見立て以後

起きて早々夕飯のじゅんびをしてしまう。豚玉ピーマン炒め・酒みりん醤油の甘じょっぱタイプ。隠し味にケチャップと生姜チューブをできあがる直前に。同時に乾燥機をかけ、クイックルワイパーをかける。昨日からクロームキャストのちょうしがわるくてテレビにつながらなかったのをなおす。再起動やらデータの削除やらいろいろためしてもふっかつせず、テレビ側のアプリの初期化でやっとなおった。

さっそくクロームキャストしてボアズの新曲のMVがあがっていたのでそれを観る。オイオイ、よすぎか???? 

youtu.be

いま現在に、「あの希望には必ずパート2があるぜ」って歌ってくれるそのきもちのつよさ。意志のつよさ。「3020」の「3020年までずっと友達でいよう」もすさまじく突き刺さるフレーズだったけれど、それを踏まえてこの曲でアルバムが締めくくられるエモーションといったらない。未来を語る、未来へ語る。アジカンにも通ずる「ロックンロール」の直進性を感じる。このひたむきさが、屈折を経てなされているところにわたしのようなひねくれロマンチストはしびれるのである。ベタとメタのはざまをゆく。その考えでいくと、わたしはネタが欠落しがちなのか? そうでもないか? そんなことはさておき、メンバーチェンジ前のラストアルバムである3rd『ubik』がボアズのなかでいちばん好きなアルバムだったのだけれど、5thである本作『3020』がそれを塗り替えていく気さえしている/加筆:というわけで『ubik』もひさびさに聴きなおしたのだけれど、こちらもめちゃくちゃに名盤だ。『3020』でもまったく同じことがいえるが、終盤3曲の流れがよすぎる。


f:id:seimeikatsudou:20201211165046j:plain


富野由悠季重戦機エルガイム』を49話から最終54話まで。ずいぶんと時間がかかったが、とうとう観おえてしまった。長い作品を完走したときの感慨にみたされている。発光するディスプレイによって身体に折りたたまれた時間のあつみが、わたしのこころをうごかす生地になる。いきなりでなんなのだが、けして傑作ではなく、ダンバインのほうがすぐれた作品だと思った。永野護デザインによるロボットのカッコよさとキャラの愛らしさにひっぱられていたが、物語自体はちょっとよわかったのではないか。ヤーマン族のバックグラウンドが明かされないのがもったいない気がする。アマンダラ・カマンダラの台詞や、フル・フラットの回想シーンに歴史的なパースペクティブを担保させているが、あまりにもわずかすぎてその深さが見えない。ギワザの小物感もどうなんでしょうね。最終盤の中ボス的存在として立ち塞がるマフ・マクトミンも、もっとおもしろいキャラになれるポテンシャルがあったように思う。文献を読むと、後半、富野の興味はZガンダムの方へと向いていたようで、なるほどねとなった。はじめのころに感じた裏切りのドラマはさいごまでつづいていた印象で、その交差のさまはたのしかった。

アム「あ、当たった。当たってしまった。あはは、当たっちゃったよ、ダバ」

リィリィを落としたアムの台詞が印象的だったので引いた。威勢のいい台詞を吐きながら敵機を撃墜したアムが、涙を流しながらひとりごちるこのシーンは、戦争の喜劇性と悲劇性を一挙に引き受ける名シーンである。こういう場面がもっと展開されていたら、また印象は変わってきた気がする。

最終回に関しては、忘れ去られたかのように思えたミヤマ・アスフィーがちろっとでてきたり、愛すべき好敵手ギャブレット・ギャブレーの騎士道精神のあらわれのさまだったり、そして主人公ダバ・マイロードが破壊された弐号機を経て、初代機に再搭乗する展開のアツさだったりをたのしんだ。アントンをだしてくれるのもヘッケラーの叫びがきちんとどいているようでよかった。おわってみて思うのだが、レッシィの後半のフェードアウト感はさみしすぎるのでは、、ずっとアムときゃあきゃあやっていてほしかった。「大人女!」の叫びがこだまする。アマンダラをめぐる女ふたりと、ダバをめぐる女ふたり。