fixed a pool, tutorial needles

出渕裕のロングインタビューを読む。媒体特性のことを考える。原稿のなかでも触れられているが、だれしもが他者の検閲なしに文字をパブリッシュできる時代であることと、事実上「紙幅」の存在しないインターネット空間について。精度や密度の高いテキストは、さまざまなしかたで「限定化」されることによってしかじつげんできない。時間芸術は区切られることによって「作品」となる。構成の話とはまるきり逆の「唯一の型」の話をしている気がして、嫌気が差してきた。

キャラクター性について。わたしがジョナス・メカスを愛するようなまなざしが、富野由悠季にも注がれている、インタビューのなかで披露される彼のエピソードのいちいちを読んでいて、そう思った。好きな作品をつくる作家自体も作品と同じ様に愛せることは幸福である。

夜明け前のふとんのなかで、みじかい小説を書くのを再開しようと誓った。おわらせる回数が必要だと思った。なまけている場合ではない。

デヴィッド・リンチツイン・ピークス』(1990-1991)1stシーズン4話。くりかえされるinvitation to love...…。テニスのラリーを場転の開幕にもってくるのがよかった。

夜、焼きほっけ、かぼちゃと鶏のトマト煮。

トロプリ36話。不穏さへのアクセル全開! 底抜けに明るいプリキュアだっただけに、そのドス黒さが引き立つ。記憶を吸い取る装置をそのうちに備えつける人魚の国・グランオーシャン。禁忌とされていた生き物のヤラネーダ化解禁。伝説のプリキュアと後回しの魔女の暗い過去とともに、シリアス展開への扉がいよいよひらいた感がある。人魚の国へ行けるとしったみのりん先輩のアトランティスムー大陸ニライカナイへの連想や、ローラが貝から生まれることをしったプリキュアチームの貝の名前列挙遊びが愉快だった。ハードな展開だっただけに、全体的にいつもよりもスローでていねいな演出がおこなわれていたように感じられた。

バイス10話。仮面ライダーエビルevilから仮面ライダーライブliveへの反転のアツさ! 単純だけど、戦闘シーンでかかるオープニング曲「liveDevil」と、「白黒つけようぜ」という前口上もあって高揚するものがあった。そしてさくらの闇堕ちの布石! つぎはどうなるの?と思わせてくれる話運びがうれしい。連続ドラマの現在形。


f:id:seimeikatsudou:20211119130307p:plain
444


夜、ベーコンと玉ねぎと燻製チーズ入りポテサラ、酢鶏。むろん、ボウルにいっぱいつくる。豆乳でのばしてなめらかスタイル。無限に食べられる。わたしはポテサラが好き。

idles『crawler』を聴く。全体的にロウな気分がありつつ、おどけた空元気の痛々しさが切実なものとしてひびいてくる。ひさびさに和訳記事書こうかなというやる気がでてくる。

朝倉かすみ『てらさふ』読みおえる。おもしろかった。日本の文学のフィールドには純文学とエンタメの二分法があって、巻末の広告や連載時の掲載誌が『別冊文藝春秋』であることから、本書はその後者に属することが窺われるのだが、読んでいる最中も、読みおえたいまにあっても、その境界線はずいぶんとたよりないものだと感じられた。そもそも「巻末の広告や連載時の掲載誌が『別冊文藝春秋』であること」という外縁的な要素が理由になるのが、その不安定性のあらわれである。

内容についてはこれまで小出しに触れてきたのであらためてまとめることはしないが、印象にのこった点をいくつか書いておく。冒頭で主人公ふたりの夢のなかのイメージとして「カーテン」と「ガーデン」を対比させているのがまずよかった。これはのちのち卵の「黄身」と「白身」に展開していくが、その役割のありかたを考えるに、おもしろい変転が起こっているように感じられる。遮蔽物と、鑑賞される対象。

「ニコは書かなくていいから」
 ピースマークみたいな笑顔を浮かべる。
「心配しないで」

高橋さんも井上さんも編集長もみんなからだじゅうから紙吹雪を出しているように喜んだ。

といったよろこびのさまを伝える比喩表現もおもしろかった。ピースマークも紙吹雪もうれしいきもちと結びつくものではあるが、それを笑顔やようれしがりかたに直接接続するところに作家の手腕が光り、言語芸術のたのしみがあらわれるのである。

滝沢敏文『聖戦士ダンバイン New Story of AURA BATTLER Dunbine』(1988)1-最終3話。ポリゴンフラッシュ、ポケモンフラッシュ、パカパカ、呼びかたはなんでもいいが、クライマックスの画面明滅がすごすぎてあたまが痛くなった。イデオンでもビビった記憶があるが、その比ではないきょうれつさ。画面全体がすさまじい速度でビカビカにフラッシュし、それが長時間つづくものだからしばらくうごけない身になった。たかが光りの点滅だけで、ほんとうに体調がわるくなるのである。ギャスパー・ノエの映画とかって、これよりすごかったりするんだろうか。

作品自体は微妙な印象。尺稼ぎに見える間延びした演出を随所で感じ、スローなカメラ移動をともなうカットの長さや、不要な反復が散見される。予算があまりなかったのだろうか。古生物感のあるオーラバトラーのデザインはカッコいいのだが、いかんせん動かない。その動かなさも重厚さやふるめかしさの演出だと言われればそれまでだが、物足りなさのほうがまさってしまった。OVAと映画だから、単純な比較にはそぐわないけれども、逆シャアと同じ年に公開されていてこれか、みたいな。うなぎと百足が合体したようなサンドワームのフォルムは、ちょこまかとうごく脚のうごきも相まってきもちわるくてよかった。バイストン・ウェル物語は富野の生みだした世界だし、本作にも監修でかかわってもいるので、一応富野作品マラソンのタグをつけておく。