題名

アンパンマンのキャラクターデザインが好きだ。名前が形象そのままなのもいい。こどものこころをゆさぶるちから。

www.anpanman.jp
gifがかわいい

小雨降るなか買いだしへ。とにかく救われたい、許されたいと願いながら、ひき肉のパックをカゴのなかへ入れる。

夜、和風カレー。ひき肉・大根(葉も)・れんこん。かつぶしと和風だしと赤缶。塩胡椒、にんにくしょうが、酒醤油。生トマトがなかったので代わりにケチャップをしぼる。玉ねぎが切れていたので、チーズと豆乳とバターでコクをだす。白菜も入れようと思ったが、具が鍋からあふれたのでやめておく。

同人会議。みなやさしく、みなすごい。いちの話がじゅうにふくらむ。抱えていた虚無が薄れる。アガンベン京アニ、リンチ、今後のわたしたちの活動などについて談笑する。20時半から深夜2時頃まで。

会ったことのあるひとの訃報をついったで見た。エチオピア料理をおごってもらった。

税を払いに行く。税を払うとお金がなくなる。税は公共のために徴収される。公共とはわたしたちのものである。わたしたちを支えるためにわたしがくずおれていく。寓話を感じる。こころもさいふもからだもさむい。

夕から深夜にかけて、よくしごとをする。明け方から昼過ぎまで、よくねむる。

夜、白菜と豚の豆乳ミルフィーユ鍋。舞茸と厚揚げ入り。生姜とごまをふんだんにつかう。

きもちのふさがりをどうにかしたいがどうにもならない。早起きの生活をとりもどしたい。

これまでやってきたしごとが、新しいしごとを生む、ということが今年はいくつかあり、というか、フリーランスでやっていく以上その連続でしかわたしの今後はあり得ないのだが、またそのような出来事があって、うれしいきもちになる。へたらずにやっていくしかない、と思わせられる。どこかに作品を見てくれているひとがいることの感動。過去のわたしに支えられながら、未来のわたしに寄りかかっていく、現在のわたし。


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トロプリ38話。百合あす回。かつてダブルスのペアとして隣り合って全身全霊を注いできたテニスを、こんどは対面でプレーしながら、忘れることのなかった思い出を語るふたり。ラリーがつづくなか、やがて明かされる目の前の「あなた」への秘めたる想い。その切っても切れない友愛のつよさに、いわゆる「尊さ」を感じざるを得なかった。これまでずっと反発しあっていたふたりの和解にフォーカスを当てた、シリアスにぐっと重心を寄せた回だったが、そのさなかにあらわれるまなつの軽さがおもしろかった。あすか先輩をトロピカる部のみんなで送りだすアイデアをしらべようと図書館に着いたのもつかの間、フェニックス学院の生徒を見かけて急遽学校見学に行こう!と切り替えるその速度。みのりん先輩が「(送別の)イベントは?」とつっこむのに対して、当のあすか先輩を前にして「いいでしょ!」と言い放つ態度がウケる。

作監が見たことのないひとだったが、遊戯王を手がけているスタッフとのこと。同じ作品内で絵柄がいろいろ許容されているのは、あらためてめちゃくちゃおもしろいことだと思う。うごくエンドカードがかわいい。

バイス12話。仮面ライダージャンヌ登場回。変身前に差しこまれたヒロミさんの唐突な自分語りにわらう。バイスの「親方、女の子が降ってきましたよ!」といい、ぶっこみの暴力がたのしい。また、デッドマンズとフェニックスのカットを交互につなぐ編集の語り口が見事だった。アギレラが「家族」という語をだすことで、作品にレイヤーがいちまい増えたような感じ。ギフは「義父」だといっているひとを見かけて「!」となった。

夜、ひき肉とねぎと大根葉のオムレツ。

左足の小指を家具の角につよく叩きつけ、おわる。日が明けても痛みが引かず、打撃はおそらく骨まで達している。爪が変色し、肉が腫れている。

夜、大根と豚の豆板醤炒め。茶碗の飯を半分ほどまでたいらげたあたりで嚥下への抵抗を感じはじめ、自身の胃の縮小を感じる。おどろくほど食が細くなっている。ものが入らない。小学生から中学生にかけて、あるいは中学生から高校生にかけてでもいいが、歳をかさねることで起こる「成長」よりも、「老化」の占める割合がずいぶんと増えた気がする。来年には新たな10年期に入る。精神は20代の半ばぐらいで止まっている気がする。

エネワンという電力自由化にまつわるサービスのcmのカメラワークと演出が、女の身体を性的に見る視線につらぬかれたつくりになっており、きもちがわるかった。宣伝する対象とはまったく関係ないにもかかわらず、このようにひとびとの目を惹かせるものとして「若く美しい女性の身体」を前面にだす宣伝の手つきはもう「おわっている」のではないか。