特異な歩みでできたけもの道の衰亡

20代も前半の頃、当時懇意にしていた美容室の担当者が、「草間彌生は作品をつくらないと死んでしまう」(うろおぼえ)といったような話をしてきた際に、自分もそういう心持ちで詩に向かっているなと思い、「そのきもちぼくもわかりますよ」と軽口を叩いたものだが、はたしてその熱情はどこにいったのか。まいにちのように詩を書いていた、書かずにはいられなかった精神の灯火はもうずいぶん前に消え失せてしまった。詩を書く日よりも、書かない日が多くなったのはいつからか。しばらく前に書いた同人誌用の詩に手を入れた所為もあってか、寝る前にふと上記のエピソードを思いだした。


▼記事を検索したらこの草間彌生の話は5年以上前にもう書いていた、この頃はまだ詩への炎が燃えていたような筆致だ
seimeikatsudou.hatenablog.com


それこそ5年どころではなくだいぶ前から制作に着手している、というか原稿も造本プランも何年も前にフィックスしている詩集の刊行までは(金銭的な面で)果てしないにしても、昨年企画して半分以上は完成させている詩誌を発行できたらふたたびきもちは燃え立ってくれるかしら。詩を読んだり書いたりしているとき以外、詩の心がうごかなくなっている気がする。かろうじてデザインをやっているときに微動しているかもしれない。おわりである。

わんぷり5話。パワーアップアイテム回。アバンのラストに海中のガルガルの卵を映し、ヒビを入れる演出を見、こういうオールドスタイルもやっぱりいいよね!となる。海辺での散歩シーンからというスライドのしかたもいい。「散歩」は今回のキーワードのひとつでもあり、こむぎといろはをこれまでかたくつないできたリードが、こむぎが人間体になることによって「手つなぎ」に変奏され、その信頼の証であったリード(落下のピンチを救ったりもする!)がパワーアップアイテムに結実-変貌するという流れがきもちいい。人間の散歩にはリードはないの?というその前段にあたる問いかけもいい。

また、首輪付きの捨て犬だったというこむぎの過去がかなり長めの回想によって描かれる回でもあり、家に来たばかりでまだ警戒心のつよい状態のこむぎのそばで布団を敷いて寝るいろはのけなげさと、やがて彼女に寄り添って眠りにいくこむぎのすがたが泣かせる。脚本は井上美緒。絵コンテ・演出は野呂彩芳。


ワーク。主に準備に時間をかける。作品を観る/読むことがワークの一部であるって、サイコーだなと思いながらやる。こういうしごとばかりやっていきたい。踏まえて、文字サイズ・文字量・版面のバランスをとる。ふだんはあまり用いない判型+文字情報がそれなりに多い案件なので、こうして外堀(?)から埋めていくスタイルがよさそう。

夜、冷凍餃子、ジンジャーすっぱ卵和風だしスープ、キムチチーズ和え。うまい。卵スープは基本的に中華だし(味覇など)をベースにつくっていたが、ほんだしでもいけるなという気づきがあった。

文体の苦手なひとの文章を校正するのはきついな、と思いながらワークをしていたが、目的語や主語、指示語といった文を構成する重要な要素がふんだんに欠落し、主述のねじれもそこかしこに見られるのを受けて、単に文体の問題ではないか、と思いなおすのだった。しかも、悪文はなおさない、という方針のワークなので、やっていてどうもむずがゆさが残る。悪文に突き当たるたびにストレスがかかる。

自分で文章を書くときと、他者の文章をなおすときの意識はわたしの場合だいぶ異なっていて、これは荒川洋治が詩と散文のちがいを説明した文にその差異が記述されているように思う。ここで該当箇所をひっぱってくるのが親切だが、本をもってくるのがめんどうなので触れるだけでおわる。自分で書くときは詩を優先し、他者の文をなおすときは散文を優先するということである。

夜、人参とほうれん草のキーマカレー。カルダモン、コリアンダークローブフェンネルターメリック、シナモン、カイエンペパー、ハバネロペパー、にんにく、生姜。砂糖、塩、妹が大量に余らせていたドリトスのトマトサルサソース。うまい。玉ねぎがなかったのが痛手。

祖母の足腰の弱体化が甚だしい。日常生活のなかで、より立ったり歩いたりするよう促しを試みているが、億劫がってなかなか行動に移らない。捨てるためにちいさく結んだ菓子パンのビニール袋を片手ににぎったまま、何時間も座って韓ドラの字幕を追いつづけている。




排気口『光だと気づいた順に触れる指たち』、フライヤーデザインとコピーをやっています、もしかしたら紙もあるかもしれない、と聞いています、ぜひお運びください、ご予約は以下より


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