶漬け味。気合がちがうと豪語していたわれわれ、病の気配はわずかだがある。咳をゲホゲホ、パピコをちゅうちゅう、ファーストテイクのアジカンのエンパシー(w.世武裕子)をすりきれるほど聴きながら、昼通し、夜通し、自宅療養を試みる。空が明るくなるまでワンピースを読み耽る。レトルトのハヤシソースでスパゲティを食す。三人寄れば文殊の知恵、陽性たちのいるところ、ぼくら漏れなくコロナになって、ふたりめの発熱者がでる。発熱センターへの電話はつながらない、つながらない、つながらない、つながる。熱射のなかをフラフラ歩きながらはやくもにどめのpcr検査をし、ふとんに横たわって結果を待つ。餃子入り麻婆豆腐をパックごはんで食べる。さらにワンピースを爆読みする。あっという間に第2部をおしりまで読んでしまう。レトルトのカルボナーラを食べる。体温の上昇を感じる。われわれはみな発熱者となる。皮膚のいちまいうらがわが痛み、あたまがわれそうにうなっている。

複数名で住む家のなかに陽性者がでた場合、自宅療養を基本とする国/都の方針のくるいかたについて。なぜ海外のようにべつに隔離できる場を設けられないのか(韓国の生活治療センターうらやましすぎか?)。その家で隔離できればよい、というときの選民的な思想の臭気に反吐がでる。オリンピックもそうだが、縮図を感じる。

胸が痛い。何気なく測ったパルスオキシメーターの計測値が94とでてどよめきが起こる。親から物資が届く。アマゾンから物資が届く。ねぎ海苔チーズうどんをつくる。わたし以外のふたりは味覚がやられているようだ。

隣からきこえる話し声でめざめ、なかよく陽性認定される。熱が下がったと思いきや上がる、をそれぞれくりかえす日々。ちゃぶ台を囲み、わたしたちがまだ出会うまえの話をそれぞれいくつかする。

かつての記憶。すさまじい咳で呼吸もままならない状態になったとき、わたしは学校を休んでベッドに身を休ませていたが、回復後に登校した折、熱もでてないのに休んだの?という同級の声を耳にした。あれから何年経ったのか、いったいだれがその言葉を発したのかすらおぼえていないが、発熱という尺度でしか体調を測ることのできないこのおろかさのことを、わたしはずっと噛みしめている。なにかを見るときにわたしたちが支えにするもののヴァリエーションとたしかさについて。


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虚言癖がリキをもつメディアって根本的にマズいのではないかとコロナにかこつけて万バズしているついを見て思う。「こんなことになるなら我慢すればよかった」と自らの姿勢を嘆きながら「若い人たち」がバタバタと死んでいくのをかなしむ看護師の声を、その娘が代弁する体の文言だったが、いったいどこの世界の話をしているのか? 日本においてコロナによって死去した20代は2021年8月12日現在9名であり、百歩譲って30代を数に入れたとしても50名にすら届かない(10代・10代未満の死者は0である)[ソース:国立社会保障・人口問題研究所]。だというのに、「こういう患者さんばっかり」と書く該当のついを、わたしは正確な情報として読むことはできない。おなじようなつっこみを入れているひともいたが、受容のされかたにおそろしい気分になる。

咳きこみながらギターを弾いたりゲームしたりボディドラムしていると「寝なさい」と口々に叱られる。発熱はいちばん低く済んだのに、わたしの回復がいちばんおそい。嗅覚のおわりにいまさら気づいた。酢を近づけてもツンともしない。目ピリ鼻ツン、酢豆腐酢豆腐ちりとてちん

ある夜。お香に火をつけたばかりの指先がうっすらと芳香をちらすのに気づき、自身の五官のふっかつの兆しを見る。うれしい。コロナ勃興期(?)にも思ったことだけれども、デヴィッド・マッケンジーパーフェクト・センス』を思いだす出来事。味覚は死んでいないと思いこみながら日々を送っているが、嗅覚がおわっていることに気づいたのがめちゃくちゃ遅かったのもあって、じっさいにはさだかではない。自らの感覚に対する自身のにぶさを痛感している。保健所から療養解除の通知がくる。

AとRと飲む。ふたりとは大学で出会い、それぞれいちねん浪人しているという点でつよいむすびつきになり、定期的に3人であつまっている。とはいえわたしやAが東京を離れ、コロナもあってここ2年ほどは生身で集うことはなく、ひさしぶりの会合となった。さいしょに言葉を交わしてから10年の歳月がわれわれにはあるわけだが、いまこうして顔を突きあわせてもさまざまな方向に話が咲きみだれさすことができるのは、自分の身をふりかえっても奇跡的なことのように思える。あれだけ仲のよかったひとと、「卒業」をきっかけにはなればなれになってしまうことは、往々にしてあるものだ。