すごいレンズ豆

エマニュエル・ギベール『アランの戦争』を読みかえす。半分くらいまで読んだところで空腹に耐えきれずカレー&クラッカー、牛乳。時刻は4時半。食べおえると眠気が襲いかかってくるが、いろいろ計算してみると、来月末の引き落としに耐えきれるか微妙なことに気づいてなんという貧困よ……となみだがでそうになる。まあ調子に乗ってセットアップを買ってしまったのがいちばんの馬鹿なのですが、それくらいのお祝いさせてくれよと思いますよね、あんなに身を粉にしてはたらいてきたのだから、、たかだかそれっぽっちで苦境に陥る我が財政のたよりなさよ。怒りをたくわえてゆきましょう。敷金バックがいつになるかが運命の分かれ道。いざとなれば親に頼ろう。こんな甘い考えしてるからだめなんだよ。でもこんな甘い考えで生きていける世のなかのほうがぜったいいいじゃんね?!というのがわたしの基本的な思考回路です。みんなもいい世のなかをつくっていこう。

このところおなかの調子がよい気がする。やっぱりしごとの影響はつよかったんだ。健康的な腸。おかげさまでトイレットペーパーが退去日を待たずして切れてしまいそうである。さすがに今日買い足す。


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起床。芝刈り機の音がうるさい。意外と雨が大したことなさそうなので今日中に書類しごとをおわらせようとふたたびトイレのなかで考える。

観おえた直後からあった「『テネット』難解」の声に対する違和感は、わたしがストーリーに重きをおいていないがゆえに生じているのではと直感した。わからない点などすっ飛ばして観ているだけでたのしのだからいいのではないか、というかそれがすごいんじゃん、みたいな。この機にわたしが「わからない」と思うことの正体を見定めてみたいと思ったがめんどうくさくなってやめることにした。巡回ブログのうちふたりが『テネット』を観たと書いていた。

外から大運動会的な子供たちの歓声がしばらくのあいだつづいて、いったいなにごとかと思う。今年初のプールにさわぐ児童たち、みたいな感じだが、季節的にはおかしいし、そもそも感染症がさわがれているなかでこんな音がでてくるなんてどういうことなんだという好奇心がもりあがってくる。きこえによっては危機に対する悲鳴ともとれるのだが、たのしそうな声がときまたまざる、かつ、あまりにもその声が長いのでその線は消える。郵便局と役所にでかけると、いよいよ拡声器のたぐいを通した先生の号令がきこえはじめ、おまつりのようなきもちがむくむくとあたまをもたげる。

もろもろの手続きを済ませ、細かな雨粒に衣服を濡らしながら帰宅し、卵とチーズをトッピングしてカレー&クラッカー。電気ガス水道にも電話しなくちゃと思うがまあ明日でいいかが何日間もつづいている。