ブオーン

菅波栄純YouTubeチャンネルでバックホーン初期の名曲である「幾千光年の孤独」と「桜雪」の誕生秘話のようなものを視聴する。ファン垂涎ものの内容で、どちらの曲もレコーディング2日前の時点で何も歌詞が浮かばず海へ行ったというデジャヴ的おもしろエピソードに声を殺してわらいつつも、どのような過程を経て歌詞が生まれていったのかという話にエモーションが高まる。わたしの解釈とのズレがまたおもしろい。どんどん作者を裏切っていこう。

ねむれず、VSOP放談の排気口回や29地図のウームズ回をきいたり、YouTubeでゲーム実況をみたりする。MKRのやつが好きなのだよな。マリオメーカーの実況がめちゃくちゃおもしろかったのだが、ざんねながらもうあがらなくなってしまった。ネット環境があるので長い動画ももりもり見ることができる。今日はポケモンスマブラのを見ていた。よくしらないがウルトラビーストたちがかわいい。デンジュモクフェローチェ

夕方頃起きだし、米を炊き、しいたけの肉詰めと、じゃがいもとわかめの味噌汁と、レタスサラダをつくる。肉詰めばりうま、、至福の味。だがタレの絡みが油によって阻害されてしまった。もっと肉自体に味をつけてもよかったか。味噌汁もうまみーー、あごだしパワーと会津天宝の味噌ぢから。今日こそは昼夜の逆転を逆回転させるぞと意気込む、が明日の夜に打ち合わせが入り、ちゃんと睡眠をとった状態で臨みたいので込んだ意気をゆるませる。


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シャワーを浴び、『松本俊夫著作集成Ⅰ』をパラ読み。松本俊夫は、わたしの「観る眼」に最大の影響を与えたといっても過言ではない映像作家/批評家である。今日も「それ[引用者注:芸術作品の製作意図*1]が現実とのかかわり合いの中で論理化されず、その即自的次元に生理的にとどまるかぎり、日常性の否定ということが批評の機能をもつことは絶対にありえないのである」といったフレーズにブチ抜かれる。全4巻予定の投げ込みが本書には挟まれているが、2016年の5月に本巻がでたきり、音沙汰がない。投げ込みには第2巻に触れて、「二〇一六年十一月刊行予定」とある。マジで続刊だしてくれ、森話社さんよ!

もう間に合わないだろうよという時間的な諦念が、小説に対するモチベーションをすさまじく低下させていて、ひじょうによくない。来月からまたここに短いのを載せていこうかなと思った。そんなに甘いものではないのだとしみじみ自覚している。

*1:松本俊夫はこの「擬似前衛批判序説」と題した文章のなかで、東野芳明が『現代芸術』1961年1月号で紹介した日芸生のネオダダ風のパフォーマンスを寺山修司土方巽の作品の系譜上に置いて批判対象としてあげつらっているのだが、そのパフォーマンスというものが「何一つ見えない真暗な部屋の二階に導かれたままいつまでたっても何も始まらず、気がつくと梯子もはずされており、ついに一時間もそこに閉じ込められた」というもので、似たような展示がしばらく前に炎上していたなとわたしは思いかえすのだった