愛せ

キャベツ・玉ねぎ・人参・そせじのトマトスープ、鶏と茄子の味噌トマト炒め煮、豆麩と長芋とあぶらげと小海老の煮物。ザンボットの余韻につつまれながら、めずらしく3品もつくる。いいものを観たあとはエネルギーが渦巻く。ブログに感想も書く。

夜、Qさんから電話。ラジオよかったよといわれ、うれしくなる。Hさんも交えてくだらない話で1時間くらい盛り上がって、おわる。戯曲デジタルアーカイブでのおすすめ戯曲を教えてもらったので、メモをする。長髭の評判がとてもわるいので、もうみじかくしようかな。

TWO-MIXの歌を歌っているのが高山みなみで、なおかつ作曲も担当しているという事実をしり、驚愕する。みなさん、しっていましたか? アップルがすすめてきた「1990年代アニメベスト」というプレイリストを流していたら「JUST COMMUNICATION」が再生され、そのことに気づいたのだった。それにしてもめちゃくちゃサイコーのプレイリストだ。ザンボットを観おえたのもあって、大山のぶ代へのラブが高まる。人生でいちどは会いたいひとのひとりである。生きていてくれ。

富野マラソン、つぎはターンエーを観るつもりなのだが、サンライズチャンネルに1話があったので『機動戦士Zガンダム』を観る。Zは10年以上前に途中まで観て、ながいなあと頓挫している。ザンボットのあとなので、作画がていねいだとまずそこに感動する。こういう感受性の化け物が主人公の作品はめちゃくちゃ大好きなんだよな、米林宏昌思い出のマーニー』とか、ヨアキム・トリアーテルマ』とか。「ニュータイプ」という概念、ニューエイジ思想がバックグラウンドにあるのだろうけれど、ちょう好み。


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∀を観ながら朝食。昨日の野菜スープ、煮物のあまり。スープの酸味が増している。2話まで観る。ソシエがとにかくかわいい。2話の「わたしは自分のことは自分で決めるの!」という台詞は、そのシックな洋装も相まって、グレタ版『若草物語』のことなどを思いだした。姉のキエルも早く社会へ踏みだしたがる自立志向の女性であり、フェミニズムアニメとしても観ることができるのではないかと現時点では思っている。何より1話にてすでに恋のまなざしがうごいているのがよい。問/謎ばかりを提示して、時間と物語を先へ先へとすすめていく矢継ぎ早の展開も心地よく、富野節のきいた台詞まわしが耳にたのしい。荒野を歩き、コヨーテに襲われ、飛行船があらわれてそれを撃退する流れ、サイコーである。いきなり2年の時が経ってしまうのもつよい。マイベスト富野作品である『ブレンパワード』もそんな第1話だったと思いだす。1話のラスト、月に吠えるロランのバックで流れる菅野よう子の音楽だけで涙腺がゆるみ、つえーとなった。また、EDが谷村新司なんだとはじめてしった。西城秀樹のOPばかり聴いていた。

1話でとくによかったシーン(時間指定がうまく機能してくれないが8m40sあたりから)、限られたひとのみが参加できる祭りの光景を見るために、制止を振り切って先にすすんでいくロランに対して、「よそ者はこれ以上登れないのに」とひとりごちるソシエが笑顔なのがいい。「見つかったら叩きだされるわよ」と口ではいいながらも、ソシエも隣でその状況をたのしんでいるのだ。台詞の意味するところと、芝居/身ぶりのずれが、そのたのしさをわたしたちにも効果的に伝える。岡田利規がドイツでおこなったワークショップの記録映像の説明文に、以下の記載があった。

俳優の身体の動きは、彼らが発したテキストが伝えるものとは別種のものを観客に伝え得ます。それが実現したパフォーマンスは重層的で豊かです。そのような動きを生み出すために、想像を用います。つまり、想像にコレオグラファーとなってもらうのです。

ここで説明されている「想像」が梃子になっていたかはさておき、「テキストが伝えるものとは別種のものを伝え」る「身体の動き」があることによって、「重層的で豊か」な芝居がおこなわれていたことはたしかである。

飛行機工場と園遊会の場面で使用された、フレームが回転するように傾いていくカメラワークもふしぎだった。単純に考えれば不安定なイメージをあらわすうごきだが、そういったシーンではなく、いったい何がそこで企図されているのか気になった。