夜な夜なブラキオサウルスの歯は緑色にかがやき、夜空にいくつもの切り傷ができる

咳、いつまでつづくのか?

夜、鶏ねぎ生姜塩だれまみれ。大根の味噌汁。うまい。

zineのレイアウト。あたまのなかにあった改案イメージを紙面化していくとぜんぜんよくなかったのでもとにもどして調整する。直感は勝利する。

夜、同人誌の会議。ひと月半ぶり。第2号の〆切やテーマなどを決めつつ、アフガンやゲムスパや家族の話などをする。文芸批評の同人誌に「それじゃ売れないよ」と声をかけてきたひとの話をきっかけに展開した「いまはひとりひとりが自らのマネジメントをする時代」という話、それはほんとうにそうで、たとえばSNSは自らのプレスリリースを発信する場所になっていて、それぞれのわたしが「わたし」を「映える」かたちで塗りこめていくプラットフォームとして機能している。

ただ、いちにち経って生まれてきたのは、おれたちはSNSで消費されるために作品をつくってるんじゃねえ!という叫びだった。反応がモチベーションにつながるのはたしかなので、そのジレンマに心が狂う。死ね! つよい言葉がでる。

bunzaburoのバッグが届く。かわいい。ちいさい。とげとげ。黒とシルバーと黄色で迷い、黄色にした。でかける予定がないのでおろすのはだいぶあとになりそう。

zineのレイアウトをしあげて先方に送る。まだ原稿があつまってないので冒頭20p足らず。完成すればデザイナとしてはこれまで関わったなかでいちばんの大部になる。原稿の順番を考えているときのたのしさ。わたしは今回編集者としてはかかわっていないのだが、ここでおこなっていることは「編集」以外のなにものでもない。中途半端な介入。

夜、酢鶏。えのきとピーマン入り。豆豉醤とオイスターソースをきかす。片栗粉でとろみもつける。鶏は揚げない。


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ロゴ。しあげの段階になってからが長い。龍角散をなめなめ、字のなかのバランス、字と字のあいだのバランスを調整する。目のまえのロゴの上に、かつて見たなにものかがダブって見えるのだが、なんだかわからなくてもやもやしている。翌日、投げる。

夜、大根と豚の生姜煮。鮭と玉ねぎの豆乳味噌スープ。大根はスライス式。かつてつくったみぞれ鍋を念頭に置いている。うまい。物足りないなといろいろ加えていたら、スープは味が濃くなってしまった。

自己の制作のための素材あつめ。際限なくイメージを見、目がおわる。

昨晩、寝入る前にエリック・ホッファー『波止場日記』を読んでいた。「日記」にはまっていたころに買って積んでいた本。まだ数頁しか読んでいないが、枯れた重さを感じる。書かれたのは著者が50代の頃なので、そこまで歳をとっているわけではないが、年をかさねたあつみが文の節々から感じ取れる。何年かまえに観た展示のなかで、会場に飾ってあった画家の写真を見て、わたしたちとそう変わらない年齢なのにどう見ても10は上に見えるなとその展示の手伝いをしていた友人と話しあったことを思いだした。気合がちがう、とわたしはいったが、そういうものをエリック・ホッファーの(訳された)文にも感じる。