欠損ちゃんのポッケの中身

今日も時短勤務。文学のしごとについて考える。ひとびとの価値観を変えるというとき、その荷を負うのは文学の名で呼び指せるものなのではないか? 帰ったら柄谷行人でも読もうと思う。昨日の経験を活かして昼食の量を減らす。ちょうどよい。模索舎で『大失敗』2号と津村喬『戦略とスタイル』を買って帰る。マスクの紐で耳が痛い。食パンの袋についている留め具が役に立っているのをついったで見たことがある。そんな創意工夫に乗っかるんじゃなくて、根本的につけるのをやめたい。これから人生どうなるのかなとひとでがまあまあもどってきている街を歩きながら考える。「通りにいろんな食い物のにおいや/夏草のにおいが戻ってくる」。

ユニクロチャレンジに渋谷まででようかと思ったのだが、耳が痛いのでとりやめる。在宅勤務期間中はカルディに行くとき以外マスクなどつけていなかったのだから外してしまえばいいのだが、いちどつけてしまうとなぜだかとりはずそうという気にならない。貧乏性か。灰色の雨雲がでていたので帰ってきて正解だと最寄り駅に着いて思う。寝床にころがると、雷鳴がとどろくのがきこえた。

のこっていたミートソースをフジッリで食べる。チーズも入れる。昨日は酒の所為で9-10時間ほど寝ることになったので、今日は控える。いや、たくさん寝るに越したことはないのだけれど。mac demarco、dusted、four tetとかけていく。ダステットはマイフェイバリットバンドのひとつホーリーファックのブライアン・ボーチャルトのべつバンドで、このアルバム(『ブラックアウト・サマー』2018)には妻のアンナ・ルディックなんかも参加している(妻もミュージシャンであることをはじめてしった)。全編、ホーリーファックとちがって荒々しくなく、さびしい感じが前面にでている。

今村夏子『こちらあみ子』を読みおえる。おもちろい。表題作を読んだ時点でほぼそうなっていたので『あひる』と『星の子』も昨日本屋に立ち寄った時点で買った。後者に至っては大森立嗣が映画化するそうで、読む前からたのしみだ。「主演・芦田愛菜」が帯にもアピール材料となって印刷されている。公開の頃合にちゃんと映画館がひらいていれば、大森の作品を観るのは『ぼっちゃん』以来になる。というか、すでにクランクアップしているのかはしらないが、こんな状況では撮影も難儀しているのだろうな。しばらく前にライン通話をしたとき、俳優をやっている友人もしごとがぜんぜんないと嘆いていた。

つづけて舞城王太郎『淵の王』に入る。『好き好き大好き超愛してる』があらゆるタイトルのなかでもめちゃくちゃ大好きなタイトルで、英題(サブタイ?)の「love love love you i love you」も含めていとおしく思っているのだがこれまで読んだことはなく、本作をもってはじめて立ち入ることになる。わたしのまわりには何名か舞城ラバーがいるので、読みおえたら感想を投げてみたいと思う。j churcher、do make say thinkなどをかけながら「堀江果歩」のおわりまで読みすすめる。めちゃおもしろいしめちゃ怖い。ホラー小説ってこれまで読んだ記憶がないのだが、怖いとわらってしまうことに気づいておもしろかった。やはりわらいとホラーは紙一重なのだ。途中、矢井田瞳の新録作『keep going』が耳を奪うよさだった。原曲のすばらしさがあらためてわかる。布団に移って、『淵の王』をおしりまで読んでしまう。おもしろくて読みすすめるのをとめられなかった。大満足。柄谷は1頁もひらくことなく就寝する。


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付箋を貼るようになってから本を読むのがよりたのしくなった気がするし、ブログにノートをつけるようになって、読んだことが多少はあたまに入るようになった気もしている。作家の読書道を読むのが好きなのだが、まだ読んだことのない作家が、なんど読んでもストーリーがおぼえられないというようなことをいっていて、そうなんだよねえと合意する。わたしは肉や骨ではなく、皮膚をたのしんでいるのだ。表層批評のまなざし。朝倉かすみという作家で、ちょうど『少女奇譚 あたしたちは無敵』という本を買ったので読んだのだった。

朝倉 : 私は筋が覚えられないんですが、つまり筋を読んでいないんですよね。筋がなくても平気。作家が何をどう見てどう書くかを読むのが好きなんだなと分かっていきました。内容でも書き方でも、その作家が発見したものがあるのが好きだな、という。(作家の読書道 第96回 朝倉かすみ